菜園日記2016年1月

 3日(日)  暖かなお正月となりました。
 年明け初めての畑です。
 ニンニクもタマネギも,この暖かさで好調?です。
 ミズ菜はまた葉を伸ばしています。
 ミニキャベツはあまり大きくなっていません。
 エンドウマメは,花も実もたくさんありますが,実の様子はパリパリと少し力を入れると折れてしまうような感じです。まあ,この時期にできること自体がおかしいのかもしれません。
 ブロッコリーもあまり花蕾を大きくしてきません。
 ネギを1ケ所抜きます。
 ダイコンもあまり太くなってきません。そこそこのもの1本を抜きます。
 ベンリ菜は相変わらずです。
 後は,草抜き等々・・・
 10日(日)  長く暖冬が続いていましたが,少し寒さが増してきました。といっても,例年と比べると暖かな1月です。
 昼から畑へと向かいます。
 ニンニク,タマネギは元気に少しずつ大きくなっています。
 ミズ菜をまた少し収穫いたします。
 ミニキャベツはあまり大きくなっていませんでしたが,2つ目を収穫して,終わりといたします。初めての作でしたが,それなりに出来ました・・・
 エンドウマメは,相変わらず,花はたくさん咲きますが,実はパリンパリンのものばかりです。
 ブロッコリーは収穫なしとなりました。
 ネギを2ケ所,抜きます。
 ダイコンは,相変わらず太くなりません。他の人の畑を見ても,太いダイコンはあまり見当たりません。そういう年なのかもしれません。比較的大きなもの1つを抜きます。
 ベンリ菜は,相変わらずです。
 後は,草抜き等々・・・
 17日(日)  所用のため,本日は畑はお休みとなりました。
 24日(日)  何十年かに一度の寒波襲来との週末となりました。
 大雪が心配されましたが,京都市内は積雪もなく,しかし,大変寒い中を昼から畑へとまいります。
 ニンニクやタマネギは,寒さの中,じっと少しずつ生長しています。
 ミズ菜はまた葉を広げています。少し収穫いたします。
 エンドウマメは相変わらずです。
 ブロッコリーは頂花蕾,側花蕾を少し大きくしていました。数個の収穫です。
 ネギも1ケ所を抜きました。
 ダイコンは相変わらず,あまり太くなりません。1本を抜きます。
 ベンリ菜は相変わらずです。
 非常に寒いので,早々に退散いたします。
 31日(日)  1月も最後の日となりました。
 先週の大寒波が嘘のような暖かな日曜日です。
 昼前に畑となりました。
 ニンニクとタマネギは,順調な感じです。
 ミズ菜もまた葉を広げていますが,今日は採りません。
 エンドウマメは相変わらずです。夏に植えたネギのようにどこかで復活するかなぁという期待はあります。
 ブロッコリーはあまり側花蕾を大きくしていません。数個採ります。
 ネギも2ケ所抜きました。
 ダイコンもあまり太くなっていませんが,1本を抜きます。
 ベンリ菜は相変わらずです。
 昼から所用がありましたので,早々に退散いたします。

 これもまた歳のせいなのか,最近は明け方ぐらいに目が覚めて,再び本格的には眠られなくなってしまうことがよくあります。
 今朝も実は,目が覚めてトイレに行きましたら,朝の5時でした。
 目覚まし時計は6時にセットしていますので,まだ1時間ほどあります。
 しかし,最近は,こういった場合にあらためて眠ることがなかなかできません。
 とって,睡眠が十分というわけでもなく,あと1時間,なんとか眠ろう眠ろうと努めるのですが,そういう時はまあ深い眠りに入ることは稀で,だいたいは,ボーっといろいろなことが頭に浮かんだり,極めて短い睡眠が何度かやってきたりして,いつの間にか目覚まし時計が鳴る時間となってしまいます。

 この朝も,そんな時間を過ごしていたのですが,早朝の夢の中で,私は以前在籍したいくつかの職場を連想させるような場所で,カバンを盗られてしまい,非常に困って探し回っていました。
 カバンの中身のものなど,夢の中でもけっこうリアルな設定でした。
 しかしながら,いろいろと探しても見つからず,これは諦めなくてはダメか,カード類の再発行やらなんやら,いろいろ届出などが必要になるなぁとえらく現実的な手続きの心配などをしていたのです。
 ところが,ある場面で,急にこれは夢だと気付いてしまいました。
 夢から覚めさえすれば,この事態から脱出できる,カバンはちゃんと盗られずに残っている,と安心した夢の世界となりました。
  私は,こんな感じの夢を良く見ます。一つひとつのはっきりした記憶はありませんが,かなり以前から夢の中で夢に気付くことがあります。
 だいたいはピンチが訪れ,しばらくしてそれが夢だと気付いて安心するというパターンです。
 逆に,とても幸せな夢を見ていて,夢と気付いてがっかりというようなパターンは記憶にありません。
 そもそも夢に気付くということはどーいうことなのでしょう。

 ちょっと調べてみましたら,明晰夢という概念があるようです。
 これは,一つに夢の中で自分の夢に気付くということもありますが,もう一つの要素として,そこからの進展形なのか,自分の見たい夢を見ることも可能なように記述してあります。
 私の場合,自分の見たい夢を見たことはありません。
 といいますか,見たい夢を見るためにそれなりの努力をするということに,あまり興味はありません。

 一方で,自分の見たい夢を見る事,それ以前のものとして,夢の中で夢に気付くことに対し,そんなことは信じられない!嘘だ!と言う人も多く存在することが分かりました。
 私も,自分が夢に気付く人間ではなかったら,夢を夢として意識して,またさらに自分の好きなようにコントロールするということに,大いに疑問を持つようになっていたかもしれません。
 
