菜園日記2015年12月

 6日(日)  12月に入りました。
 比較的暖かな12月です。朝からの畑です。
 ニンニクは元気ですが,今の時期からこんなに太くなっていいのか・・・というぐらいです。
 タマネギはヒョロヒョロと少しずつです。
 葉物野菜はトウが立ってきました。水菜,サラダ菜を少しずつ収穫です。
 エンドウマメはあまり実ができていませんでした。数個の収穫です。
 カリフラワー,ブロッコリーとも本日は収穫はありません。
 ネギを1ケ所抜きます。
 ダイコンも3ケ所ほど間引きます。
 ベンリ菜は相変わらず虫食いだらけですが,ちょっと新たに蒔いた種も発芽してきました。
 後は,草抜き等々・・・
 13日(日)  暖かな12月が続いています。
 お昼から畑へと向かいます。
 ニンニクは相変わらず元気(過ぎる?)感じです。
 タマネギもヒョロヒョロながら少しずつ大きくなってきました。
 ミズ菜をまた少し採ります。
 サラダ菜は,トウが立ってきましたので,何枚かの葉を採って,抜き取ります。
 ミニキャベツはなかなか大きくなりません。
 エンドウマメもあまり実ができていません。
 ブロッコリーも側花蕾はまだまだです。
 ネギを1ケ所抜きます。
 ダイコンも大きくなってきました。1ケ所を抜きます。
 ベンリ菜は相変わらず虫に食べられたままです・・・
 後は,草抜き等々・・・
 20日(日)  全国高校駅伝の開催日です。
 午前中に女子,午後に男子が走るため,交通規制が非常に多くなります。
 合間をぬって,お昼に畑へ。
 ニンニク,タマネギとも茎を太くして,元気な様子です。
 ミズ菜はまだまだ葉を茂らせています。また少し収穫いたします。
 ミニキャベツは2つ目の球を大きくしてきました。
 エンドウマメはまた実をつけていました。10個ほどの収穫です。
 カリフラワーは完全に菜の花となっています。
 ブロッコリーの1つがここにきてやっと頂花蕾を大きくし始めました。今1つのブロッコリーから大きな側花蕾を3つほど採りました。
 ネギを1つ抜きます。
 本日のダイコンは採るべきものがありません。
 ベンリ菜は相変わらずです。
 後は,草抜き,化成肥料等々・・・
 30日(水)  今年最後の畑となりました。
 暖かな12月が続いています。
 ニンニクとタマネギは,順調な様子です。
 葉物野菜もまだまだ大きくなっています。
 エンドウマメは今日はたくさんの花をつけていましたが,株全体にちょっと疲れてきた感じです。できていた実も少し変な色となっています。
 ブロッコリーはあまり大きくなっていません。
 ネギを3ケ所ほど抜きます。
 ダイコンはあまり大きくなっていません。
 ベンリ菜も相変わらずです。
 今年の畑は。全体的にはいい感じできたのではないかと感じています。
 来年も穏やかで元気な畑であってほしいものです。

 もうかなり以前になりますが,なんとなくテレビを眺めていた時のことです。
 具体的な番組名などは全く記憶にありませんが,趣味を同じくしているといった感じの高齢者グループが映っていまして,その中の一人が,
 「最近は,毎日が楽しくて仕方がない。趣味のことや仲間のことなど,この歳になって人生で一番楽しいと感じている。」というようなことを言っておられました。
 それを聞いた時,私もそれなりに若くありましたので,そんなことがあるはずがない,同じことをするにしても若い時の方が気力体力も充実していて,いろいろと楽しめるだろうし,こういった発言は歳を取った人間の「自己満足的自分自身納得説得の感情」でしかないと決めつけておりました。
 しかし,その後,このような発言をされる方が非常にたくさん存在することが分かってきました。
 いわく,70歳になって地域の老人クラブの集まりに積極的に参加するようになり,今までの人生で最も充実した時間を送っている。
 サークル活動もとても面白いし,仲間との交流も非常に上手くいっている。歳を取ることがこんなに楽しいものとは思わなかった。
 ・・・等々。
 
 そして,私も,なんということか,最近なにか楽しいのです。
 これはいったいどういうことなのでしょうか?

