菜園日記2015年1月

 4日(日)  新年の1日,2日と京都では久しぶりの大雪が降りました。
 多分本日も畑は真っ白だろうなぁと思いつつ向かいましたが,やはり深い雪を被っていました。
 畑はお休みです。
 11日(日)  またまた1日仕事となりました。
 連続で畑はお休みです・・・
 18日(日)  良く晴れた日曜日となりました。
 3週間ぶり,新年お初の畑です。
 ブロッコリーは側花蕾がたくさんできていました。10個ほど採ります。カリフラワーは頂花蕾が大きくなっていましたので収穫いたします。カリフラワーは側花蕾はできませんので,株も抜いてしまいます。
 ネギは3ケ所ほどを根元から切って収穫です。
 ダイコンもみんな大きくなっていました。1本を抜きます。
 今年のニンジンはあまり大きくなりません。2つほど抜きます。
 葉物野菜も少しずつ大きくなっています。少しずつ収穫です。
 ニンニクは寒さでちょっと元気がありません。
 セルリーも少しずつ大きくなってきました。
 ソラマメ,エンドウマメも寒さをジッと耐えています。
 後は,草抜き,ビタミン剤等々・・・
 25日(日)  本日もまた所用のため畑には行けませんでした。
 この1月はほとんど畑に行けない月となってしまいました・・・

 まぁこの歳(=還暦)ともなりますと,普段の生活で大学生ぐらいの年頃の人たちと話したり,共に行動するような機会もだんだんと減ってきていましたが,最近になって仕事の関係で彼らと接することが多くなってきました。

 一つに,役所や諸団体などが主催するシンポジウムや会議,審議会などの発言者側や委員枠に,いわゆる文化人や学識経験者などの他に,一般公募枠が設けられることが多くなりましたが,その中に大学生が入ってくることがよくあります。
 例えば「地域の環境問題を考える100人委員会」なるものが作られたとしましょう。その100人の中に数名の公募枠が用意された場合,そこに大学生が入ってくることはごく自然なことかもしれません。
 また主催者側もある程度意識的に,学生の(=若者の)意見を取り入れるという方向性やスタンスを打ち出してもいるでしょう。
 そして彼らの一人は,例えばの設定ではありますが,大学で「環境問題研究クラブ」なるものに所属しており,日頃から当該問題に興味を持って「研究」活動を続けている学生です。
 それはまぁ立派なことかもしれませんが,そういう若者がそういう場所で年寄りの委員連中から必ず質問されるように,何故そのクラブに入ったのか動機を聞きますと,私の経験上,ほとんどの学生は次のように同じ答えを返してきます。
「××クラブは,就職に有利だと先輩から聞いて入りました。」
 学生が就職に有利なクラブだから入部するという行動自体,私としてはいかがなものかと思ってしまいますが,そのこと自体についてはまぁ100歩譲るとして,就職に有利だから入部しましたと堂々と公言するその学生のそのような精神の在り方は,果たして本当にいかがなものなのでしょうか?
 そういうことを恥ずかしいと思う感情あるいは意識が存在しないのか(あるいは,恥ずかしいことと思う私の感情や意識がおかしいのか?!),はたまたそんなことをかまっていられない程の就職難の時代だからなのか,いやあるいは,クラブ活動も含めて早々に就職に有利なレールに乗るということは,学生本人だけでなく,それを聞く周囲の大人にとっても心から褒め称えるべき,公言する価値のある立派な行動なのか。
 ひねくれた私は,もっと楽しいクラブに入れよ!と思うのであります。

