菜園日記2014年12月

 7日(日)  12月に入りました。12月になってから,急に寒さが増してきました。
 昼から仕事が入りましたので,朝から畑へと向かいます。
 カリフラワーが倒れていました。支柱をし,寄せ土をして直します。 ブロッコリーの1つの頂花蕾を採ります。
 ネギもそろそろ・・・と,1ケ所を抜きました。
 ダイコンはどんどんと太くなってきています。1本を抜きます。
 ニンジンも少し間引きしつつ収穫です。
 葉物野菜も少しずつ収穫いたします。
 ニンニクも元気な様子です。
 セルリーも葉を広げてきました。
 ソラマメも元気です。
 エンドウは,ひょろひょろと横倒しになっていましたので,支柱に絡ませます。
 後は,化成肥料,草抜き等々 
 14日(日)  1日仕事となりました。
 畑はお休みです。
 21日(日)  全国高校駅伝の開催日です。駅伝が終わるのを待って,畑へと向かいます。
 ブロッコリーとカリフラワーは,それぞれ頂花蕾を大きくしていました。そろそろ収穫時が近づいています。
 ネギは寒さでちょっと疲れている感じです。2ケ所を抜きました。
 ダイコンは順調です。1本を抜きます。
 ニンジンはちょっと生長が遅い感じです。2本を抜きます。
 葉物野菜もちょっと寒さで縮み上がっている感じです。壬生菜を少し採ります。
 ニンニクは元気です。
 セルリーは少しずつ大きくなっています。
 ソラマメ,エンドーマメをまた支柱に留め,布も被せ直します。
 後は,ビタミン剤,草抜き等々・・・
 30日(火)  いよいよ今年も残り少なくなってきました。お昼に畑へ行きます。
 ブロッコリーの頂花蕾はちょうどいいぐらいに大きくなっていました。収穫です。
 カリフラワーはもう少し置いておくことといたします。
 ネギはちょっと元気がありません。2ケ所を抜きます。
 ダイコンもかなり太くなっています。1本を抜きます。
 今年のニンジンはなかなか大きくなりません。1本を抜きます。
 葉物野菜もそれぞれ少しずつ採ります。
 ニンニクは元気な様子です。
 セルリーやソラマメ,エンドウマメも少しずつ大きくなっています。
 後は草抜き等々・・・

 12月といえば,年末,お歳暮,年賀状の準備,ボーナス,餅つき,冬至,クリスマス,除夜の鐘等々等々,多くの様々なワードが想起されます。このように関連単語が次から次へと頭に浮かぶのは,やはり12月が一番なのかもしれません。
 さて,その一つでもあるクリスマスは一般的にイエス・キリストの誕生日のように思われていますが,そうではないようです。(まぁキリスト教国では正確な理解の方が多いのでしょうけど・・・)
 イエス・キリストの「誕生日」については,いろいろな説が古代から唱えられていたようですが,そのような説の中にも,12月25日とするものは見当たりません。

 キリスト教においても,『新約聖書』にイエス・キリストが生まれた日付や時季を示す記述はなく,クリスマスは一貫して「イエス・キリストの降誕を記念し祝う祭日」と位置づけられていて,決して「イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけではなかったようです。
 この12月25日の生誕祭は,4世紀半ばに西方教会で始まり,ミトラス教の冬至の祭りを転用したものではないかと言われています。ミトラス教徒は,短くなり続けていた昼の時間が冬至を境に長くなっていくことから,太陽神ミトラスが冬至に「再び生まれる」という信仰を持ち,冬至を祝ったとのことです。

 ちょっと横道に入ります。
 ミトラス教といっても我々にはあまり親しみのないものですが,古代ローマで隆盛した太陽神ミトラスを主神とする密儀宗教であります。
 文献資料によっては,「牡牛を屠るミトラス神を信仰する密儀宗教」とも定義されていたりしますが,突然!?「牡牛を屠る」と言われても,何の意味があるのかもよく分かりません。
 あっちそしてこっちと調べてまいりますと,太陽神ミトラスは豊饒の根元としての牡牛を殺し,その行為によって人類に繁栄と救済をもたらしたと信じられ,信徒たちは浮彫りや壁画に表わされた「牛を殺すミトラス」像を礼拝したとのことです。
 その初期の姿は不明な部分が多いようですが,2世紀頃にローマ帝国内に現在知られているのとほぼ同じ姿で現れると,キリスト教の伸長にともなって衰退するまでの約300年間,その宗教形態をほとんど変化させることなく,帝国の広範囲で信仰されたといわれています。
 また,ミトラス教がキリスト教の有力なライバルであり,ローマ帝国の国教の地位を争ったほどの大宗教だったとする評価は現在も根強くあり,さらにキリスト教との類似からキリスト教の諸特徴がミトラス教に由来するという説が論じられることも多いとのことです。
 私は種々の具体的な検証を判断する立場には,もちろんありませんが,いずれにしてもキリスト教の拡大の過程で,このミトラス教のさまざまな行事などを取り入れて,同化していったことはほぼ間違いのないことと思われます。
 その一つに,先に書きました冬至の祭りから生誕祭への転用があると言えます。

