菜園日記2014年10月

 5日(日)  10月に入りました。2週間ぶりの畑ですが,大型台風接近ということで,暗い空の下,朝から畑へと向かいます。
 従って,今日は本格的な作業はいたしません。
 ブロッコリーとカリフラワーは順調に大きくなっています。それぞれに土寄せをしておきます。
 ネギも少しずつ大きくなってきました。
 ダイコンは大きく葉を広げてきました。各箇所から2本ずつ間引きいたします。
 ニンジンも元気に伸びてきました。これも間引きしつつ収穫です。
 オクラ,シシトウ,キュウリの跡地はそのままにしておきます。
 サツマイモは順調な様子です。
 ゴーヤはだいぶ枯れてきました。最後の実,数個を収穫して,終わりとします。
 後は,液肥,ビタミン剤等・・・
 雨はなんとかもちましたが,帰宅して車を駐車場に入れているとポツポツと落ちてきました。
 12日(日)  またまた大型の台風が近づいている週末となりました。
 天気のくずれないうちに・・・と朝から六基グリーンへ行き,葉物野菜の苗とニンニク,そして野菜用の土を購入して畑へと向かいます。
 カリフラワーやブロッコリーは順調に茎を大きくしてきました。
 ネギも元気な様子です。
 ダイコンも葉を広げています。数本間引きます。
 ニンジンもかなり密集してきました。10数ケ所間引きます。
 オクラ,シシトウ,キュウリの跡地を耕して,畝をつくり,南から,ワサビ菜,壬生菜,レタス,サンチュ,そしてニンニクを植えました。
 サツマイモも元気です。
 ゴーヤの後は,そのままにしておきます。
 あとは,草抜き等々・・・ 
 19日(日)  ここにきて,かなり冷え込んできました。
 昼から仕事が入りましたので,朝一番から畑へと向かいます。
 ブロッコリー,カリフラワーは順調な様子です。土寄せをしておきます。
 ネギにも全体に土寄せをいたします。
 ダイコンを2本ほど,間引きしつつ収穫です。
 ニンジンも同じく,数本・・・
 先週植えた葉物野菜は,皆元気に大きくなってきました。
 ニンニクはまだ発芽していません。
 サツマイモは収穫が近いのでしょうか!?
 ゴーヤの跡地はそのままにしておきます。
 後は,水遣り,化成肥料等々・・・
 26日(日)  10月も最後の日曜日となりましたが,一日仕事が入り,畑には行けませんでした。 

 最近またGパンを穿くようになりました。
 高校時代ぐらいから,毎日毎日一年中ほぼGパンしか穿かなかった私が,Gパンを穿かなくなったのは何時頃からだったのだろーと記憶をたどっておりましたが,恐らくゴルフを始めた30代半ばぐらいからではなかったかと思います。
 私は,服装などに多くのお金をかけることを了といたしませんので,ゴルフに行くのに適切なズボンなどを買い,穿くようになりますと,その他のズボン等を購入することが減るということが一つ。
 それからほぼ同時に,いろいろな事情が重なって,バイクにあまり乗らなくなりましたので,それも大きな要因の一つと思っています。

 私が高校生から大学生の頃,1970年代の前半ぐらいですが,高級といわれるようなホテルのレストランなどは,Gパンでは入ることができませんでした。あるホテルではそれだけでなく,ホテル側が用意している貸ブレザーを着用させられたこともよく覚えています。
 まぁ,私が東京で下宿していた頃,上京してきた父や親戚などの泊まるホテルに,どーしようもなく薄汚れたスタイルで出かけて行くのですから,そーいった措置が取られていたということであります。
 しかし,最近では,そんな場所も極端に減ったでしょうし,現在Gパンが正面から拒絶されているのは,ゴルフ場ぐらいではないかと思います。ゴルフ場によっては,昼食時にはブレザーを着用してレストランに入るような所もまだ存在しています。
 もちろん,ゴルフ場によって,また行く人間によって,今やGパンゴルフが100%不可かというとそうでもない感もありますが,通常のゴルフ場であれば,ポロシャツのアウトは見逃しても,Gパンはなかなか見逃してくれないでしょう。

