菜園日記2015年3月

 1日(日)  3月に入りました。
初日,1日の日曜日ですが,生憎朝からの雨となりました。
畑はお休みです。
 8日(日)  全国車イス駅伝の沿道警備の日です。
 そのボランティアはお昼に終わりましたが,その後も所用が入り,今日も畑はお休みとなりました。
 15日(日)  ちょっと久しぶりの畑となりました。
 お昼から一旦職場で用事を済ませ,畑へと回ります。
 ブロッコリーは早くもトウが立ち始めてきました。まだ大丈夫そうな側花蕾を20個ほど採ります。
 ネギはこの暖かさのためか,大きくなっています。2ケ所を抜きます。
 最後の1本のダイコンを抜きました。
 ニンジンも終わりとします。けっこう大きなもの10数本の収穫です。
 ダイコンとニンジンの跡地を荒起こししておきます。
 葉物野菜もまた大きくなってきました。葉ワサビ,壬生菜,サンチュなど採ります。
 ニンニクも元気に大きくなっています。
 セルリーも大きくなってきました
 ソラマメは青々と葉を広げてきましたが,エンドウマメはちょっと不調です。
 後は草抜き等々・・・ 
 22日(日)  とても暖かな日曜日となりました。朝から畑へと向かいます。
 ブロッコリーはかなり花が咲いてきました。まだ食べられそうな若い花蕾を数個採ります。
 ネギも終わりに近づいてきました。3ケ所ほど抜きます。
 ダイコンとニンジンの跡地はそのままにしておきます。
 葉物野菜もまた葉を広げてきましたが,だいぶトウが立っているという感じです。少しずつ採ります。
 ニンニクは,この暖かさで急に背を伸ばしてきました。
 セルリーもここにきて急に葉を広げてきました。
 ソラマメも元気に葉を茂らせてきました。
 立ち枯れしたように見えていたエンドウマメは,2ケ所の内1ケ所に新しい青々としたツルが伸びていました。支柱に結んでおきます。
 後は,化成肥料,草抜き等々・・・
 29日(日)  3月も最後の日曜日となりました。
 朝からの雨で,畑はお休みです。
 雨の多い春となっています。

  先月のこの欄にも書きましたが,私はこの3月末で,還暦を迎え,同時に勤務先を定年退職となりました。

 私はこの仕事に25歳で入りましたが,当時の定年は55歳でありましたから,私の社会人生活としては,当時30年という時間が目の前に横たわっておりました。
(厳密に言えば,当時はまだ定年制度がなく,肩叩きを拒否し続けてかなりの年齢まで勤めている方もおられました。)
 それまで,例えば中学や高校時代の3年間とか,大学生活の4年間とかいうような短いスパンでしか年月の区切り・まとまりを知りませんでしたから,30年間というものは当時の私には途方もない長さの時間でありました。
 付け加えますと,私は学生時代,ずっと明け方に寝て昼過ぎに起きる,それどころか場合によっては空がまた暗くなってから起きるというような生活を続けていましたので(*),30年間にわたって毎日毎日ちゃんと朝早く起きて出勤するなんてことができるのだろーかと大変心配でありました。そんな私が,大過なく定年退職を迎えることができたのですから,恐ろしいことではあります。
(* またまた余談ですが,当時はコンビニなんてものは・・・少なくとも我アパートの近くには・・・ありませんでしたから,昼間に寝てばかりの日が続きますと,買物の機を失し,食べるものにも困ります。私は実際,大きな大豆パン,ぶどうパンではなく大豆パン!ばかりを食べて何日か過ごしていた記憶があります・・・
 ついでに書き加えますと,コンビニの日本での起源は諸説あってよく分からないようですが,少なくとも1975年には24時間営業を開始した店舗も出現したようではあります。)
 さてさて,私が就職して間もなくの頃,同じ職場の大先輩のところに,会議でもちょうど終わったのでしょうか,同僚らしき人が複数来られていて,「アッという間の30年間だったなぁ」というような会話を交わしておられた光景を覚えています。しかし,当時の私には30年間を「アッという間」と表現することは,とても不思議な一種理解を超えたことでありました。
 その後,定年は60歳に延びましたので,私の勤務は35年間となりましたが,今思い返せばアッという間の35年間という感覚はこの私にもよく分かります。
 しかし,そういう感覚とは別に,とても長くもあり,ある意味とても短くもあった年月であったと思い返しております。
 いずれにしても,退職,還暦という出来事は,物事に単純に感動するというような心の動きをあまり得意としない私にとっても,それなりの想いが生じるエポックではありました。

 還暦というと,しかし,あと残された時間は非常に少なくなったと考えてしまうこともあり,そのような状況で毎日をただ惰性で過ごすのも嫌ですから,通勤用のビジネスバッグを買い換えたり,ベースギターやゴルフバッグ等も新たに購入したりいたしました。
 近々にレコードプレイヤーも新調いたしたく考えております。(また昔日にため込んだLPレコードをゆっくり聴きたいものです。)
 まぁこれは,定年退職ということで,長年少しずつ貯めた貯金とかが戻ってきたという理由もあるのですが(まだ退職金なるものは頂いておりません。),しかし,少しはまだ先を見て進んでいきたいと思っています。

 さて,定年退職となりますと,いわゆる送別会の主役にさせられるイベントが連続したりいたします。
 私は,精神的に関西でいうところのヘンコでありますから,他人を送ったり祝福したりすることはともかく,自分がその立場になることはとても嫌いな人間です。非常に恥ずかしく思ってしまいます。
 明らかに自意識過剰な人間でもあります。本当は,徹底的にその場の主人公になりたいのかもしれません。
 前にも書きましたが,私には成人式などに晴れ着を着て出席する方々の精神構造が理解できません。まぁ正しくは,そういった世間的な常識を理解できないヘンコな人間というだけの話なのですが・・・
 そのヘンコは,例えば,小学生の時はまだ物心がついていなかったのか行動力が伴いませんでしたが,中学,高校,大学,大学院と全て卒業式なるものには出席しませんでした。
 そういう場の形式的な華やかさや和やかな雰囲気みたいなものが大嫌いでしたし,その華やかさのベクトルが自分に向けられてくるなんてことは全く恥ずかしく耐えられないことでもありました。
 しかしながら,今回の定年退職に関しては,長年の勤めで身についてしまったいわゆる私の「立場」なるものをいまさら全的に否定することもできず,何回かの送別の会に出席させていただきました。
 その実態は,非常に恐縮する,非常に嬉しいものでした。
 皆さんからいただいた花束や記念品,あるいは昔話や贈る言葉,宴席をセットしていただいたお手数,残していただいていた古い古い写真,寄せ書きの色紙,若い時の部下からの手作りの感謝状なるもの,目下の彼らからの酒席料の提供,そして何よりも上司としての私に対する部下としての(お世辞の)お褒めの言葉,等々,等々,その時間,空間,気持ちや想いは,私の35年間のみならず,ン十年間の人生においても最大の大事な宝物となりました。
 宝物・・・なんて極めて普通の表現ではありますが,ヘンコな私が皆さんのおかげで,アッという間の長い長い時間をかけてやっと普通の表現をできる人間になることができたのでは・・・と,これまた非常に恐縮して,非常に嬉しく思っております。
 
 ありがとうございました。

3月末の畑の様子



ネギ

 

(なし)


ニンニク


エンドウマメ

(なし)



ブロッコリー


サンチュ

レタス

壬生菜

ワサビ菜


ソラマメ


セルリー

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