菜園日記2017年10月

 1日(日)  10月に入りました。
 昼から,アヤハに寄り,野菜用の土,石灰,牛糞,そしてダイコンの種を購入して,畑へ。
 ネギは元気に大きくなつています。
 ブロッコリーやカリフラワーも青々と育っています。
 ニンジンは次々と発芽してきましたが,まだ全面的にとはいきません。
 ニンニクは,大きく発芽しています。しかし,これも全面的にとはいきません。
 ゴーヤの跡地を耕して,ダイコンの種を蒔きます。
 シシトウとモロヘイヤを終わりにします。
 今日の収穫は,シシトウの株にできたピーマンが1つだけでした。
 ナスはまだ小さな実をつけています。
 キュウリもそのままにしておきます。
 後は,ビタミン剤,水やり等々・・・
 9日(月)  また暑い太陽が戻ってきました。
 昼過ぎから,アヤハで,腐葉土と畑用の土,そして,ミズナ,ミブナ,レタス,シュンギクの苗を買って,畑へと走ります。
 ネギは元気です。いつもですと,植えてすぐに根腐れするものもありますが,今回はすべて順調です。
 ブロッコリーとカリフラワーも元気に青々としています。
 ニンジンも大きくなってきました。
 ニンニクも背を伸ばしています。
 先週種を蒔いたダイコンは,全ケ所から発芽していました。
 シシトウの跡地に畑用の土を入れて耕し,ミズナ,ミブナ,レタス,シュンギクの苗を植えます。
 ナスを終わりとします。
 隣のキュウリの支柱も撤去して,荒起こししておきます。
 後は,化成肥料等。
 15日(日)  雨の日曜日となりました。
 畑はお休みです。
 22日(日)  またまた大型台風が襲来で,またまた畑はお休みとなりました。
 29日(日)  10月最後の日曜日となりました。
 しかし,またまた台風の接近と秋雨前線の影響で,朝から大雨です。
 しかし,3週連続のことですので,写真を撮りに,そして,ダイコンの間引きに出かけました。
 畑に向かう途中で,また雨がきつくなってきました。
 ダイコンを各箇所2つ間引き,全体の写真を撮って,早々に退散いたします。

  先日,何気なくテレビを見ていましたら,ニュース番組の中で何か「ガリ版」(=謄写版)に関わるイベントが報じられていました。
 ガリ版については,今や知らない人の方が圧倒的に多いと思いますが(と書きつつ,現在の日本の年齢構成から言って,まだまだ知っている人の方が圧倒的に多いかもと思っている私・・・),今ガリ版の何を報じているのだろーと,不思議に思って見ておりました。

 で,そのニュース番組で取り上げられていたイベントは何だったかと調べてみますと,どうやら「ガリ版伝承館」なるところで行われていた「ガリ版祭」なるものと思われます。

「ガリ版伝承館は、明治末に建てられた堀井新治郎父子の本家を改修したもので、世界に誇る偉大な発明王として後世に伝えていくとともに、温かみのあるガリ版文化に触れていただこうと平成10年に開館しました。
 謄写版は、鉄筆からでるガリガリという音から『ガリ版』という愛称で、今日まで長く利用され親しまれてきました。館内では実際に体験していただくことができます。(事前予約要・有料)
 展示してあるガリ版器材や作品、またビデオ鑑賞などにより、『ガリ版』の文化をお楽しみください。」
(東近江市ウェブサイトより,http://www.city.higashiomi.shiga.jp/0000000117.html)

 私の住む京都のお隣の滋賀県は蒲生にある施設のようです。
 蒲生といえば,そこにあるゴルフ場に行くこともあるのですが,私はその地名から蒲生氏郷ぐらいしか思い浮ばず,世界に誇る偉大な発明王の存在も知らず,近隣の文化や歴史に疎い自分を情けなく思っております。
 
 しかし,このような施設に「ガリ版文化」として展示されるガリ版であります。

 ガリ版とは,ネットの「コトバンク」によれば,朝日新聞掲載「キーワード」の解説として,以下のようにありました。

<ガリ版印刷>
 ロウびきの原紙をヤスリ盤に乗せ、鉄筆で文字や絵を刻む。原紙の下に紙を敷き、網をかぶせたうえでインクを塗ったローラーを転がすと印刷できる。
 明治時代に考案され、軍や役所、学校などで広く使われたが、コピー機やワープロの普及で使われなくなった。
 (2012-10-09 朝日新聞 朝刊 遠州 1地方)

