菜園日記2016年7月
7日(日) | 7月に入りました。 梅雨明けはまだまだですが、暑い暑い日曜日となりました。 事前にアヤハに寄って購入した腐葉土と野菜用の土を、ニンニクとタマネギの跡地に入れて、少し耕しておきます。 シシトウとピーマンはまたまた豊作です。合わせて20個ほど採れました。 ナスも元気です。大きなものを6個ほど。 トマトも少しずつ色づいてきました。10個ほどの収穫です。 ゴーヤはツルをどんどんと伸ばしています。 キュウリは大豊作です。大小合わせて20本ほど採ります。 エダマメはちょっと生長が止まっている感じです。 後は、化成肥料、草抜き等々。 |
10日(日) | 暑い日曜日となりました。 昼前に畑へと向かいます。 ニンニクとタマネギの跡地はそのままにしておきます。 シシトウとピーマンはまたまた豊作です。それなりの大きさのもの20個ほど。 ナスはちょっと疲れて?います。3個の収穫。 トマトは、中玉も色づいてきました。大小合わせて30個ほど採ります。 ゴーヤはまだ実が見られません。 キュウリは相変わらず元気です。10本ほど採れました。 エダマメもかなり実をふくらませてきました。 ちょっと用事があるため、早々に退散いたします。 |
19日(火) | 海の日のからむこの連休には、ちょっと所要ができ、畑は1週間お休みする予定でしたが、この連休中に梅雨明けとなり、流石に水やりが心配で、火曜日の夕方に畑へと行ってまいりました。 ニンニクとタマネギの跡地はそのままにしておきます。 シシトウ、ピーマンは相変わらず元気です。それなりの大きさのもの、20個ほど。 ナスは大きなものが3つ採れました。 トマトは、たくさん色づいています。大小合わせて30個ほどの収穫です。 ゴーヤは今年の初収穫を1つ。 キュウリもまだまだ元気です。大きなもの10本ほど。 エダマメもそろそろという感じです。 たくさん水をあげて、退散いたします。 |
24日(日) | 梅雨も明け、祇園祭の前祭りも終わり、暑い日曜日となりました。 朝から畑へと向かいます。 ニンニクとタマネギの跡地はまだそのままにしておきます。 シシトウとピーマンはちょっとお休みなのか、あまり多くの実をつけていませんでした。10個ほど採ります。 ナスもちょっと疲れているようです。大きな賀茂ナスを2つ採ります。 トマトはたくさん色づいています。数十個の収穫となりました。 ゴーヤは、本日は実をつけていません。 キュウリは大きなもの数本です。 エダマメを全て抜きます。実がしっかり入っている所も多そうに見えます。 この暑さで全体的に疲れているようです。 水をたっぷりとあげて、草抜き・・・ |
31日(日) | 7月も最後の日となりました。 しばらく、涼しい夏が続いていましたが、ここにきて、本格的な京都の夏が到来といった感じです。 夕方、先ず、アヤハに行って、腐葉土、畑の土、石灰、化成肥料そしてニンジンの種を購入して、畑へ。 ニンニクとタマネギの跡地にまた石灰、腐葉土、畑用の土を入れて、荒起こししておきます。 シシトウとピーマンはまたたくさん採れました。 ナスは、ちょっと小さなものが3つだけでした。 トマトはたくさん色づいています。大球も真っ赤に熟しています。大玉5つ、ミニトマトが20個ほど。 ゴーヤは、小さな実が1つだけでした。 キュウリは、だいぶ疲れてきたようですが、5本ほど収穫。 エダマメの跡地は、そのままとしておきます。 そうこうしているうちに、大粒の雨が落ちてきました。早々に退散いたします。 |
最近他の所に取って代られてしましたが,大阪の天保山が日本一低い山であることは,けっこう有名でありました。 正確には,以下に述べるように,一時期的に天保山と「されていた」ということなのかもしれません。 いずれにしても,このことは全国的にはともかく,関西の人間なら,たいていの人が知っていたことと思います。また,今でもそうであると思い続けている人もけっこう多くいるように思えます。 ちょっと気になりましたので,この辺の経過について少し調べてみました。 現在,日本で一番低い山とされているのは,仙台市の日和山,3mです。 仙台のこの地は,江戸時代から明治半ばまで流通拠点として賑わっていたようですが,鉄道の普及等によってその地位を失い,半農半漁の集落へと変化したということです。そのような中で,明治時代に漁師が出漁の際に天候を推測するため(日和るため),日和山が築山されました。 この日和山は,1990年代に標高6mで日本一低い山とされましたが、1996年7月に大阪市の天保山が国土地理院の地形図に山として掲載されたため,日本一低い山ではなくなってしまいました。 