菜園日記2016年6月
5日(日) | 6月に入りました。 まだ梅雨ではないのでしょうけど、小雨の中、朝から畑へと行きます。 ニンニクはだいぶ葉を枯らせてきました。 タマネギは全ての葉が倒伏しています。来週ぐらいには収穫となるかもしれません。 シシトウは次々と実をつけています。それなりの大きさのもの、数個収穫です。 ナスもたくさんの花をつけてきました。 トマトはぐんぐんと大きくなっています。脇芽を取ります。 ゴーヤも伸びてきました。上部を支柱に留めます。 キュウリも早い生長です。小さな実をいくつか採ります。 エダマメも元気な様子です。 雨が大粒になってきましたので、早々に退散いたします。 |
12日(日) | 近畿地方も先週から梅雨入りしていたそうです。こんなに早く・・・とも思いましたが、平年より3日早いだけということです。 朝から畑へ。 ニンニクはそこそこ葉を枯らせてきました。試しに1つを抜きます。ちゃんとニンニクの球はできていましたが、1つ1つの片にちゃんと分かれていない感じでした。もう少し置いておくことにいたします。 タマネギを全部抜きます。全46個。あまり大きなものはありませんが、いい出来だと思います。 シシトウも元気です。数個採ります。 ナスも実をつけ始めました。脇芽を取り去ります。 トマトも元気です。脇芽を取り、また上部を支柱に留めます。本支柱を立て、強化しておきます。 ゴーヤも伸びてきました。 キュウリはどんどんと大きくなっています。小さな実を少し採ります。 エダマメも実をつけ始めました。 後は、化成肥料等々・・・ |
19日(日) | 朝からの雨となりましたが、夏野菜の生長の早い時期ですので、畑へ。 ニンニクは、かなり葉を枯らせてきました。どうなるのか楽しみです。 タマネギの跡地はそのままにしておきます。 シシトウはまた実を大きくしていました。10個ほどの収穫です。 ナスも早くも実を大きくしています。本日は2つ採ります。 トマトも順調な様子です。 ゴーヤもどんどんとツルを伸ばしてきました。 キュウリはたくさんの花をつけ、たくさんの実をつけています。本日は5本ほど採りました。 エダマメも元気な様子です。 雨のため、早々に退散いたします。 |
26日(日) | 本格的な梅雨の時期を迎えました。 夕方から畑へとまいります。 ニンニクは、この雨のせいもあるのか、茎がダメになったものもありました。とりあえずは、全部を抜きます。どーなっているのかは家で検証です。 タマネギとニンニクの跡地に石灰を入れて、荒起こししておきます。 シシトウとピーマンは豊作です。全部で20個ほど採れました。 ナスは実を大きくして、枝を垂れ下げていました。本支柱を立て、枝を吊るします。大きなナスが10個ほど採れました。 トマトはどんどんと枝を伸ばしていました。脇芽等々を大幅に撤去いたします。 ゴーヤもツルをどんどんと伸ばしています。本支柱を立てました。 キュウリは大豊作です。20個ほど採りました。まだまだたくさんの花と実をつけています。 エダマメも元気な様子です。 後は、草抜き等々・・・ |
腕時計をするようになったのは何時頃からだったであろうと,はるかな過去を振り返ります。 特に少年にとって,腕時計というのは一つのステータスというか,何か一つステップアップしたことのシンボルのような存在とも思われますが,私の場合は,小学校6年の時から腕時計をしていたように記憶しています。 主な理由としては,小学校6年のある時期,ほぼ毎日少し遠くにある塾に通っていましたので,その時間管理に・・・ということでした。 確か父親のお古のRADOでした。 腕時計をしていたと書きましたが,記憶では小学校にいる間は,腕にはめてはいませんでした。授業中は,カバンに入れていて,放課後塾に向かう時に,カバンから出して使っていたのです。 今でしたら,小学生の多くが腕時計や携帯電話,スマホ等を持っていて,各自が当然のように時間管理をできるかもしれませんが,当時はそんな時代ではありませんでした。 それに,小学生が細かな時間を気にするような環境でもありませんでした。 学校が終わったら,近くの「ひろっぱ」=空き地で野球をして,空が暗くなってきたら家に帰るという毎日です。 また,東京オリンピックは小学校5年の時でした。 そろそろ各家庭に,電話やカラーテレビが普及しだした・・・という時代です。 カラーテレビで見た「ジャングル大帝」や「悟空の大冒険」の「総天然色」カラーの世界に感動していた私であります。 (話のついでにいいますが,誰がどういおうと,「ライオンキング」は「ジャングル大帝」のパクリです。ディズニーは,自分の著作権等々については非常にうるさいくせに,人のものは勝手に使います。手塚治虫氏のアイデアが無断で使われた例は他にもありますが,また・・・) で,普通は中学入学の時に,お祝いで腕時計や万年筆を頂くものと思いますが,私の場合は,そんなわけでずっと父親のお古の腕時計をしていたのであります。 ・・・中学の入学祝いといっても,しかし,あまり記憶がありません。万年筆か?それも父親のお古のパーカーを使っていたように記憶しています。 当時は,万年筆を使うのが,中学生のステータスのようなもので,板書をノートに写すのも万年筆が大活躍でした。 (私は当時,漫画を描いていたこともあって,付けペンとインク瓶を学校の机の上に置いていたこともありますが,インクがこぼれたらどーするのだと先生に強く怒られ,禁止された記憶があります。) そして,腕時計が壊れたりいたしますと,また新たに父親のお古をもらったりいたしますから,長年腕時計を買ったりすることもありませんでした。 当時の腕時計は,竜頭を回してゼンマイを巻くものが主流で,ちょっと洒落たものとしてアナログの自動巻きなるものが既に一般化しつつあったと思います ただ,中学の時の美術の先生が,この方は高名な画家でもありましたが,デジタル表示の腕時計を自慢しておられたのを覚えています。 多分世界的にも初期のもので,当時の価格でン十万円したと言っておられました。 そんな私が,自分で腕時計を買うようになったのは,就職してしばらくしてからのことだと思います。 腕時計に関しては,いわゆるステータスとして,高級な腕時計に高い関心を示す人もたくさんおられるようです。私の周りにも,いざ高級な場所に飲みに行くという時に,いつもはタンスの奥にしまい込んである金ぴかのロレックスなんかをこれみよがしに腕に巻きつけてくる人もたくさんいました。 さてさて,ステータスという語には,いろいろな訳があり,社会的地位というのが一般的ですが,社会的地位だけでなく,生きがいや名誉,尊敬などを含めた「名誉価値」といった語が一番適切なのではないかと思います。 集団や地域によって,特定のステータスが,広く共有されていることが多々あります。 特殊な競技,趣味集団にあっては,それは当然のことではありますが,一秒でも早く走る,誰よりも美しい音を出す等々ということが,一番のステータスとなります。 それとは別に特殊なグループでもないのに,ある集合体で長年の間に形成されてくる特有の共通したステータスがあるように思えます。 モノに関していえば,腕時計や車は,非常に出番の多いものであろうと思えます。 また,テレビなどで,よく芸能人が身に付けているものの値段を争ったりしている番組等がありますが,特に男性の場合,その値段のほとんどが腕時計の値段で,ン百万円なんてものがまたまたこれみよがしに映っていたりします。これは芸能人だけでなく,いろんな集団で同様なことが見られます。 また,私の独断的な感覚では,腕時計にステータスを感じる人の多くは,車についてもいわゆる高級車といわれるものに強くあこがれを感じている人たちではないかと思います。「一度は乗りたい○○」というキャッチフレーズで知られる車を入門に,果てはマンション1戸分の値段と変わらぬ外車に乗って,窓から出した腕には,これみよがしに高級腕時計がはまっています。 私は,しかし,そーいうものにあまり興味を持たない人間でありまして,腕時計を自分で求めるようになってからも,恐らく1〜2回の例外を別とすれば,10,000円以上のものを買ったことがありません。 今は,家電量販店を入ったところには,携帯,スマホが並んでいますが,一昔前は,その場所を腕時計が占めておりました。 そこで,とりあえずは10,000円以内で,気に入ったデザインのものを買うのが私の常でありました。 そういう値段のものですから,しばらくしますと,時間が微妙に合わなくなります。また,そういう状況になる前に往々にして,電池が切れて動かなくなります。 以前は,そういう時には,分解掃除であるとか,電池交換といったことになったのでしょうけど,いつからか私は,そのような現象が生じるのを一つの機会として,新しい腕時計を買うようになりました。 電池の寿命などからして,おそらく1〜3年というサイクルで買い替えていたのだと思います。 メガネや小銭入れを新調するような感覚ではあります。 しかしながら,今使用している腕時計の使用期間は,多分10年に及んでいます。 何故かといいますと,ソーラ電池により電池が切れることはなく,電波時計のために時間が狂うこともなく,極めて正確に動き続けているからであります。 秒単位まで標準時と合っていますから,常にラジオやテレビの時報と一致しています。 昔の腕時計でしたら,考えられないことであります。 何時何分になったら,○○をスタートしますなんてことも,自分の腕時計で躊躇することなく,正確に行えます。 また以前でしたら,経年で竜頭やいろいろな部分がすり減ったりしましたが,今はチタンなどが材質ですから,先ず原型のままです。 そして,何かのきっかけで自分へのご褒美として高級な腕時計を1つ・・・・というほど腕時計にステータスを感じていませんから,買い替える要素がありません。 私の身に付けているもので,最も高価なものでは決してありませんが,最も年齢を重ねたものの一つであることは確実です。 |