菜園日記2016年11月

 3日(木)  11月に入りました。
 11月といえば,タマネギということで,高山園芸店にタマネギの苗を買いにいきます。タマネギの苗は,普通100本単位で売られていますので,私の畑にはちょっと多いものではあります。
 ホウレンソウは元気に大きくなっています。大きいものを抜きます。
 残っているニンジンも元気です。
 先日植えたニンニクも順調な様子です。
 ニンニクの北側に少しスペースがありましたので,タマネギを少し植えました。
 コマツナも大きくなってきました。そこそこのものを間引きしつつ収穫です。
 ブロッコリーと芽キャベツも順調に青々としています。
 エンドウマメの跡地を耕して畝を作り,タマネギの苗を植えました。
 ダイコンも葉を広げています。何本か,間引きしつつ収穫いたします。
 以前からの,ブロッコリーとカリフラワーもすっかり復活してきました。
 ネギも元気です。
 ネギの北側にも少しスペースがありましたので,タマネギを少し植えます。
 後は,ビタミン剤,草抜き等々・・・
 13日(日)  暖かな日曜日となりました。
 昼から畑へと向かいます。
 ホウレンソウは順調です。後から蒔いた種も次々と発芽しています。
 残っていた2つのニンジンのうち1つを抜きます。まあまあの大きさになっていましたが,ちょっと割れていました。
 ニンニクも元気な様子です。
 コマツナはどんどんと葉を広げてきました。20本ほど収穫いたします。
 芽キャベツとブロッコリーも順調です。
 タマネギも元気です。
 ダイコンは大きく葉を広げています。
 カリフラワーとブロッコリーもすっかり復活して,青々としています。
 ネギもなんとかという感じです。
 後は,化成肥料,草抜き等々・・・
 20日(日)  秋も深まってきました。
 昼前から畑へと走ります。道中も観光客の車で混んでいました。
 ホウレンソウは順調な様子です。
 ニンニクも少しずつ大きくなっています。
 コマツナはまたまた葉を広げています。10数本の収穫です。
 ブロッコリーと芽キャベツも順調な様子です。
 タマネギも元気に青々としています。
 ダイコンは,地面から少しずつ白い部分をのぞかせてきました。まだまだ細いものです。
 カリフラワーが大きな花蕾をつけていました。もう少しで収穫です。
 ブロッコリーに土寄せをしておきます。
 ネギも皆元気になってきました。
 後は,草抜き等々・・・
 27日(日)  朝からかなりの雨となりました。
 畑はお休みです。

 ニュースなどで良く取り上げられもしますが,いわゆる自治会・町内会の加入率がどんどんと低下しています。
 今や特に驚くべきことでもなく,かなり以前からの話題の1つでもあり,一定方向へジワジワと時間をかけて進んできた時代的な現象でもあります。
 新聞の投書欄でも,「加入してくれる人がいないので,町内会を解散します」といった投稿を,最近見た記憶もあります。
 このようなあり様は,全国的にも珍しいことではありません。
 しかし,以前と違うところは,自治会・町内会の加入率の低下が,単に町内会の夏祭りができないといったことを超えて,社会的な課題を抱えていることにあります。

 京都市では,平成25年度のアンケート調査結果として,自治会・町内会への加入率を約70%と推計しています。
 また,東京都北区の2015年度の調査結果でも,70%弱となっています。
 これらの数値の概ねの一致は,単に偶然ではなく,いわゆる都市部ではこの70%という数字が一つの平均値なのかもしれませんし,都市部とそうでない地域では,また少なからぬ差も存在するでしょう。
 そして,この70%という数値についても,全国的に,今後も年々低下するものと予想されます。

 一方で,自治会・町内会の必要性については,最近時に,行政サイドからも強く言及されるようになってきました。
 極めて便宜的な必要性もあります。
 例えば,行政からのさまざまな「お知らせ」は多くの場合,自治会組織などを通じて,印刷物として配付されています。
 しかし,それ以上に現代の抱える課題が存在しています。

 これは,例えば,地域福祉という観点から見ますと,焦点が明確になってきます。
 以前の福祉といいますと,例えば,足の不自由な方に車椅子を支給する,眼の不自由な方のために盲導犬の取得費用の一部を補助する,あるいは生活保護や保育園等々というような,個別の福祉的ニーズに対する福祉施策の実施=個別福祉がメインでした。

 今は,地域福祉の時代であると言われます。
 個々の社会的弱者の全てを行政がケアしていくことは,超高齢化や家族形態の変化の中で,今や不可能な状況となっており,地域で地域住民がお互いに助け合うことでしか,社会が存在できない時代となっています。

