菜園日記2015年9月

 6日(日)  9月に入って,ほぼ毎日雨が続いています。
 本日も,朝から断続的な雨が降っていましたが,昼から先ずアヤハに行き,腐葉土,石灰,そして牛糞を購入して,畑へと向かいます。
 キュウリは完全に枯れています。
 シシトウは株の背を一挙に伸ばしてきましたが,実は数個だけの収穫となりました。
 オクラも同じく大きく背を伸ばしてきました。これもまた数個の収穫。
 トマトは完全に終っています。
 ナスも本日は収穫はありません。
 エダマメの跡地に,石灰,腐葉土,牛糞を入れて,少し耕しておきます。
 ネギは,ここにきて少し元気になってきました。
 葉物野菜のスペースはモロヘイヤが異常に大きくなっています。
 ゴーヤは3個採れました。
 また強い雨が降ってきましたので,早々に退散いたします。
 この時期,夏野菜の始末と冬野菜の準備でけっこう畑も忙しい時期なのですが,こんなに雨ばかりでは,なかなか進みません・・・
 13日(日)  久しぶりに良く晴れた日曜日となりました。
 昼過ぎから先ずアヤハに行き,腐葉土,野菜用の土,石灰,そしてブロッコリーとカリフラワーの苗を購入して,畑へと走ります。
 キュウリは,完全に枯れていますが,とりあえずそのままにしておきます。
 シシトウは,先週,曲がった実しか採れませんでしたので,もう最後かと思っていましたが,今日は,また株も背を伸ばし,青々として,良い感じの実を付けていました。数個の収穫です。
 オクラも,いい感じの大きさの実を数個収穫いたします。 今年のオクラは今までで一番調子がいいです。
 トマトとナスを終わりにします。特に今年のトマトは最後まで良く熟した実がたくさん収穫できました。
 トマトとナスの跡地に,石灰と腐葉土を入れ,荒起こししておきます。
 エダマメの跡地を耕して,野菜用の土を入れ,畝を作ります。
 そこに南から,カリフラワーを1つ,ブロッコリーを2つ植えました。
 ネギはゆっくりと大きくなっています。
 葉物野菜のところは,モロヘイヤが大きく木になってきました。
 ゴーヤは小さな実を3つ採ります。そろそろ最後かもしれません。
 後は,草抜き,液肥等々・・・
 20日(日)  秋晴れの下に涼しい風の吹く時期となりました。
 昼からアヤハに行き,腐葉土,畑の土,石灰,エンドウ豆・ミニキャベツ・サラダ菜,水菜の苗,それからダイコンとベンリ菜の種を購入いたします。
 畑へ。
 すっかり枯れたキュウリはそのままにしておきます。
 シシトウはまだまだたくさんの実をつけ,花を咲かせています。株も1メートルを軽く越えています。10個ほどの収穫。
 オクラも背は,シシトウと同じぐらい伸びています。数個収穫。
 トマトとナスの跡地に畑の土を入れて耕し,畝を作成。そこに南から,水菜,サラダ菜,ミニキャベツ,エンドウ豆の苗を植えます。エンドウ豆には,支柱を添えます。
 先週植えた,ブロッコリーとカリフラワーは元気な様子です。
 ネギもここにきて頑張っています。
 葉物野菜とゴーヤを終わりとします。跡地に石灰と腐葉土を入れて荒起こししておきます。
 後は,草抜き,ビタミン剤,等々・・・
 27日(日)  9月も最後の日曜日となりました。朝から畑へと行きます。
 キュウリは,本日もそのままとしておきます。
 シシトウとオクラはそろそろ終わりに・・・と考えていましたが,両方とも青々としていて,次から次へと実をつけています。
 シシトウは,30個ほど,オクラも10個ほどの収穫です。
 まだしばらく置いておくことといたします。
 先週植えた,水菜,サラダ菜,ミニキャベツは元気です。
 同じく,エンドウマメはまた背を伸ばしてきましたので,長い支柱を沿えておきます。
 ブロッコリーとカリフラワーも元気な様子です。
 ネギは少しずつ大きくなっています。
 葉物野菜とゴーヤの跡地を耕して畝を作り,南側にダイコンの種,北側にベンリ菜の種を蒔きました。
 後は,液肥,ビタミン剤等々・・・