 さてまた,これも仕事がらみではありますが,我々の主催する様々なイベント等で,大学生にボランティアとして協力してもらうことが多々あります。
 福祉関係の催しが多いのですが,会場での受付や案内,整理,また講演会などでは,聴覚の不自由な方に対するテロップを同時的にパソコンで作成する業務,そして舞台進行のアシスト等々等々・・・
 これらについては,イベントに共催していただく大学の事務局を通じて募集した学生が参画してくれることが多いのですが,そのような場合ほとんど,いや,現実的には全てのケースが有償のボランティアであり,多くは大学事務局により,その報酬額も当初から決められています。
 ボランティアは全て無償であるべき!などとは考えませんが,大学指定の料金が存在し,それもファーストフード店などでお客さんに厳しい言葉を浴びせられながら走り回っているアルバイト賃金などよりもはるかに高額な「賃金」で,和気あいあいと行われるボランティア活動とはいったい何なのでしょうか?
 これもまた,在学中に福祉関係のイベントにボランティアとして参加したということで,就職に有利なポイントになるのかもしれませんし,大学の事務局にとってもそういった場面に学生を紹介したという実績になるのかもしれません。
 しかし,いろいろと手伝ってもらいながら,失礼であり,皮肉な言い方かもしれませんが,ボランティアというものを皮相的に利用している姿にしか見えない私ではあります。

 で,ボランティアであるかどーかは別として,個人的に行政のイベント等に積極的にお手伝いをしにきてくれたり,さまざまな形で参加をしている学生も多く存在いたします。
 彼らは,有償のボランティアでもなく,就職に有利だと誰かに紹介されたわけでもありません。正に自らの問題意識として,地域の自治活動などに興味を持って参加してくれています。
 このように,純粋に内在的な意欲を持って参加していただいている学生諸君には,しかし,またまた皮肉的な言い方しかせずに申し訳ないのですが,ひねくれた私などそのような行政への協力等々といった行動ははたして「学生らしい」ものなのかなぁとつい思ってしまいます。
 なんといっても二十歳前後の,それこそ若さの代表みたいな存在なのですから,もっと破天荒な,先ずは「自分の」夢をまっしぐらに追う姿が,私には「学生らしい」ものであると思えます。
 行政というものとの関係性でいいましても,・・・私は,あまり「らしい」というような言葉は好きではないのですが・・・既存の行政などの行う,所与の社会を前提とした様々な事柄に先ずは疑問を持って立ちむかうというようなことが,本来「学生らしい」在り方なのではないか・・・と思ったりしてしまいます。
(まぁ「本来」とか「らしい」とか,それこそ既存の考え方「らしい」書きぶりになってしまいました。困ったものです。私の矛盾であり,反省しなくてはいけない点でもあります。)

 しかしまぁ,いずれにしても,私の考え方が少し特殊なのかもしれません。
 仕事で,地域の成人式に呼ばれて挨拶などをすることがあります。
 場所は地域の小学校であることが多く,晴れて二十歳を迎えることとなった彼らは小学校卒業から7〜8年ぶりぐらいにまたその懐かしの校舎に集まるのですが,その小学校の卒業生でその年に成人式を迎える該当者の内かなりの割合の人数が,晴れ着で集まってきます。この「出席率」については,かなり高いものがあります。
 そして,成人式の主催者など地域の各種団体の代表者の方々のお話を静かに拝聴しています。
 成人を迎えた者の代表による「お礼の言葉」もいつも「我々は社会の役に立つ人間目指して云々・・・」と大人らしく語られ,主催者にとっては,とても嬉しい風景が現出いたします。
 しかし,ひねくれまくっている私は,彼らには社会を「作り変える」という発想はないのかなぁと思ってしまいます。
 我々の時代には,成人式に行く人間は少数派だったような気がいたします。少なくとも私の中では,行くべきものではありませんでした。
 行政や既成の団体などがセットした,そのような形式的式典で,偉い方々のお話を聞くような行動を否定する思い,時代的風潮だったのでしょう。
 そのような思いが,正しいのか否か,単なるバカな若さかげんの表出なのかどーなのか,ただ自己弁護いたしますと,自分の身の回りのことも含め,さまざまな問題一つ一つを,皆が自分自身の問題として考えた上で行動していた時代であったような気もいたします。

 時間がありあまっていて,社会的にも中途半端な時空間に投げ出されている「学生」という存在はゆっくり「考える」ことのできることが,最大の特権,最大の「学生らしさ」であるような気がいたします。

1月末の畑の様子



ネギ

 

ニンジン


ニンニク


エンドウマメ

ダイコン



ブロッコリー


サンチュ

レタス

壬生菜

ワサビ菜


ソラマメ


セルリー

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