 その特質をよく表し,また地域のあり方の再考を我々に強く迫ることとなった契機の一つは,いわゆる東日本大震災であったと私は考えています。
 大災害が発生したとき,高齢化等が進む地域の中で,例えば行政が個々の社会的弱者一人ひとりを避難所に誘導することはもはや不可能です。
 避難所に到着できたとしても,認知症の人,コミュニケーション能力に欠ける人,様々なハンデを抱える人々等々は,共同の避難所生活もままならない状態が続きます。
 そこに行政の世話係が存在していたとしても,何百人の方々に対して,それぞれが何を必要としているのかなどを把握して行動することは,極めて困難であり,不可能としか言いようがありません。
 また,社会的弱者は,その後の仮設住宅等での生活においても,新たな隣人との新たなコミュニケーションを成立させることにも不十分なことが多く,増大するストレスの犠牲となって,最悪の事態を迎えることもあります。
 避難先における孤立死などのニュースを記憶しておられる方も多いと思います。
 等々・・・大災害時に改めて日本中にクローズアップされたこの課題は,行政でなく,民生委員でもなく,社会福祉協議会の構成員でもなく,普通に地域に暮らす人々全員が地域福祉に関らなければ,今後の社会は成立しないということを意味しています。

 自分の家の向かいに住む独居高齢者は,緊急時に一人で移動できるのか,斜め後ろのマンションに住む家族は,あまり見かけることがないが,かなり幼い子供が複数いるようであり,子供だけで過ごしている時間が長そうである,何軒か離れた高齢者の御夫婦は,お一人が身体に障害を持っておられるため,臨機の行動が困難と考えられる・・・等々の情報を各人が整理して,また日々の生活の中で,隣人として,それを確認して行動していくことが今後の地域福祉,あるいは地域社会が成立するための基本であると思えます。

 行政が走り回っても,民生委員が全力投球しても,それだけでは到底地域社会が成立しえないような時代に入っているとすれば,住民全てが地域福祉の担い手にならなければ,地域社会は成立しません。
 高齢者の問題,子どもの問題,社会的弱者の問題,貧困の問題,病気の問題,障害の問題,虐待の問題などなど,現在の地域社会は,それぞれの地域社会毎に,あらゆる課題を住民の目の前に突き付けており,地域福祉の「福祉」という言葉は,今や「社会」いう言葉にそのまま置き換えなければならない状況と言えます。
 地域福祉が成立しなくては,地域社会も成立しません。
 さらに言えば,地域で生きていくこと自体がそれにかかっています。

 現在の社会は,その構成員同士が有機的に結びつかないと,存続し得ない時代を迎えているということであると思われます。
 そのような時代において,自治会・町内会への加入が,大きな問題としてクローズアップされることは,自治会・町内会の役員等の直接的問題意識を超えて,当然のことであると思いますが,思うに,行政がここでいくら頑張って,自治会・町内会への加入促進を訴えても,自治会・町内会への加入率は下がるばかりであると思います。
 時代の流れとは,そんな安易なエネルギーではないでしょう。

 さてさて,個人的な思い込みであるとは思いますが,時代を変えるには,あるいは変えようとエネルギーを集約するためには,いわば一つのイデオロギーが必要であります。
 マルクス等の思想と世界的な「革命」運動の関係,あるいは,環境問題における様々な世界観の表明等々。
 それぞれの考え方の当否はともかく,指向性の強いイデオロギーに導かれて,多くの人々が共感し,問題意識を抱えて,さまざまな現実社会での「運動」が展開されてきた,また今後も展開していくことは確かなことではないでしょうか?!

 運動が大きな運動として結実するためには,多くの人々を動かすイデオロギーの存在が必要になるとすれば,地域社会という課題に関しても,新たなイデオロギーが必要ではないでしょうか。。

 さて,今はどうか知りませんが,昔日に大学で社会学の講義を受けた人は先ず初めに次のようなことを教えられたはずです。
 私もそうでした。
 今でもよく覚えています。

 それは,テンニースが提唱したゲゼルシャフト(機能体組織、利益社会)とゲマインシャフト(共同体組織)という概念です。


(その2へといつか続くはず)

 ということとで,続く・・・
11月末の畑の様子


ニンニク

 

ブロッコリー

芽キャベツ

ダイコン

ネギ



コマツナ


ホウレンソウ


タマネギ




ブロッコリー

カリフラワー



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