菜園日記2017年1月

 3日(火)  2017年となりました。
 来週は,所用で畑に行けませんので,今日でかけます。
 ホウレンソウはまた大きくなってきました。もう少しで食べごろとなります。
 ニンニクは,青々と元気です。
 コマツナは相変わらず,まるでコマツナでないように,葉を大きく広げています。数株を採ります。
 ブロッコリーの一つは,スティックセニョールでしたが,ちょうど頂花蕾も,側花蕾もいい大きさになっていましたので,数個採ります。
 芽キャベツはもう少しです。
 タマネギも青々と元気です。
 ダイコンを2本抜きます。
 前からのブロッコリーは,やっと小さな頂花蕾を見せ始めました。
 ネギもまた大きくなってきました。
 後は,化成肥料等。
 8日(日) 所用により,本日は畑へは行けません。
 15日(日) 大雪となりました。
畑へはたどり着けません・・・
 22日(日)  3週間ぶりの畑となりました。2週続けて大雪が降りましたので,畑の野菜はかなり雪に押しつぶされていました。
 ホウレンソウは,ぺったんことなり,株の厚みが見られません。
 ニンニクも,横倒しにされた痕跡がありました。
 コマツナは,葉を大きくしています。少し採ります。
 ブロッコリーと芽キャベツは,もう少し・・・という感じになっていました。
 タマネギも,横倒しにされた形跡があります。
 ダイコンは,まだ雪を被って,葉をペタッとしていましたが,大きなもの1つを抜きます。
 東側のブロッコリーは順調なようです。
 ネギもまた背を伸ばしてきました。
 野菜にとっても一番厳しい時期のようです・・・
29日(日)  冷え込んだ,雨のポツポツ落ちる日曜日です。
 昼から畑へと走ります。
 ホウレンソウはまた葉を広げてきました。来週には収穫時となるかもしれません。
 ニンニクも寒さを耐えています。
 コマツナはやたらと大きくなっています。数株を採ります。
 ブロッコリー,芽キャベツは相変わらず大きくなっていません。
 タマネギも,また寒さを耐えています。
 ダイコンは,皆大きくなってきました。1本を抜きます。
 東側のブロッコリーももう少しです。
 ネギはまた背を伸ばし始めました。
 雨が強くなってきましたので,早々に退散いたします。

 ゲマインシャフトとゲゼルシャフトという概念を発案したテンニースですが,彼は,ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへという歴史的な流れを全的に肯定するというわけではなく,現代社会を,冷ややかで人間どうしの有機的統一を欠いたゲゼルシャフトであるとし,「ゲノッセンシャフト」に,ゲマインシャフトの「復活」を託したと言われています。
 「復活」と書きましたが,単にゲマインシャフトへ回帰することではなく,いわば弁証法的にアウフヘーベン(aufheben, 止揚,揚棄)された概念であるといっていいものと思います。

 「ゲノッセンシャフト」(=Genossenschaft)とは、ゲマインシャフトの身分制的関係とゲゼルシャフトの部分人格的関係や競争関係を否定する一方で,ゲマインシャフトの全人格的な相互信頼関係やゲゼルシャフトの自由で平等な関係を取り入れた,両者が正に「止揚」された社会関係の様式とされます。
 テンニース自身は,20世紀初頭のドイツの協同組合運動を念頭においていたと言われています。

 このゲノッセンシャフトという概念自体は,テンニースの考案によるものではありません。
 これはオットー・フォン・ギールケによって提唱された概念であり,社会において存在する人為的に形成された共同体の概念です。
 オットー・フォン・ギールケは,ゲルマン民族による原始的な血縁団体が如何にして近代国家にまで発展してきたかを研究していた学者ですが,その中で見出された概念の一つであるといわれています。

 ゲノッセンシャフトとされるような団体というのは,自然に発生するということはなく,それぞれの成員の自由な意志の契約によって成立する団体であり,成員のそれぞれの地位というのは平等な状態です。職人組合や協同組合がゲノッセンシャフトに当てはまると,当時の社会情勢も含め,考えられました。
 強制的な中世の同業組合(ギルド,ツンフト)から,参入,退出自由な近代の職能組合への転換・強化という歴史的背景の中で生じた概念でもあるのでしょう。

