菜園日記2016年8月

 7日(日)  8月に入りました。
 暑い暑い京都の夏となりました。
 夕方から畑へと向かいます。
 ニンニクとタマネギの跡地を耕して畝を作り、南側半分にニンジンの種を蒔きます。最近、ニンジンはなかなか上手く作れていませんので、今年は・・・と思います。
 北半分はそのままにしておきます。
 シシトウとピーマンは元気です。併せて20個ほど。
 ナスはちょっと元気がありません。1つだけ採れました。
 トマトも熟したものが少なくなってきました。大小10個ほどの収穫です。しかし、今年のトマトは実に甘く美味しいものが多くなっています。
 ゴーヤは不調です。本日は、0個です。
 キュウリもかなり疲れてきましたが、本日は大きなものが3つ採れました。
 エダマメの跡地はそのままにしておきます。
 水をたっぷりあげて、帰ります。
 14日(日)  暑いお盆となりました。
 夕方から先ずアヤハへと行き、畑用の土とニンニクを購入して、畑へと走ります。
 先週蒔いたニンジンはまだ発芽を確認できません。
 タマネギの跡地に畑用の土を入れて耕し、ニンニクを植えます。  昨年は植えるのが遅かったためか、よくできませんでした。今年はちょっと早いかもしれません・・・
 シシトウとピーマンは相変わらずの豊作です。20個ほどの収穫となりました。
 ナスは2つ。
 トマトもたんさんが色づいていました。20個ほどの収穫です。
 ゴーヤはそこそこの大きさのもの3つが採れました。
 キュウリはだいぶ疲れてきましたが、いつもと違うのは、新しいツルが元気で、数本いい形のキュウリが採れました。
 エダマメの跡地はそのままにしておきます。
 後は、ビタミン剤、草抜き等々・・・
 21日(日)  朝から畑へと参ります。
 午前中から強い日差しの日曜日となりました。
 ニンジンは、少し芽を確認できました。
 ニンニクはまだまだです。
 シシトウとピーマンは、まだまだ元気です。本日も20個ほどの収穫。
 ナスも復活してきました。花を咲かせ、小さな実を幾つもつけています。数個収穫。
 トマトは、終わりのようです。色づいている実も尻割れしたり、いい感じではありません。
 ゴーヤは、なかなか見えにくい実であります。これも数個。
 キュウリは、復活です。新しいツルから、花と実をたくさんつけています。キュウリがこのように元気に実をつけ続けることは、初めてかもしれません。10本ほど。
 エダマメの跡地はそのままにしておきます。
 後は、たっぷりと水やり等々・・・
 28日(日)  8月も最後の日曜日となりました。
 今日は、比較的涼しい朝となりました。
 ニンジンは、まだ発芽が確認できません。ちょっと失敗かもしれません・・・
 ニンニクも、まだまだです。
 シシトウ、ピーマンは、またまた20個ほどの収穫です。
 ナスは2つほど。
 トマトは、終わりのようです。
 ゴーヤは、今日は実が見当たりません。
 キュウリは、ここにきても数本の収穫となりました。まだ花もつけています。
 エダマメの跡地はそのままです。
 雨が降り出し、かなりの勢いとなりました。
 早々に退散いたします。 


 我々の年代の者が,例えば学生であった頃に,ラジオや雑誌で活躍し,我々に対する大きな影響力を有していたいわば<兄貴分>の方々が最近相次いで亡くなられたように思えます。

 私は,学生時代,下宿先にテレビを持っていませんでしたから,ラジオを良く聴いていました。当時,多くの若い者が同様であったと思います。テレビは持っていないけど,ステレオとラジオ=音楽!が必需品であった青年は多いはすです。
 当時のラジオ番組の中でも,今真っ先に思い出すのは,小沢昭一さんの「小沢昭一的こころ」です。
 平日,毎日10分間ほどのいわゆる帯番組でありましたが,小沢氏の軽妙な語りが秀逸で,私は,世の中にはこんな素晴らしいセンスの人がいるのだなぁと感心しておりました。
 私は,しかし,この番組で氏と接するまでは,下に書くような方々と異なり,小沢氏のことをほとんど存じあげませんでした。
 が,落語家の五代目柳家小さん氏がこの番組について,「本当の現代の落語」とつぶやいたというエピソードは,さもありなんと思います。
 この番組で,毎日の小沢氏の語りの内容と共に興味深かったものは,番組のオープニングに流れるインストメンタルのテーマ曲で,確か1週間に1度(1ケ月に1度かも??)少しずつ変化していくのです。
 フェイクという音楽用語をこの時に覚えました。
 ラジオ番組といえば,「ちびっこ電話相談室」も興味深く,忘れられません。いろいろな有名どころが回答者となっていましたが,無着成恭さんがとても印象的でした・・・
<小沢 昭一,本名:小澤 昭一,1929年(昭和4年)4月6日〜2012年(平成24年)12月10日>