 そして,私が今,何故ガリ版の報道に非常に興味を持ったかといいますと,私は中学の頃「漫画研究会」を作っていて,その会報をガリ版でガリガリと作っていたことを思い出すからであります。

 今は,コンビニなどでいわゆる電子コピーも一枚10円以下でできますが,当時は,電子コピーは極めて新しく高級なもので,私の覚えていますのは,某デパートにそれが置いてあるのを発見し,ちょっとだけ試してみたいと行きましたが,確か1枚200円というような料金でありました。
 値段が値段ですので,当時の漫画研究会のメンバーの中でも優秀な方の作品を持っていきましたが,当時の技術なのでしょう,色が薄くぼやけたコピーとなりました。

 また,いわゆる青焼き=ジアゾ式複写,湿式のコピーもありました。私も実は,中古の機械を購入いたしましたが,専用紙と薬液がけっこう安くはなかったのではと記憶しています。

(・・・今,ふと考えたのですが,現在のようにインターネットで縦横無尽に情報を検索できるわけではない50年も昔に,私はどーやって,どこどこのデパートに電子コピーがあるとか,どこどこの工場で中古の青焼きの機器を売りに出しているとか等々の情報を仕入れたのだろーかと実に不思議であります。特に,中古の青焼きの機器は,当時の住居からそれほど遠くもない工場で売り出していたのを,張り紙か何かで偶然に知り,訪ねて行ったように記憶しております。まあ,中学生が,自宅の部屋にガリ版やら青焼きの機器やらを並べている姿も,ちょっと不思議な光景ではありますが・・・)

 ガリ版は,費用的なことも含め,非常に親しみやすい印刷機ではありました。
 ただ,漫画研究会であるのに,ガリ版で作る会報は,文字ばかりとなってしまいました。従って,そこでは主に漫画評論や,親睦的な文章がメインでした。

 漫画それ自体は,肉筆のままの原稿を綴じて,郵便で回覧しておりました。
 肉筆原稿を綴じたものを郵便で順番に回覧していく方法は(歴史的?には,デビュー前の石森章太郎の「墨汁一滴」があまりにも有名ですが),私が中学生の当時もまだ一般的であったと記憶しています。
 その後も,電子メールなどが流布するまで,文章のやりとりも,(敢えてコピーなどせずに)いわば交換日記拡大版のように,手書きのものを綴じたルーズリーフを回覧する形の研究会?に加わっていたこともあります。
 一方,当時から,会報をオフセット印刷で作成していた漫画同好会もありました。主に大学生のサークルだったと思いますが,中学生の経済力ではなかなか手の届かない存在であり,非常に羨ましく感じていました。

 ガリ版の領域でも,当時,転写機というような名で,肉筆の絵などから,ロウびき原紙に転写してくれる機械もありましたが,それもまた,中学生には縁のない値段であったと思います。
 その時通っていた中学校で見た記憶があります。
 学校も基本的には,ガリ版の時代でした。
 テストも教材もガリ版でした。
 教材などを作るには,転写機は必須の機械ではあったのでしょう。

 印刷する紙もいわゆる「わら半紙」でした。
 わら半紙も今や見かけません。
 同じく,「コトバンク」によれば,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説として,下記のようにあります。

 稲や麦わらを原料としてすいた紙。中国唐代に稲や麦わらは製紙原料の一つとして利用されており,日本でも奈良時代頃から用いられていたといわれる。
 その後,製紙原料の代用原料としてしばしば用いられており,明治期にわら半紙の工業化が進められた。現在では,わらはほとんど用いられず,化学パルプや砕木パルプの原質を用いた,安価で事務,雑用に使用される粗質品をいう。

 わら半紙が使われなくなった理由の一つとしてよく言われていることは「コピー機につまる」・・・というものだそうです。
 学校のテストなどで,わら半紙にガリ版でプリントされた問題を解いていたのは,今幾つぐらいの方までなのでしょうか?

 さてさて,ガリ版でガリガリと字を書いていますと,どーしても角ばった字になるようです。
 私は現在でも肉筆で文字を書きますと,印刷した活字のような字となりますが,それは今も残るベンだこに象徴される筆圧の高さとともに,このガリ版によって形成されたものと思っています。

 いろいろな意味で懐かしいガリ版であります。
 ガリ版伝承館もぜひ一度訪れてみたいものです。
10月末の畑の様子


ブロッコリー


カリフラワー
 

ニンニク

ミブナ

ミズナ

レタス

シュンギク


(なし)

ニンジン


ネギ

ダイコン



(なし)



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