  私がゴルフを始めてからちょうど25年になります。四半世紀も継続していれば,それなりにそれなりのレベルに達してもよさそうなものですが,我ゴルフに関しては恐ろしいほど進歩は見られず,微々たる一進一退が延々と続いているだけといった困り果てた状態ではあります。
 これが,(自己弁護をいたしますと)多分,ゴルフのゴルフたるところで,対象がテニスとかピアノとかゴルフ以外のものであれば,ほとんど全く違う様相を結果しているのではないかと思います。
 で,そのゴルフのラウンドには近郊だけではなく,場合によっては片道2時間以上の道のりも含め,いろいろな地域へと出かけてまいります。
 滋賀県方面に行くことが比較的多いのですが,その滋賀県でもゴルフ場の多く集まっている場所の一つに信楽があります。
 古くは紫香楽の宮の所在地でありますし,今も街の全域に信楽焼きの工房や販売店が立ち並んでいます。象徴でもある狸の置物は,見ているだけでもなかなか楽しいものです。
 京都から信楽方面に車を走らせる時,今は第2名神ができましたので信楽インターやその前後で降りますが,以前は瀬田から大戸川沿いのくねくねとした細い道路をずっと走ってまいりました。
 その川沿いの道に入るまでの道路も,住宅街の建設等に併せて年々整備が積み重なり,走りやすくなりました。
 もう10年以上前になりますが,ちょうど市街地から大戸川沿いの道に入るすぐ手前の交差点にコンビニができました。
 その少し手前,瀬田西インターを降りてすぐの所にも,以前からコンビニはあったのですが,通過する道路に面していないこと,駐車場が狭いこと等もあってあまり利用していませんでしたし,他のお客さんもそれほど多くはなかったように思います。
 しかし,その新しいコンビニは,ゴルフ場に向かう一本道の手前の交差点にでき,また交差する道路もそれなりに交通量があり,他に競合店もありませんでしたから,私の知る限り休日の朝等にはかなりの盛況でありました。
 ゴルフに行く人間は,その姿を見れば一目瞭然です。なにせ早朝から,ブレザーを羽織り,年甲斐もなく派手なスラックスを穿いて,遠足に行く子どものように期待を膨らませた表情をしています。
 皆,ゴルフのラウンドが始まるまでは,いっぱいの期待で満たされています。まぁそこまでの夢ではありますが。
 そして彼らは朝早くからけっこうな距離を走ってきますから,多くはコンビニで,軽食や飲料を買い求めます。
 そんな客が見るからに多かったですから,そこでゴルフ用品を売っても,かなり売れるのではないかと思えるぐらいでした。
 我々もそちら方面に行く際には,必ず立ち寄っていました。私はそこでおにぎりとお茶を買って,朝食を取るのが常でした。
 同行の友人と,こんな場所にコンビニを建てたら,凄い地の利だなあ,儲かって仕方がないなぁなどと話したりもしておりました。
 しかし,それからしばらくして,第2名神が開通いたします。信楽方面に行くゴルフ人間のほとんどは,第2名神を利用するようになりました。私も同様です。今は,第2名神のサービスエリアで休憩したりしています。
 従って最近は,私もこのコンビニの場所は通らなくなりましたので詳しい事情は分かりませんが,グーグルマップで見る限り,そこにコンビニの姿は既にありません。