 私のようなサラリーマン生活の定年という区切りを迎えたような人間に典型的な理由かもしれませんが,一つに現役時代の役職・地位・責任といったものから離れて,身軽になったことが挙げられそうです。
 管理監督責任,職場その他の逃れられない人間関係,トラブル発生時などの煩雑で困難な事務処理,大きな仕事を任されることの重圧等々。
 多くの人は,定年退職前には,組織の中で重要な役割を課されていたことが多いでしょうから,それに比例してストレスもかなり大きくなっていた時期です。同時に人間関係などもどんどん複雑となって,ストレスに拍車をかけます。
 そういった状況からの離脱が大きな解放感をもたらすことは,容易に想像できます。
 しかし,世の中の大多数の人はともかく,私などは現役の頃からとても無責任な人間でしたから,退職によって重い責務から解放されたというには無理があるかもしれません。
 まあ,しかし,私のようないいかげんな人間ですらそれなりにストレスはあったでしょうから,事実として解放感は少なからず生じたのでしょう。

 また,失礼な取り上げ方になるかもしれませんが,実際上の多数例として,夫に先立たれた高齢女性に多く見られるのは,(本人曰く)夫にいじめられていた?長い月日から,自分一人で自由気ままに過ごせる時間を獲得したという状況ではないでしょうか。
 ご主人と非常にうまくいっていて,仲が良く,別離の悲しみがとても大きかった方であっても,そのこととは別に,やはりなんらかの束縛から解き放たれた感は少なからずあるのではと思います。
 このような話は,本人からも良く聞く話ですし,男である私もその気持ちは良く理解できます。
 そして,サラリーマンに代表される組織人間の多くが,会社などの場で築かれてきた一種閉鎖的な社会性を定年と同時に失い,といって地域社会にはなかなか溶け込めず,結果として孤立して自宅に閉じこもってしまうことも多いのに対し,専業主婦であった女性の多くは逆に,歳を取って夫との別離を機に家庭から離れ,地域等におけるコミュニティの中で新たな社会性を得て,充実した時間を過ごしておられます。
 人間という存在にとって,この社会性の有無は大きな意味を持ちます。
 それが,いきいきとした高齢生活の根幹となっているのかもしれません。

 さてまた,従来からの趣味の領域でも,例えば絵や書を鑑賞したり音楽を聴いたりする際には,一般的には若い頃より理解力などが高まっていて,そのような対象と向き合った時も,歳と共に楽しみが深まるといったことがあるかもしれません。
 経験が増え,いろいろなことがそれなりに分かってくる。分かってくると,さらに深く,多くのことを楽しむことができるという循環は確かに存在するでしょう。
 私も実は,もうちょっと歳を取ったら,俳句を本格的にしてみたいなあと考えたりしています。若い時には全くといっていいほど興味のなかった世界なのですが,最近,年の功?なのか,あの俳句の中の日本語の凄さが少し分かるようになり,それを作ることへの憧れが生じてきました。
 また,老人クラブのサークルなどに用意されている趣味,習い事の多くが,あまり多大な労苦を要さずに達成感を得られる類のものであることも,充実感を得られる一因かもしれません。そのようなストレスの溜まりにくい趣味のサークルで仲間とのコミュニケ―ションが展開すれば,精神的な高揚感は少なからず得られるでしょう。

 あるいはまた,若い頃と比べて,一般的に経済力が向上していますから,若い時期に買えなかったものもけっこう楽に買えますし,当時は食べられなかった高級料理も食べられる,行けなかったところにも行けるようになるということもあります。
 若い時の憧れが現実のものとなるということが人の感情に与える力は,なかなか大きいものと思われます。

