菜園日記2014年11月

 2日(日)  今週も所用のため,畑には行けませんでした。
 2週連続でのお休みです・・・ 
 9日(日)  3週間ぶりの畑となりましたので,さぁ今日は・・・と思っていましたが,朝から生憎の雨となりました。
 しかし,長い間行っていませんので,雨の中,向かいます。
 ブロッコリー,カリフラワーは株をかなり大きくしていました。一つに,小さな頂花蕾が見えます。
 ネギも元気に大きくなっています。
 ダイコンは,この2週間でとても太くなっていました。大きなもの1本,間引いて1本を採ります。
 ニンジンも元気です。数か所を間引きます。
 ワサビ菜,壬生菜,レタス,サンチュは,それぞれ株を大きくしていました。収穫もできそうな大きさです。
 ニンニクも全箇所で発芽しているのを確認できました。
 サツマイモはそろそろ収穫時ですが,この雨ではどうしようもありません・・・
 ゴーヤの跡地はそのままにしておきます。
 雨のため,早々に退散いたします。
 16日(日)  先ず,アヤハ・ディオに行き,腐葉土,石灰,畑の土を購入して,畑へとまいります。
 ブロッコリーとカリフラワーは株を大きくしています。小さな頂花蕾も見えます。
 ネギも順調な様子です。
 ダイコンはかなり太くなってきました。大きなもの小さなもの併せて3本を採ります。
 ニンジンは,20本ほど間引きつつ収穫です。
 葉物野菜も大きくなってきました。それぞれ少しずつ収穫いたします。
 ニンニクも順調です。
 サツマイモを収穫いたします。大小数十個,特に例年になく大きなものも数個採れました。
 サツマイモとゴーヤの跡地に,腐葉土,石灰,畑用の土などを入れて荒起こししておきます。
 後は,草抜き等々・・・
 24日(月)  紅葉の観光客であふれる3連休の最終日です。
 昼から先ず,アヤハ・ディオに行き,ソラマメ,エンドウ,セルリーの苗を購入して,畑へと走ります。
 ブロッコリーとカリフラワーはますます株を大きくしています。ブロッコリーの頂花蕾も大きくなってきました。
 ネギは元気な様子です。
 ダイコンもかなり大きくなってきました。大きなもの1本を抜きます。
 ニンジンも少し間引きつつ収穫です。
 葉物野菜もそれぞれ元気です。少しずつ収穫いたします。
 ニンニクも順調に冬を越す準備をしているようです。
 サツマイモとゴーヤの跡地を耕し,南から,セルリー,ソラマメ,エンドウの苗を植えました。マメの部分には支柱を立てて,布を被せておきます。
 後は,草抜き等々・・・
 30日(日)  11月最期の日となりました。暖かな午後も畑へと走ります。
 ブロッコリーやカリフラワーは頂花蕾を大きくしてきました。ブロッコリーのものは,もう少しで収穫できそうです。
 ネギはだいぶ背を伸ばしてきました。
 ダイコンは太いもの1本を抜きます。
 ニンジンも間引きつつ,2本を採ります。
 葉物野菜も大きくなっています。ワサビ菜と壬生菜を少しずつ収穫いたします。
 ニンニクは元気な様子です。
 セルリーも背を伸ばしてきました。
 ソラマメ,エンドーマメも順調です。 

  シュレッダーを入手いたしました。
 少し前から欲しかったものの一つなのですが,それほど強い購入欲も生じませんでしたので,買わないまま日が過ぎていました。今回あることで頂いたいわゆる「カタログギフト」の中に家庭用の小型シュレッダーを見つけ,いい機会だとそれを注文した次第です。
 自宅で特にシュレッダーを頻繁に使わなくてはいけないような用務をこなしているわけではありません。
 しかし,長年の内にたまった年賀状や各種名簿の類など,個人情報が多く印字されているような書類は,現在では気軽に廃棄することはできません。
 それなりの作業が必要となります。

 一方で役所などの場合,現在はシュレッダーはほとんど使われておりません。
 個人情報保護の要請がますます高まる中何故かと言いますと,一方でいわゆる環境リサイクル=紙類の再生の要請の問題があるからです。
 最近は再生技術はかなり進歩しているようですが,シュレッダーによって非常に細かく裁断された紙は,リサイクルがなかなか困難であるようです。
 しかし,一方で個人情報の問題がありますから,大きな組織の現在の主流な方法論としては,機密文書として一定のルールの下で,個人情報の載った書類を契約業者に渡し,業者は機密が流出しない方法でそれをリサイクル処理するというものです。
 個人情報の保護とリサイクルを両立させる方法ではありますが,大きな組織が大量に実施する場面では成立しても,個人的な場面ではなかなか困難な方法論ではあります。