 夢は,また一般的には不可思議な現象であるためか,極めてオカルト的に捉えられることもしばしばです。
 オカルト的に捉えると自己完結的に「楽しい」あるいは,自分の「知的好奇心」を簡易に満足させられるといった側面があると思います。オカルトマニアはオカルト的世界が想定されると,自分なりの解釈をすることに喜びを感じます。自分の体験や思考の及ばない世界を,そのような形でしか把握できないのかもしれません。
 というか,世の中の説明の困難な多くの現象を,説明するための努力をすることなく,自分のオカルト的モノサシでバッサリといくわけですから,自己満足的快感は大であると想像できます。

 夢の領域の中でこのオカルト的解釈が大活躍する代表は,いわゆる「かなしばり」ではないでしょうか?
 私は,ある時期,この「かなしばり」をけっこうな頻度で体験しておりました。
 しかし,いつの間にかこれもまたその最中に「これは『かなしばり』である」と自覚できるようになりました。
 当時の,かなしばりに対する私の解釈は,「眼を開けて,夢を見ている状態」というものでした。自分が現実的に見ている寝室の天井や壁に,夢の中の光景が重なってしまっているという理解です。

 まあ,かなしばりの科学的な説明は,通説的にはこの私の素人解釈とは別に存在していますが,その差はともかく,かなしばりは昔から世界中でオカルト的に説明されてきたものの一つではあります。
 現象的にオカルトファンの喜ぶべき要素がつまってもいます。
 多くの人が,かなしばりを魔物や霊の仕業とし,最近では宇宙人の行為と結び付けてもいます。
 問題は,現在では,かなしばりの科学的な解明が進んでいるのにもかかわらず,それを敢えて知らぬふりをして,オカルト的な解釈をしたがる人が非常にたくさん存在するということではないでしょうか?
 この「敢えて知らぬふりをすること」は,多くのオカルトファンの特質であるとも考えられます。
 
 他に,例えば,現実的にはありえないといわれる姿を現出させている古代文明の遺物とされるものの正体は,オカルト的解釈の他方で,既に科学的に解決されているものがほとんどです。
 例えば,古代マヤ文明の水晶ドクロなどが有名です。ン千年前に,そんな加工や研磨の技術がない時代に,等身大のピカピカとした水晶ドクロが製作されて,現代に発見されたのです。
(*水晶ドクロ:水晶で作られた人間の頭蓋骨模型。マヤ文明などの考古遺物とされている。当時の技術水準から考えてあまりにも精巧に造られているとも思えるためにオーパーツとして取り上げられる。)
(*オーパーツ:発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物品。)
 古代に獲得されていた超文明や渡来した宇宙人が地球人に伝えた技術,そんな論の展開に夢が膨らみます。
 最近,科学的分析によって,どのようにしてダイヤモンドで削ったのか,はたまた顎の付け根には特殊なドリルで穴を開けた跡が見られるとか,いろいろと判明してきても,オーパーツにロマンを感じる人々は,それらの情報に耳をふさいで,超古代文明の解明を継続いたします。

 また例えば,ミステリー・サークルは,製作者が製作の方法を明らかにしているのにもかかわらず,オカルト雑誌などはそれらを無視して,相変わらずさまざまな憶測を書き連ねます。
(*ミステリー・サークル:穀物が円形に倒される現象。円が複数組み合わされた形状や,さらに複雑な形状のものもある。)
 ここでも宇宙人や特別な地場のパワーなどが熱く語られます。
 冗談好きな人間が暗闇に紛れて麦畑で作業する姿は絵になりませんが,ある日「突然」出現し,良く晴れた日の穀物畑に大きく広がる幾何学模様のミステリー・サークルは,マニア雑誌のグラビアに欠かせない景色ではあるでしょう。
 その方が楽しいし,今までの自分の発言や推定に矛盾することもなく,自由に空想の領域で原因を究明する事ができますから,好奇心を安易に満足させることができます。

 私は,しかし,いわゆる超常現象の類を全否定するつもりは全くありません。
 どちらかというと,マニアックではないけれども,「信じる側の人」です。
 UFOの写真や動画の多くが,他のものとの錯覚やあるいは人為的なものであったとしても,残りの全てが同様な偽物とは限らないでしょう。
 しかし,マニアックに声を大きくして「UFOは現存するのであるから,この証拠写真を偽物と言うのは,○○機関の陰謀である!」と言ったところで,それはやはり自己満足としか言いようがありません。
 本当にその存在証明を希望するのであれば,一つひとつをもう少し謙虚に検証していけばいいのに・・・と思ってしまいますが,そういう立ち位置の方はなかなか多くはないようです。
 まあ,否定する側も十把一絡げに全てをとにかく否定するという方が多いのは,ある意味同列の存在と思ってしまいますが・・・

 そういえば,先日テレビで,某血筋の某憲法学者という人が,サルからヒトへと続くその間の化石などは全く残っていない。だからサルからヒトに進化してきたという進化論なんて全くの嘘なのだと主張していました。
 この方の場合は,「敢えて」ではなく,本当にそちら方面の知識がないのかも,あるいはミッシングリンクというものに対する考え方があまりに素人的過ぎるのかもしれませんが,番組の中で専門家から「もう少し勉強しなさい」とたしなめられても仕方ないことではあります。

1月末の畑の様子



タマネギ

 

エンドウマメ


ネギ


ベンリ菜


水菜



ニンニク


ブロッコリー

カリフラワー




ダイコン




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