 立川談志さんは,私にとって,圧倒的な存在感を持っていた人でしたが,この方については,学生時代というよりも私が小中学校の時のMYヒーローの1人であります。
 東京生まれの私は,小学生4年生の時から京都に住むようになりましたが,京都のテレビで見る「笑点」は,幼い私にも東京のセンスを忘れないようにしてくれる番組でもありました。
 今は違いますが,あの頃は,関西のお笑いセンスにはなかなかついていけませんでした。
 吉本新喜劇のどこが面白いのか理解できない小学生でありました。(例外は,花紀 京さんだけでした・・・言わずと知れた横山エンタツさんの子息でもありますが,花紀さんも2015年8月に亡くなりました。)
 また,立川談志氏は,落語だけでなく漫談もよくしていましたけど,ある日のテレビの漫談で「人間は,1つの外国語と1つの楽器をしなければいけない。」というようなことを語っていたのを今もよく覚えています。
 なかなか含蓄ある言葉です。
 私は,どちらも中途半端にしかできませんでしたが,この言葉の意味合いは大事にしてきたつもりではいます。
<7代目(ただし自称5代目)立川 談志,本名:松岡 克由,1936年(昭和11年)1月2日〜2011年(平成23年)11月21日>

 野坂昭如さんは,我々の青春時代に圧倒的な存在感でそのパワーを発揮していた人の一人です。
 文学,政治,風俗,その他ありとあらゆる面で,オピニオンリーダーとして活躍していました。
 一方で,氏の小説を読むと,あの独特な表現方法に時代の寵児であった氏の見かけとの違和感を感じた人も多かったのではないかと思います。
 私の中で,野坂氏の印象が深いものとして,ある時,氏が話す人権問題をテーマにした講演会に出席したのですが,ある運動団体が全盛期の時に,その団体からの参加者が非常に多い会場で,氏はその団体の代表者がいかにダメな行動ばかりしているか,どれだけ自分の利益ばかり追及しているのか等々を延々と話していました。
 その全盛期のその団体のパワーを知っている人には,この勇気ある行動の凄さが分かるのでは・・・と思います。
 (まあ多分例によってアルコールの力を多分に借りていたとは思いますが。)
 また,氏の『火垂るの墓』は,アニメも含めあまりにも有名ですが,そのストーリーはもちろんのこと,妹に対して,「ぼくはあんなにやさしくはなかった」と言う作者の姿に,誰もが自分を重ねることができると思います。戦争や親族関係といったさまざまな要素よりも,この「ぼくはあんなにやさしくはなかった」という言葉がこの作品のモチーフではないかと私は考えています。
<野坂 昭如,本名:同,1930年(昭和5年)10月10日〜2015年(平成27年)12月9日>

 永 六輔さんは,もう本当に多才な元気人間という感じでありました。テレビ画面で,様々なレポートをする人は,当時も今も数限りなく存在しますが,先ず自分の知識があって,自分の問題意識があって,自分の言葉で森羅万象を語ることのできる人は,極めて少数でしょう。
 そしてまた特に政治的な局面では,自分の信念をはっきりと主張し,妥協のない発言を続ける人であったとも思います。
 政治だけでなく,尺貫法などのあり方についても,一種法を犯しての継続的な取組は,多くの方が覚えていることと思います。
 また現実的には,氏は思ったよりテレビ出演の少ない人であったようですが,それでもいつもテレビ画面と一緒に思い出してしまうのは,特に私の場合「遠くへ行きたい」の番組と浅田飴のコマーシャルのインパクトが強いからかもしれません。
 旅の人であり,番組で取り上げる方々のことを,スタジオからでなく,その方々の生活している場所まで出かけて行って,実際に話すということにこだわりを持っていた人であると思います。
 作詞も秀逸です。
 戦後を代表する非常に印象深い曲を,非常にたくさん書いておられます。
 「黒い花びら」,「上を向いて歩こう」,「帰ろかな」,「いい湯だな」,「こんにちは赤ちゃん」,「遠くへ行きたい」・・・等々。
 まだまだありますが,多くの分野での才能の凄さを改めて感じる方ではありました。
<永 六輔,本名:永 孝雄,1933年(昭和8年)4月10日〜2016年(平成28年)7月7日>

 大橋巨泉さんについては,日本のテレビ界の正に巨人というべき存在と思いますが,この方に関しては,兄貴分というよりも,その多彩な趣味の領域に,あこがれの気持ちがどーしようもなく発生しておりました。
 ジャズ,俳句はともかく,将棋,麻雀,ボウリング・・・それぞれ私も好きな分野ではありますが,上達がなかなか簡単ではない分野でもあります。
 そして,ある時に,将棋も麻雀もボウリングも,時間の無駄であった,足腰に悪いことばかりだったとまで言い放った上でのゴルフへの入れ込み。
 氏のゴルフに関しては,いろいろと批判はありましたが,その徹底した打ち込みはやはり羨ましい限りではあります。
 さらには,カナダ,ニュージーランドといわゆるひまわり生活をして,気候のいい時に継続してゴルフができるというのは,ゴルフ人間の大きな夢でもあります。
 ただ,いろいろな分野での開花は,ビッグタレントという立場がアドバンテージとなったのではと,その部分に対しても,いつも羨ましく思っておりました。
 氏ほどの存在であれば,日本を代表するその道のプロの方から,最適なアドバイスを受けたり,具体的なコーチをしてもらうこともできたでしょう。
 その道の一流の方の教えは,またあるいは,そういう方に接しているだけでも,その道の上達には想像以上のものがあるように思っています。
 しかし,そんなことも含めて,氏の多才さには尊敬の念を持たざるを得ません。
<大橋 巨泉,本名:大橋 克巳,1934年(昭和9年)3月22日〜2016年(平成28年)7月12日)

合掌。
8月末の畑の様子


ニンニク

 

ナス


ゴーヤ

(なし)


シシトウ

ピーマン


ニンジン


トマト




キュウリ




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