菜園日記2015年2月

 1日(日)  2月に入りました。
 天気予報と違って,土曜日日曜日と雪の舞う週末となりました。
 昼から畑へと向かいます。
 畑も一面雪を被っていました。
 ブロッコリーは側花蕾をそんなにたくさんつけてもいませんでした。
 ネギは少し弱った感じです。
 ダイコンは大きく太くなっています。大きなもの2本を抜きます。
 ニンジンは,すっかり雪に覆われて葉を倒しています。
 葉物野菜も雪の中でした。
 ニンニクは,ちょっと苦しそうに寒さを耐えています。
 セルリーも雪の中でした。
 ソラマメ,エンドウマメは,寒い寒い冬をガマンしていますが,ちょっと弱った姿ではあります。
 また雪が舞ってきました。
 早々に退散いたします。
 8日(日)  暖かな週と寒い1週間が繰り返すようなこの冬です。
 昼から畑へと向かいました。
 ブロッコリーは側花蕾を数個採りました。今年のブロッコリーは側花蕾があまりできません・・・
 ネギは3ケ所ほど切って収穫です。
 ダイコンを1本抜きます。あと3本ほどとなりました。
 ニンジンを3本ほど採ります。今年のニンジンは最後まであまり大きくならないものばかりでした・・・
 葉物野菜もなかなかです。壬生菜が葉を広げていましたので,少し収穫いたします。
 ニンニクは頑張って寒さを耐えています。
 セルリーは相変わらずでした・・・
 ソラマメとエンドウマメも寒さでちょっと元気がありません。
 ミゾレが落ちてきました。
 後は草抜き,化成肥料,そして,退散です。 
 15日(日)  京都マラソンの仕事がありましたので,夕方から畑へと走ります。
 今年のブロッコリーは側花蕾が全然といっていいほどできません。こんな状態は初めてかもしれません・・・
 ネギは,ちょっと全体に元気を失っています。
 ダイコンを1本抜きます。残り2本となりました。
 ニンジンを2本抜きます。今年のニンジンは小さなものばかりでしたが,今日は少し大きいものが採れました。
 葉物野菜は壬生菜が元気です。たくさん収穫いたします。
 ニンニクは少し元気を取り戻した感じです。
 セルリーは相変わらず,大きくなりません・・・
 ソラマメとエンドウマメも相変わらずです・・・
 寒さもあり,早々に退散いたします。
 22日(日)  2月も最後の日曜日となりました。小雨の中,畑へと走ります。
 この時期の畑は,あまり景色が変わりません。みんなゆっくりと生長しています。
 ブロッコリーは,側花蕾をまだ大きくしていませんでした。
 ネギは少し元気になってピンと立ち上がってきました。
 ダイコンを1本抜きます。あと1本となりました。
 ニンジンは相変わらずです。
 葉物野菜も,壬生菜以外は元気がありません。
 ニンニクも寒さの中頑張っているという感じです。
 セルリーもなかなか大きくなりません・・・
 ソラマメ,エンドウマメもなかなかです・・・
 雨が止みませんので,早々に退散いたします。

 今年は,年明けからなにかすっきりしない一種憂鬱な気分に支配されていたような気がいたします。
 まぁ考えられる原因としては,一つに,定年退職の年であり,還暦を迎える年となったということでしょう。
 そして,私の誕生日は3月の末日ですから,この2つは同時にやってきます。
 (情けなくも!?)それほど大きな思い入れをもって勤めていた仕事とは言えないかもしれませんが,仮にも35年間にわたるサラリーマン生活が大きな区切りを迎えることは,人生の残り時間を改めて示されたような感もあり,それなりの寂しい気持ちが生じたとはいえます。
 加えて,数年ぶりに大腸ポリープの手術を受けることとなったのですが,今回は医者から悪い予測を口にされていたこともメランコリーに拍車をかけました。
 そんな時期にも私の大きな楽しみの一つであったのはバンド演奏なのですが,その一つは高校時代の同級生を軸として結成した井上陽水のコピーバンドです。
 その日も,その同級生と朝から打合せのメールなどをしていて,次回の練習会の日程確認等の連絡がきてからほぼ1時間後,彼からまたメールが届きました。
 何か変更を要することでも生じたのかなぁと見ますと,「今朝 Sが自宅で亡くなったそうです・・・」という内容のものでした。
 
 2月3日,節分の日,11時19分付の携帯メールでした。
 Sもまた我々の高校の同級生でした。同級生ですから,まだ還暦を迎えたばかりの年齢です。

 私とSが知り合ったのは,高校3年の時でした。初めは,先ほど述べたバンドメンバーの同級生の友人として出会いました。
 3年生の時は,お互い大学受験もあり,それほど親密な交際とはなりませんでしたが,大学に入ってから良く一緒に遊ぶようになり,私は東京の大学に行っていましたが,彼は東京に出て来てくれて,一緒に私の大学の授業を受けたりもしました。
 また私が帰省するたびに飲みに行ったり,コンサートにでかけたり,旅行に行ったりしていました。
 二人とも,ハードロックやブルースのファンでしたから,コンサートはよく行きました。
 当時は,今と違って大物の外タレも,京都会館などで演っていたのです。丸山公園の野外音楽堂で大音量のロックフェスが開催されていたという,今からは想像しにくい時代でもありました。
 エリック・クラプトン,サンタナ,スレイド,ニューヨークドールズ,皆京都で聴きました。ほとんど彼と一緒でした。
 日本のバンドも,京大西部講堂や街中のライブハウスで,よく一緒に聴きました。
 憂歌団,ウェストロード・ブルース・バンド,鈴木茂,その他無名のバンド達・・・