 さて,冬至といえば,今年=2014年の冬至は12月22日でした。
 冬至の天文学的な定義は別として,1年の内で昼間が最も短い日であります。
 短くなり続けていた昼の時間がこの日から日がまたどんどんと長くなっていくのですから,それは太陽の復活であり,太陽神ミトラスが「再び生まれる」日であり,古代,この日から1年を始めていたということは,人間の感性に非常に沿ったものであると思われます。

 ここから日が長くなって,つまり太陽が復活して,また新しい1年が始まるということでありますが,さらに今年2014年は,この冬至の日はまたちょうど月が新月になる日となっています。新月もこれから満月に向かって満ちていく,月の復活を意味します。
 このように新月と冬至が重なることを「朔旦冬至」(さくたんとうじ)と呼んで,月と太陽の両方が復活する日として,非常におめでたい日だとされているようです。
 これは19年に1度起きる現象で(正確には閏月の関係で,19年7ケ月に1度ということですが),それが今年だというわけです。約20年に一度太陽の復活と月の復活が重なる蘇りの日が訪れるということで,伊勢神宮の「式年遷宮」が20年に一度行われるきっかけとなったのではないかとの説も言われているようです。
 そして古代では,この日を祝って盛大に宴会を行ったということでもあります。日本では聖武天皇の時から朝廷の祝日として祝われ,「朔旦の旬」とよばれる宴会や恩赦が行われたとのことです。

 なお,朔旦冬至の定義として「陰暦11月1日が冬至にあたること,またその日。古代中国では,11月の月初めと冬至とをそれぞれ年始とする考え方があり,両者が重なったときを吉日とした。」とするものも数多く見かけました。
 太陰暦ですから,その月初に新月が来ることは分かりますが,11月1日・・・というように,何故11月でなければいけないのだろうか・・・と考えると良く分かりません。
 
 この辺の「暦」のことは,不勉強な私にはよく分かりません。
 また例えば太陰暦で,19年の間に調整のため閏月を7回入れて19年7ケ月・・・といっても,地球が太陽の周りを一周する,即ち季節が一巡する時間と比べれば,まだ半端な年月ではないのでしょうか!?
 例えば,太陰暦での1月1日は,太陽暦と比するとかなり年による変動があります。
 21世紀に入って15年ほとが経ちますが,その間においても,いわゆる旧正月は早い時には太陽暦の1月22日,遅い時は同じく2月19日と最大でほぼ1ケ月のズレが生じています。太陰暦と太陽暦の経常的なズレに加えて,一種不定期に「閏月」が入ってきますから,それなりの大きなズレが生じるのでしょう。
 しかしながら,1月1日は暦の初めの日,ある意味「数字」としての1月1日であります。それなりのズレはそれなりに受け入れることができます。ある年の1月1日はその年の寒さのピークの日で,ある年の1月1日は既に梅が咲いていても,1月1日は1月1日であります。

 しかし,冬至の日は,冬至の日なのですから,太陽暦でほぼ1年毎にならないと,ずれてしまったら冬至にはならないのではないでしょうか!?
 (北半球では)太陽の南中高度が最も低く,1年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日とならないといけませんが,それと19年7ケ月という周期の関係は??・・・等々,良く分かりません・・・

 また,いわゆる太陽太陰暦の場合,閏月を挿入してそれなりに平準化を図りますが,純粋な太陰暦となるとその1年は太陽の回帰する日数より約11日短いのですから,ある年のある月日の季節は前年より11日早く,約8年で四季1つぶん早くなり,約33年で季節を一周するということになるようです。
 まぁそれはそれで,月を基準とする一つの徹底したあり方ということで理解できます。

 ちょっと勉強をしなくてはいけません。

12月末の畑の様子



ネギ

 

ニンジン


ニンニク


エンドウマメ

ダイコン


カリフラワー

ブロッコリー


サンチュ

レタス

壬生菜

ワサビ菜


ソラマメ


セルリー

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