 場所そして時期による盛衰というのは,つい盛者必衰の理なんて平家物語の一節を思い出してしまいますが,当たり前のこととはいえ,さまざまな形があると思います。

 例えば,たまに私は古い街道を走って,亀岡や篠山方面あるいは川西の方へと出かけますが,その山道をくねくねと回り込んで上下する旧道沿いには,多くのドライブインや食堂等が廃墟となったまま残存している姿をたくさん見かけます。
 私も昔々に入ってコーヒーなんかを飲んだかもしれぬ店舗も,閉店してからン十年経っても撤去されずに朽ちたまま残っていたりします。
 おそらく当時は,かなりの車両が通り,業務で連日往復するようなトラックの運転手などはそこで休憩することを日課にしていたのかもしれません。
 しかし,県境を超えての移動のためには,当時はその道しかなかったクネクネとした細い峠道は,いつの間にか,山をストレートに切り開く太い道路や山々の間を高架で結ぶ専用道に取って代わられてしまいます。
 古い峠道の交通量は,圧倒的に減少いたします。
 商売が成り立たなくなってしまった多くの食堂などは,店をたたむもしかし,撤去費用も捻出できず,あるいは長い年月の中で相続もされているのかいないのか,そのまま放置されているのでしょうか。
 ちょっと調べてみましたら,全国的にこのドライブインの廃墟はかなりの数が存在しているようです。そして,少なからずそれらは「心霊スポット」として,再活躍?しているようでもあります。

 このような旧道に栄えた店々とは別に,ちょっとした観光地に喫茶店などが,同じように放置されている場所が多くあります。
 多くは,私の見るところ,バブルの時代にたくさんの客であふれていた観光地の今の姿です。従って,それらに関しては,前記のドライブイン等々よりは,まだ新しいキレイな姿をしているものが多くあります。
 バブルの時は,しかし,日本中の観光地が人で溢れていましたが,これもまた場所と時間の理なのでしょうか。
 あるいは,マスコミ等で大きく取り上げられて急遽人出が多くなったけれども,その後ブームが去って,パッタリと訪れる人がいなくなったような場所,また,新しい交通機関ができたために不要となった旧来のターミナル駅,大きな工場が引っ越してしまった産業城下町,閉山となった炭鉱等々・・・。
 その当時の賑やかさは,寂しい思い出と廃屋の風景に変わっているのかもしれません。

 またちょっと事情は違いますが,最近国内でも特に目につきますのは,例えば火山の噴火が本格的に再開したような地域でのお土産屋などの観光産業です。
 火山が,適度に噴煙をあげ,そのような活動に伴って温泉や風光明媚な景色が出現したりするわけですが,その現象が「適度」である限り,格好の観光名所であり,人がたくさん訪れ,その周囲には多くの宿やお土産屋,そして交通業その他が華やかに活動するわけでありますが,火山活動が適度なレベルを超えて,火山「本来」の活動状態に移行してしまいますと,観光客ばかりか,当該場所に暮らす人々が活動することも困難となり,その地域の観光産業や日常活動は全く立ち行かなくなってしまいます。
 「適度」な火山活動とは,もちろん人間にとって「適度」なものではありますが,この勝手な適度さ加減によって火山国の日本は,非常に多くの恩恵を被っていたといえます。
 ある意味,皮肉な現象ではあります。

 そして,また少し意味合いは異なりますが,街の盛衰現象で圧倒的に記憶に残るのは,新宿歌舞伎町の景色です。
 例えば,1970年代の最後期にスペースインベーダーゲームが大ブームとなりますが,そうしますと駅から歌舞伎町に向かう大通りは・・・この道はなんという名の道路なのでしょうか。JR新宿駅から靖国通りを渡って歌舞伎町へと入っていく広い通りです・・・右も左も見事にインベーダーゲーム一色に染まります。
 昨日までの喫茶店も洋服屋もアッという間にスペースインベーダーのゲーム機しか置いていないスペースに変わります。見事としか言いようのない展開です。そしてやがてまた,新しいブームを追いかけて,極めて短期間の内に違う景色へと変わっていきます。
 そのスピードとその資本力にはなかなかビックリしてしまいます。
 こうやって,一時の時間と適確な場所に大量の資本が投入され,大量に回収されてまた次の場所へと動いていくのでしょう。
 
 今も峠に残るドライブインの廃屋や,観光地のフェリー乗り場に戸を閉められたまま立ち続ける喫茶店とは何かまた違う景色であるのか,それとも同じ景色なのでしょうか。

9月末の畑の様子


オクラ

シシトウ

 

エンドウマメ


ネギ


ベンリ菜

ミニキャベツ

サラダ菜

水菜



キュウリ


ブロッコリー

カリフラワー




ダイコン




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