 エー,ここまで書いてきてなんですが,Gパンという標記方法が正しいのかどうかという論は別としまして,また最近はジーンズと呼ぶのが適切なのかもしれませんが,私にとってはその名称はGパンでありますので,ここではGパンと書くことにいたします。
 と書いてきてなんですが,私にとってのその名称が,Gパンであったのか,ジーパンであったのか,ちょっと自信がないところではあります。
 まぁなんでジーンズという名称なのかとか,なんで日本ではGパンと呼んでいるのかとか,それぞれ面白い歴史的注釈もたくさんありますが,今回はちょっとパスしておきます。

 さてさて,テレビ等で,若い芸能人なんかがいかにもマニアという顔をしてGパンの講釈をたれているのを見て「なんだ!その浅薄なGパンとの付き合い方は!」と思ってしまうのは,私だけではないはずです。
 特に私ぐらいの年齢より上の方々は,そのような想いの人が多のではないかと思います。
 生活の全てが,さまざまな意味合いで,Gパンと共にあったといっても過言ではない世代が存在しています。

 例えばウォッシュなんとかという初めから洗いさらした感じのGパンが売られていますが,我々の感性からすれば,明らかに邪道であります。
 しかしまぁ,声を大きくして「邪道だ!」と叫ぶ元気は既になくなってしまっている世代でもあります。
 このウォッシュなんとかに代表されるいわゆるダメージ加工なんてものは,我々の世代には不要なものでありました。
 何故かといいますと,とにかく一年中Gパンしかはいていないのですから,すぐに汚れ,擦り剥け,穴があきます。
 Gパンの膝が抜ける,安全ピンでとめる・・・そんなことは我々の学生時代にごく普通にしていたことであります。
 安全ピンで止めても,よれよれになった繊維同士をつないでいるのですから,まぁ数日でその部分も崩壊?して,安全ピンも効かなくなります。
 そーすると,ごく普通の対応策として,何か当て布を表から当てて,縫い付けます。
 身近にある古着などを切って,慣れない針仕事で縫い付けます。
 後の時代に,こぎれいなパッチワークを施したGパンが売られたりいたしますが,我々は自分でやむなく裁縫をしていたのであります。

 最近は,しかし,もうぴったりとしたスリムのGパンは穿ける体型ではなくなってきました。
 Gパンを穿かなくなった理由を冒頭に書きましたが,残念ながら,身体にフィットしたGパンが穿けなくなった,似合わなくなったということもその大きなものの一つではあります。
 この理由が最大のものであるかもしれません。
 しかし,一定年齢を過ぎてしまいますと,その自分の姿を「カッコ悪い」とする感性が,「まぁいいか」という想いに変わってきてしまいますので,それがまたGパンを復活させる大きな要因ともなっているのであります。ある意味,情けない転換ではあります。
 で,高校の時などは,極端なスリムのGパンを穿き,自力では脱げないようなこともありました。
 立ったままではとうてい脱げず,床に転がって足を延ばし,ズボンの先を誰かに引っ張ってもらって脱ぐのであります。まぁアホな姿ではあります。
 私はしかし,どちらかというとベルボトムという形状のものが好きでした。髪を伸ばして,ベルボトムのGパンを穿き,いわゆるフラワーチルドレン的なスタイルが好みではありました。
 当時のフォークグループのほとんどがこのスタイルをしていたような記憶もあります。
(一時,このベルボトムについては,昔年のかっこ悪いファッションの代表として遠ざけられていた風潮もあったようですが,最近ではまた懐かしさを込めて,あるいはレトロなカッコ良さとして復活しているようです。)

 Gパンは,とりわけ70年代には,その当時の歴史的存在として,様々なムーブメントや思考と共にありました。
 そんなことが,先ほど言いましたように,我々世代が今の若者の「浅薄なGパンとの付き合い方」といった表現で,ついつい変な(独りよがりな)高みから見てしまうことにつながっているのでありましょう。
 それは,しかし,本来的なGパン的思考とは逆のものではあると自覚してはおります。

10月末の畑の様子



ネギ

 

ニンジン


ニンニク


(なし)


ダイコン


カリフラワー

ブロッコリー


サンチュ

レタス

壬生菜

ワサビ菜


サツマイモ


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