菜園日記2017年6月

 4日(日)  6月に入りました。
 昼前に畑へ。
 2週間ぶりの畑となりました。
 ジャガイモは,東西とも順調な様子ですが,小さな芋が地上に顔を出していました。全体に土寄せをします。
 ニンニクはだいぶ枯れてきましたが,例年からすると,茎が細いままです。大丈夫でしょうか!?
 トマトは,脇芽を取り,また上部を支柱に留めます。
 タマネギは,この暖かさのためか,トウが立ってきました。葉の上部を切ります。
 シシトウは,一時の不調が嘘のように元気です。新たに1本に支柱を添えます。
 ナスも元気です。
 ネギのあった所の一部に,余ったタマネギ苗を植えていたのですが,試しにその場所のタマネギを全て収穫します。小さいものばかり,10数個となりました。
 跡地に石灰,腐葉土を入れて,荒起こししておきます。
 後は,水やり,草抜き等々・・・
 11日(日)  暑い日曜日となりました。
 昼前から,アヤハに行き,腐葉土,畑用の土,牛糞,そして,キュウリの苗を2つ,チシャの苗を1つ買って畑へ。
 ジャガイモは,東西とも難なく・・・という感じです。
 ニンニクはかなり葉を枯らせてきました。
 トマトは,何故か,1本がある部分から先,色が茶色くなり,おかしな様子となっています。その部分を撤去いたします。
 タマネギを全て採ります。大小合わせて40個ほどとなりました。今年のタマネギはちょっとトウが立ってしまい,固めのものとなりました。
 タマネギの跡地に,石灰,腐葉土,牛糞を入れて,荒起こししておきます。
 シシトウは元気です。
 シシトウの南の空いたところに,チシャを植えます。
 ナスはだいぶ枝が込み入っていましたので,剪定しておきます。
 ネギの跡地を耕し,キュウリの苗を2つ植えました。
 後は,水やり,草抜き等々・・・
 18日(日)  空梅雨が続いていましたが,今週からは雨の続く日があるようです。
 初めに,アヤハに行き,腐葉土と畑用の土,キュウリの苗を1つ,ゴーヤの苗を2つ買って,畑へ。
 ジャガイモは東西ともますまずの感じです。
 ニンニクを全て収穫します。小さなものばかりでしたが,20個ほど。
 ニンニクの跡地に,石灰,腐葉土などを入れて,荒起こししておきます。
 トマトも順調です。先を選定したトマトもなんとか脇芽が伸びてほしいものです。
 先週植えたチシャは見事に枯れていました・・・???
 タマネギの跡地を耕し,ゴーヤを2株植えました。
 シシトウも元気に大きくなっています。
 ナスも元気です。白いナスが大きくなっていましたので,1つを採ります。
 キュウリはちょっと水不足・・・という感じでした。少し畝が空いていましたので,苗を1つ足します。
 後は,水やり,ビタミン剤等々・・・
 25日(日)  ずっと空梅雨という感じでしたが,ここに来て雨が続きます。
 本日も,降ったり止んだりですが,昼から畑を見にいきます。
 ジャガイモは順調な様子です。また土から顔を出しているものに土を被せます。
 ニンニクの跡地はそのままにしておきます。
 昨晩の大雨で,耕すには重たすぎる土となっています。
 トマトは,1つ病気のようになった株も,脇芽が伸びてきました。他の株も実をたくさんつけています。
 ゴーヤも順調です。
 シシトウは小さな実をつけ始めました。来週ぐらいには収穫できるかもしれません。
 ナスは大きな実をたくさんつけています。株の生長のためにも,全て収穫します。
 キュウリも少しずつ大きくなっています。
 また小雨が降ってきました。
 早々に退散です。

 私は,3年ほど前まで行政の仕事をしていましたが,その関係で所管内の地域の防災訓練によく参りました。

 以前はこのような訓練といえば,火災に対する消火訓練,避難訓練等がメインでした。
 特に京都のように,昔から大きな自然災害が比較的少ない所では,大きな災害といえば,主に火災しか該当しなかったのかもしれません。
 しかしながら,東日本大震災を契機として,今は住民の主体的な行動による避難所開設・運営に関する訓練が中心になっているように思えます。
 (また最近の気候変動,大水害の現実を受けて,その対策訓練も始められてもいます。)

 さて,大規模な災害の場合,必要な避難所を行政が即時に設置することは,ほぼ不可能なことです。
 地域福祉と同じく,災害対策の面においても,行政職員の人数の少なさは圧倒的ですし,また何よりも大災害の場合には,行政職員も被害者の一となり,交通が寸断された中での現地までの到達可否も大きな課題となります。
 そして,災害が大規模であれば,避難所生活は数か月以上の長きに及びます。避難所における最悪な事態の発生も大きな問題となっています。
 