 彼は,背も高く,ファッショナブルでスタイルも良く,今でいうイケメンでしたが,私は彼のアッサリ,スッキリした性格が大好きでした。
 彼もまた私の何かを気に入ってくれたのでしょう。
 非常に多くの時間を一緒に過ごしていた記憶があります。

 社会人になってからは,彼の職場や棲家が大阪になったこともあって,少し疎遠になっていました。
 彼と再び会うようになったのは,40代半ばになってからのことでした。
 先に述べたバンドで一緒のもう一人の同級生と3人で,年に何回か食事会をしたり,カラオケに行ったりするようになりました。
 Sは,その集まりのことを「3人会」と名付けて,京都に出てくることをとても楽しみにしていたようです。

 彼はその時には既に,大学卒業と同時に入った大手化粧品会社を退職していました。
 恐らく,管理職になってから,あるいは会社の転機の際に,かなりの精神的ストレスがあったのだろうと想像しています。
 その大胆不敵な?行動力とは裏腹に,非常にピュアな精神の持ち主でした。
 久し振りの再会時,彼の精神的状況はかなり悪いものでしたし,実際,障害者手帳を持っていました。
 また,会うたびに,大きな怪我をしていたりしました。ある時は,足を骨折して松葉杖をつきながら阪急電車に乗って来ましたし,またある時には,転倒して脳内出血の手術を受けたりもしていました。
 いつも包帯をしていたようにも記憶しています。
 あとの我々2人は,しかし,そのことについてほとんど詮索はしませんでした。落ち着いたときにゆっくり訊けばいいというような思いもありましたが,機を失してしまいました。
 機会があれば,ご家族の方にいろいろと話を伺いたいと思っています。

 そして,去年の夏に,彼は喉頭癌の手術を受けることとなりました。
 葬儀の時に息子さんも言っておられましたが,声を失うぐらいなら死んだほうがいい!とずっと言っていた彼が,また今までも実際そのような割り切り方で行動してきた彼が,手術を受ける決心をしたのは,何かまだやりたいことがあったのかもしれません。
 手術の直前,急遽3人会を開催することとなりました。
 もうカラオケで一緒に歌えないから・・・と,カラオケ店ではずっと動画を撮り続けました。彼は,その後,自宅でも独りで歌を録音したりしていたようです。
 術後,一旦3人で会う予定もありました。
 彼は自分と同じく,声を失った人たちが集まって,いろいろな方法で発声練習をしている会に通っており,その日も,その会が終わってから3人で会うつもりだったのですが,ちょうどその会の最中に彼は体調不良を起こし,病院に運ばれてしまいました。
 また体調が良くなってから改めて会おうと少し時間をおくこととしました。
 その矢先の死亡でした。
 最期の彼に会えなかったのが心残りです。

 葬儀も彼らしいものでした。
 葬儀場には,ずっと彼の大好きなエリック・クラプトンの曲が流され続けていました。もちろん私にとっても,思い入れのある曲ばかりです。
 彼の性格からして学生時代の写真などは全て廃棄していると考えた私は,その日学生時代に彼と行った旅行のアルバムをそのまま彼の家族にプレゼントいたしました。やはり,思ったとおり,奥さんもお子さんも彼の学生時代の写真を見るのは初めてだったようです。
 式場では,棺の一部を開けて,彼の顔が見えるようにしてくれました。
 この時,私は実はその顔を見るのを躊躇っておりました。見たら,号泣して止まらなくなるのではないかと恐れたりしていました。
 しかし,他の人が棺を覗き込むのにつれられて,私も,彼の顔を見ることにしました。
 最近の化粧のテクニックなのか,普通に眠っているような顔をしていました。一般的な白装束ではなく,スーツにネクタイ姿のSがいました。

 そんな彼の顔を見ても,不思議に涙は出てきませんでした。
 友人が亡くなることが一種当たり前の歳になってしまったのかもしれません。


 ・・・
 香典返しは,最近の流行りなのでしょうか,カタログから好きなものを選んでハガキで申し込むという形のものでした。
 バッグや家具,食器や装飾品などかなりの点数が並ぶ分厚いカタログでしたが,私は,彼との記念にと,小さなギターの形をしたピンバッジを選びました。バンドで演奏する機会がある時に,胸元にでもつけられたらと考えていました。
 つい先日,もう一人の同級生と会った時に,「お前は何をもらったの?」と聞いたら,彼も同じものをもらっていました。
 なんかちょっと嬉しく思いました。

2月末の畑の様子



ネギ

 

ニンジン


ニンニク


エンドウマメ

ダイコン



ブロッコリー


サンチュ

レタス

壬生菜

ワサビ菜


ソラマメ


セルリー

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