* ツンフト=Zunft・・・ドイツで,12,3世紀頃から手工業の同職仲間が,商人ギルドに対抗して結成した手工業ギルド。同職組合。(大辞林)
* ギルド=guild・・・ @中世ヨーロッパの都市に行われた特権的同業者組合。11世紀に商業ギルドが成立,12世紀に手工業者による業種別の同職ギルドが派生。都市統治の実権も握ったが近代産業の成立とともに衰退。
              A同業組合。協会。 (大辞林)

 また,上記を少し勉強していた中で気づいたのですが,ドイツにおいては,フェライン=Vereinという人の集まり方も歴史があり,注目もされています。これについても,機会がありましたら,勉強してみたいと考えています。

 さてさて,ヨーロッパの当時の職人組合といわれても,我々にはなかなか具体的なイメージがわいてこない点もあるのですが,この語を調べていて,今一つ気づいたことは,現代のNPOなどの多くが自らをゲノッセンシャフトに例えていることです。

 NPOは,「Nonprofit Organization」あるいは「Not-for-Profit Organization」の略で,非営利団体と訳されますが,狭義では,非営利での社会貢献活動や慈善活動を行う市民団体のことであり,法律的に最狭義で言えば,特定非営利活動促進法により法人格を得た団体即ち「特定非営利活動法人」のことを指します。
 まあ,しかし,NPO自体のことは少し置いておきまして,原則的には,永続的なしがらみから離れて自由であることを欲し,一方で,共同体的なものへあこがれ,家族的なぬくもりを求めるという性質を有する現代の人間にとって,NPOが作り出す一種「ゲノッセンシャフト的な疑似コミュニティ」は,その欲望を充足させる魔法の空間ではないかと,NPO関係者は自慢して語っています。
 換言いたしますと,ゲゼルシャフトで最優先される利益面や機能面といったものだけではなく,ゲマインシャフトで重要視される人間関係がここでは重要視されており,であるからこそ,現代社会の抱える諸問題に対峙できる,そのための集合体にふさわしいのだという自己宣伝であります。

 このNPOの性格に関する定義等々については,良く理解できる部分も多くあります。
 近代的な結合体であるにも関わらず,原初的な人間関係の「温かみ」があるよ!というアナウンスでもあります。
 NPOはその名のとおり,基本的にはギスギスした営利団体ではないでしょうから,そういうアナウンスも間違いではないでしょう。
 昔日の職人組合を想起するよりは身近なものとして例示いたしましたが,なんとなく分からぬではありません。

 しかしながら,話は戻りますが,地域社会は本質的には,その帰属を選択した人々が集まったものではありません。また目的を一とする同志がさまざまな方面から目的意識的に集まったものでもありません。
 基本的には自らの選択の外で「生まれ」,そして「育った」地域でありますから,このゲノッセンシャフト的な自己選択の結果としてのNPO団体加入(あるいは,昔日のヨーロッパでの参入,退出自由な職能組合への加入)の結果生まれる関係性と同一のものとは言い難いものです。
 問題としていますのは,疑似コミュニティではなく,生まれ育ったコミュニティです。

 そうしますと,やはりゲマインシャフトへの回帰が求められるのか,それが不可であるとすれば,ゲノッセンシャフトの概念の「現代的組直し」が可能であるのかが検討課題として上ってきます。

 と書いておりますが,いよいよ課題は私の能力を超えて大きくなり,私の正面に横たわっております。

 いつか続きが書ければ・・・と思います。(いつか続くかもしれない・・・)


 (&,ちょっと論点はスライドしますが,今度は「おせっかい論」も書いてみようと思います。)
 (今更の勉強がシンドイ高齢者であります。)
1月末の畑の様子


ニンニク

 

ブロッコリー

芽キャベツ

ダイコン

ネギ


コマツナ


ホウレンソウ


タマネギ




ブロッコリー

カリフラワー



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