* 「日本財団」によれば,「東日本大震災による震災関連死は2011年3月末時点で1632人。その原因で一番多かったのが「避難所などにおける生活の肉体・精神的疲労」の638人で、全体の約4割にも及ぶ。災害では助かった命が避難所で失われるという事態(後略)」を繰り返さないための訓練が重要となります。

http://www.nippon-foundation.or.jp/what/spotlight/disaster_preparedness/story1/

 従って,多くの意味合いで,また,非常に喫緊の課題として,地域の住民による自主的な避難所開設・運営訓練が重要なものとなります。
 私もこの訓練に何度か参加いたしましたが,当時の私の本務とは畑違いであったことから,中心的な役割ではなく「応援部隊」としてのお手伝いが主な役割でした。
 その中で,しかし,印象的な状況がありました。

 訓練のいくつかのプログラムの中で,小学校の体育館に「避難」してきた住民に,非常用食料を配付するシーンがありました。
 各町内会の役員が非常用食料を受け取って,自分たちの町の訓練参加者に配付いたします。

 その様子を見守っていますと,ある団体の役員の方が私を見つけて,話をしにきます。
 「我々には,全く非常用食料が配付されないのは何故だ」ということです。

 自治会としての参加ではなく,社会福祉協議会が動員した身体障害者団体の代表の方でした。
 周りを見渡しても常日頃見知らぬ参加者がほとんどの中で,福祉関係の仕事をしている顔見知りの私を見つけて,話をしにきたのです。
 私は,単純なミスなのかなと非常用食料を配付している場所に行き,その団体の人数分の食料を受け取って,彼らに渡しました。

 以後は,後から分かったことなのですが,
 この訓練にあたっては,町内会の訓練参加者に非常用食料を配付するべく計画を立てていたが,その他の動員団体(町内会とは別組織の,身体障害者団体や老人クラブなど)の参加者に配付することは,その計画から抜け落ちていた。
 また,町内会からの参加者の数しか非常用食料を用意していなかったので,その他の団体からの参加者に配付すると,その分町内会の分が不足することになるが(当時それなりのポストについていた)「私」が要求しにいったため,断れずに渡してしまった。
 というようなことでした。

 この訓練にあたっての初歩的なミスでありますが,しかし,次年度以降の訓練に向けて改善すべきポイントが判明した「有益」なミスであるとも考えられます。
 しかし私には,単に非常用食料の数の読み間違い,配付ミスというだけに止まらず,避難所の姿のある一面がクローズアップされていたような印象がありました。

 その印象を検証することもなく,しばらく忘れたままになっていたこの話を,何故今思い出したかといいますと,共同体について考えていたところに,社会学者である宮台真司氏へのインタビュー記事を,ネットで見かけたからです。

(以下,web magazine "salitote(さりとて)",http://salitote.jp/people/interview009-1.htmlから引用)

 宮台氏は,東日本大震災を受け,「地域の絆,共同体の絆」の重要性について指摘していますが,同時に,
 個々人が,自分で自分の心の習慣を変えることはできる。とはいえ,それはあくまで個人の問題ですので,「日本社会の絆が深まるとか、昔の隣組のような運命共同体的な地縁ネットワークが再生されるとか、そういうことはたぶんもうないと思います。それは僕の意見というより、社会学者としてはそう考えるしかないんですね。」
と言っています。
 そして,東日本大震災の避難所実態を見て,
 「こういう非常時には、行政に頼っていても何も動かないし、どうしようもない。その地域の共同体・コミュニティの中でリーダーシップを取る人が差配して、さばいて、仕切るしかないんですよ。」
と指摘し,さらには,
「そういうリーダーがいないということなのか、そういう人が出てくる土壌がないということなのか・・・。」
というインタビュアーの質問には,
 「リーダーがいないことではなく、そういう人を支える共同体がないことにあると僕は思います。多くの人は行政のやり方がまずいから、物資や義援金がきちんと支給されないと思い込んでいる」
と答えています。
 そして,「自分たちの生存、生活を自分たち以外の手に委ねない、共同体としての自治発想。」という言葉を使っています。

 どこまでいっても,行政に頼りすぎるのではなく,自分たちの生活は自分たちで守る。

 しかし,現実はなかなかそうはいきません。
 多くの人は,経常時に依存している行政などに,非常時にも依存しようとします。
 
 一人ひとりの心の習慣を変化させなくてはいけない。それは大きな要素です。
 しかし,そこから共同体的なネットワークが復活するかというと,社会学者として,それは不可能と言わざるを得ない。

 ここでもまた,一方通行から戻れない時間の流れを感じざるを得ません。
 個々人が,自分で自分の心の習慣を変えることを通じて,また他の何かが生まれることに期待するしかないのでしょうか!?
6月末の畑の様子


(なし)

 

トマト

シシトウ

モロヘイヤ

キュウリ


ジャガイモ


ジャガイモ


ゴーヤ




ナス



2017年7月へ 菜園日記topへ