 で,まぁ個人としての私の場合,例えば年賀状など死ぬまでずっと保管しておいてもいいのかもしれませんが,自宅室内がいろんなもので手狭になってきたこと,そして,還暦,定年といった一つの大きな区切りを間近に控え,早くも(?)いろいろと身の回りのものを整理しなくてはという感に囚われていることがシュレッダーを必要とする理由ではあります。
 私の場合,昔から奇妙な強迫観念に捉われることが多々あり,年齢とともにかなり弱いものとなっていますが,基本的にはそのような観念は継続して発露しております。

 病理学的に正しい理解であるかどうかは別として,私なりの現在に連なるその観念の共通項的想い出として,特に小さかった頃の行動が今でも脳裏に浮かびます。
 私は小学校の時,プラモデルを作るのが大きな趣味の一つでしたが,ある時期には戦艦など船の類に凝ったりしておりました。そして,当時の子どもの夢として,大きくなったら専用の大きな部屋にそれらのコレクションをたくさん並べて展示するようなことも夢想していたりしました。
 しかし,ある時確か週刊漫画誌の巻頭記事か何かで読んだのですが,そこには近い将来の話として,石油が枯渇する,そうするとガソリンなどはもちろん,プラモデルの製造販売なども不可能になると,センセーショナルに書かれていました。
 まぁいつかはそのようなことが生じるのは間違いないのかもしれませんが,この記事を読んだ私は,私の夢がもうあまり永く継続できないと信じ込み,そうであれば,今作って置いている戦艦や潜水艦等のコレクションも保管するに値しない,趣味とする意味がないのだと考え,その全てを捨てにかかりました。
 短期間に,近所のドブ川や空き地等々に「不法投棄」して,プラモデルの類が子ども部屋からすっかりなくなってしまったことを良く記憶しています。
 これは,どーいった行動原理なのだろうか,専門的な解釈を知りたく思っています。

 もう一つ例をあげますと,私は小学校高学年ぐらいから,密かに漫画家を目指したりもしていまして,ちょうどその頃から出始めたいわゆるコミックス版の漫画本をかなりの割合で収集しておりました。
 今は本屋に行けば,コミックス版がある意味店舗のメインとして,膨大な数を並べられていますが,当時はまだ出初めの頃で,そのほとんどを収集することも不可能ではありませんでした・・・
 で,なんのタイトルかは忘れてしまいましたが,キレイに続けて揃えていたあるコミックス版の1冊の表紙をある時,室内で飼っていた犬が噛んでボロボロにしてしまったのです。
 その時に私のとった行動は,残ったそのシリーズ全ての表紙をはがして廃棄してしまうことでした。
 何巻ものシリーズの中で,1つだけ表紙がないという不整合な姿に我慢できなかったのでしょう。
 繰り返しになりますが,このような行動の心理,病理(?)はどーいうものなのか自分でも非常に興味があります。

 しかしながら,このような行動原理は,歳を取るにつれて減少してまいりました。
 まぁ社会にでて,組織の中で仕事をしていて,そんなことを徹底,継続できるはずもないのでありますが,ある意味そのように精神的修正ができていたからこそ,社会的に給料をいただき続けることができたと言えるかもしれません。
 そして,人生の大きな区切りを控えた現在,以前の激情的想いと比べればかなり「弱く」ではありますが,身の回りのものを少しずつでも片付け始めたいと考えています。
 長年の間にずっとため込んできたものでも,客観的に価値があれば,誰かに引き継ぐ,誰かに譲渡するという選択肢もあります。
 例えば,もし私が膨大な切手のコレクションをしていたら,どこかの時点で誰かに引き継いでもらうか,あるいは売却するというような方法が有力かもしれません。
 しかし,現在私の部屋に充満しているものの多くはそのような客観的価値を有しないものばかりです。
 私的には,何十年もかけて積み上げてきたものなのですから,想い出も含めての特別な存在なのですが,どこかでいずれにしろ,お別れしなくてはいけません。
 
 そんなことを考える歳になってしまいました。

11月末の畑の様子



ネギ

 

ニンジン


ニンニク


エンドウマメ

ダイコン


カリフラワー

ブロッコリー


サンチュ

レタス

壬生菜

ワサビ菜


ソラマメ


セルリー

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