そしてまた,日和山は,一旦2011年3月11日の東日本大震災の津波で削られて消滅してしまいましたが,その後に国土地理院が行った測量で,天保山より低い標高3mの山であることが確認されて地形図に掲載されたため,再び日本一低い山となったということであります。 この経過だけでも,つっこみどころ満載ではありますが,とりわけ以前から不思議に思っていたことは,「山」とは何かということであります。 数メートルの土地の盛り上がりなんて,至るところにあるではありませんか。 それに,今書いた日和山と同じく,天保山も人工の山(築山)ということです。 人工の山を標高競争させるのであれば,またいくらでも日本一低い山ができるのではと考えたりしてしまいます。 実際,日本中に日本一低い!と名乗りを挙げている山が存在するようです。 3mより低い山など,作るのも簡単ではないでしょうか?あげくには,場所によっては,標高がマイナスであることを競うことも可能でしょう。 なんなのでしょう。 これが,山と違って池・沼と湖の違い・・・ということになると,それなりの定義があるように記憶しています。 先ずは,環境省の定義から。 <湖> 四面を陸地でかこまれて中に水をたたえたもの。 池・沼などより大きく中央部に沿岸植物の侵入を許さない深度(5〜10 メートル以上)を持つもの。 <沼> 一般に,深さ5メートル以下で底は泥ぶかく,クロモ・フサモなどの沈水沿岸植物が生えている湖沼をいう。 湖とは厳密には区別されていない。 まあ厳密な区分がどこまで・・・という感はありますが,一定の定義としては成立しています。 一方これらは,湖と沼の定義であって,池はどーなったのだと思ってしまいます。 ここでは,全てを合わせて「湖沼」が名称のようです。 すると池は全て沼なのかということになりますが,池については,別途国土地理院が解説しています。 <池> 地面にできたくぼみに水のたまったところ。 普通,湖沼より小さいもの。 人工的に作られたもの。 これはしかし,池の地理学?的な定義とはいえないのかもしれません。 というか,個人の家の庭に作って鯉を泳がせたりするのも「池」で,それを「沼」とは言わないでしょうから,そーいうことなのかもしれません。(⇔ どーいうことなのか?) むずかしいですね。 いずれにしても,池については,湖と沼の区別ほど,はっきりしたものがありません。上にあるように,ちょっとした「水たまり」を池と呼ぶのかもしれません。 また,後で山のところで出てきますが,以前からの人々の呼称,歴史的なあるいは地域的な呼び方を尊重する考え方なのかもしれません。 これはこれで,残念ながら少し保留しておくとして,しかし,やはり山とは何なのでしょうか? 「山」の定義というものは難しいのですが,わが国では、国土地理院が「山」と認めているか否かによるところが大きいようです。 では,国土地理院は何を持って「山」と認めるかといいますと,「山」の厳密な定義はないけれども,長く地元で「山」とされてきたものや,測量の基準となる三角点のある場所が「山」と言え,また,高さは問題ではないということのようであります。 (まあ,しかし,三角点などは公共建築物の屋上にもあったりしますから,山の定義と直接的に結びつけることはいかがなものかという感もあります。) いろいろな情報をつなぎ合わせますと,国土地理院の考え方としては, 1.地元住民が山と呼んでいるか 2.地元自治体が公式名称としているか 3.国土地理院として地形図への記載を妥当と判断するか を判断材料としているようです。 (これまた敢えてつっこみますと,国土地理院としての考え方の基に,自らの判断の可否があるというのもいかがなものかという感はあります。) 湖や池の定義もなんとなく・・・といった感じでありましたが,山となるとさらになんとなく・・・という感じではあります。 なんか最後まで,つっこみどころ満載の話となってしまいました・・・ しかし,まあ,諸外国の山の定義がどのようなものかまでは調べておりませんが,少なくとも日本では,暮らしの中で,地域の歴史の中で,山とされて親しまれてきたものを山と呼んでいるのだと思います。 (ちなみに,ブリタニカ百科事典では,相対的に2,000フィート(610m)の高さを持つものを山としているということです。) そーいう観点からすると,全国そこかしこで,この山こそ日本で一番低い山だ!と名乗りをあげていたりするのは,楽しい競争ではあります。 ある意味,地域の歴史や山への親しみが問われている現象でもあります。 小さな低い場所での「お山の大将」にならない心掛けさえあればと思ったりしています。 |