 これに関して,私の興味に近いものと言えば,例えばオートバイとギターがあります。
 昔日に買えなかった大型バイクを購入して,時間があればツーリング三昧という高齢ライダーは多く存在します。バイクに乗っていることに煩く注意する大人ももういません。身の回りのほとんどは自分より年下であります。
 また,パイクで自由気ままな長期間のソロツーリング!などといったことを考えますと,若い時にはなかなか旅費の工面もできず,会社でそれなりの役職についてからは,収入は増えても長期間の連続休暇などとんでもない!といった生活がン十年も続いてきたのです。
 現代社会では,特に日本では,収入と休暇のバランスがそれなりに取れる年齢は,一般的にはそれなりの高齢となってしまいます。
 そういう意味では,現実的に,高齢者となって初めて実現できることが多種多様に存在しています。

 また,学生の頃は手の届かなかった外国製エレキギターの本物を入手して,おやじバンドを結成し,ライブなどを楽しむというおじさんおばさんもたくさんいます。もうギブソンやフェンダーというアメリカ製のギターを手にしているだけで,ニコニコが止まりません。あこがれのジミー・ペイジやエリック・クラプトンと同じギターを持ってステージに立っているのです。気分は,ロックスターです。
 ニコニコするだけでなく,年の功で余裕も生じます。
 若い時でしたら,「何で課題曲をちゃんと覚えてこないんだよ!」「スタジオ代は高いのに,遅刻するんじゃないよ」など,バンドを真剣にやろうとすればするほど,他のメンバーへの不平不満が噴出したりいたします。
 ある意味当然のことではありますが,これまた歳を取りますと,まあ世の中にはいろいろな人間が存在するのだということが大きな前提となりますから,若い時のようにいちいち怒ったり,他人の非を咎めたりはしなくなっています。
 いいのか悪いのか?楽しい時間に無用な?トラブルを持ち込まない知恵を授かっています。

 それに歳を取りますと,「イイカッコ」をしなくても良くなります。
 若い時ですと,人気のスポーツカーに乗ったりする機会があると,街の人間全てが自分の運転に注目しているような意識となり,カーブでもカッコよく走り抜けなければならないとのプレッシャーが生じたりしますが,歳を取るとそんな過剰な自意識もなく,「俺もこんなスポーツカーに乗れるようになった」という一点での満足で,もう嬉しくて仕方ありません。
 もう平和で幸せな世界であります。
 生きていて,頑張ってお金を儲けてきて良かった!と実感できる至福の時間であります。

 それなりのお金もでき,それなりの時間的余裕もできて,欲しいアイテムを獲得し,若い時にできなかった,してみたかったことができるようになるという要素は,高齢者の幸福感にとって非常に大きいものであると思います。

 しかし,そうすると,私は今何故楽しいのか・・・という疑問がまた頭をもたげてきます。
 再就職によって収入は激減!し,勤務体系の違いから,休暇取得日数も激減!しています。
 また何か違う要素があるのでしょうか?

 一つに,長いサラリーマン生活に区切りがつく,あるいは,長い夫婦生活の区切りとして一般的に夫が先立つというような場合,何十年も続いた「型」からまた新しい状況に移動するということが言えるかもしれません。
 若い時でしたら,例えば3年間で高校を卒業して,大学と言う新しい環境に入り,非常に新鮮な空気の中で活動するわけですが,その大学生活も4年間という短い期間で終えると,多くの人は就職というまた新しい環境に突入いたします。しかし,今度は一般的には何十年間もあまり変化のない状況で日常を繰り返します。
 学生時代からの卒業と同時に,ン十年の継続的社会に入り込む,あるいは,結婚と同時にン十年の継続的環境に突入する。
 継続的といっても,人生山あり谷ありですから,それなりの変化はあるわけですが,高校や大学時代の3年間4年間のように人生初めての経験が次から次へと連続する時間とはまたちょっと異なるものではあります。
 しかし,定年等により,そこからまた違う世界への「入学式」があって,「新入生」気分での生活が始まる。
 そんな久しぶりの何かワクワクした気分は,今の私も持っているのかもしれません。

 そのような長かった世界からの脱却=新たなる世界への進入は,久しぶりの確かに新鮮な喜びであります。

12月末の畑の様子



タマネギ

 

エンドウマメ


ネギ


ベンリ菜

ミニキャベツ

水菜



ニンニク


ブロッコリー

カリフラワー




ダイコン




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