菜園日記2014年5月

 4日(日)  5月に入りました。ゴールデンウィークで多い車の中をお昼から先ず,高山園芸に行き,ミニカボチャの苗を2つ,ゴーヤの苗を2つ,モロヘイヤを1つ,それから畑用の土を買って,畑へと走ります。
 暖かな日が続いていましたので,ナスは相変わらずグロッキー気味です。
 トマトは元気に大きくなっています。
 ナスとトマトに支柱を添えて,紐で留めておきます。
 ニンニクはまだまだ青々としています。
 ダイコンの跡地に畑用の土を入れて耕して畝を作り,南からミニカボチャ2つ,モロヘイヤと植えました。
 先週植えた,オクラ,シシトウ,キュウリも元気な様子です。シシトウとキュウリに支柱を添えて,紐で留めておきます。
 タマネギは,球を白く大きくしてきました。
 チシャと水菜の跡地に畑用の土を入れて耕し,畝を作り,ゴーヤの苗を2つ植えました。
 後は,草抜き,栄養剤等々・・・
 11日(日)  暑い日曜日となりました。
 朝から畑へと走ります。
 総じて,この暑さ続きで,葉は萎れていました。
 ナスとトマトは水を与えると,葉をピンと張ってきました。トマトの脇芽を取ります。
 ニンニクはまだまだ青々としています。
 ミニカボチャは元気な様子です。支柱を添えて紐で留めておきます。
 モロヘイヤも順調な様子です。
 オクラは,アブラムシがついていて,それを目当てに蟻が集まり,ちょっと元気がなくなっていましたが,アブラムシを撤去して,水を与えると元気になってきました。
 シシトウもまずまず元気です。
 キュウリは,水不足でちょっと元気がありません。たくさんの水を与えます。
 タマネギはまだまだ大きくなりそうです。
 ゴーヤも元気に少しずつ大きくなっています。支柱を添えておきます。
 後は,化成肥料,草抜き等々・・・
 18日(日)  所用のため,畑はお休みです。 
 25日(日)  暑い日曜日となりました。先週は畑に来られませんでしたので,この暑さでどーなっているのか心配でしたが,間にまとまった雨が降ったこともあり,皆すくすくと生長していました。
 ナスは元気な様子です。既に花を幾つもつけています。
 トマトは,脇芽などを盛んに伸ばしていました。枝を大幅に整理して,支柱に留めておきます。
 ニンニクはまだ青々としていますが,ニンニクの芽を伸ばしていました。芽を収穫いたします。
 ミニカボチャも青々と大きくなっています。
 モロヘイヤも元気です。
 オクラはまたまたアブラムシがついていて,葉が萎れていました。ちょっと不安です。
 シシトウも元気な様子です。
 キュウリも背を伸ばしていました。ここには本支柱を立て,キュウリを支柱に留めておきます。
 タマネギはほとんどが葉を倒伏させていました。今年のタマネギはちょっと小ぶりなものばかりとなっています。
 ゴーヤも少しずつ大きくなっています。
 後は,草抜き,液肥等々・・・ 

 テレビで,映画『自転車泥棒』を見ました。
 1948年,私の生まれる大分前?に公開されたイタリア映画です。
 新写実主義の名作と評され,同年にアカデミー外国語映画賞を受賞しています。
 新写実主義ってなんなんだ!?と思考がストップしてしまいます。私の不得意分野であります。
 調べてみますと,イタリアではムソリーニなどのファシストに抵抗していた勢力が,戦後,抵抗運動を映像化する際に,その活動の現実を切り取るように,徹底したリアリズムとドキュメンタリー手法で描いて,ネオリアリズム(イタリアではneorealismo)というスタイルを確立したということです。
 その非常なまでの現実透視は,戦後の人々の生活を描く際にも踏襲され,その一つにこの『自転車泥棒』があるといわれています。
 ・・・このように読み,映画の描写を思い返しますと,そこに描かれる戦後イタリアの庶民の悲惨な生活ぶりが本当に良く浮かび上がっていることを再認識できます。その高い評価に納得いたします。

 この物語は,第二次世界大戦後のイタリアが舞台です。
 失業中の主人公は,職業安定所で市役所のポスター貼りの仕事を紹介されますが,自転車を所有していることが条件となっていました。彼の自転車は,しかし,生活のために質屋に入っています。妻のアイデアにより,家中のシーツを「これがなくても眠れるわ」と質に入れ,自転車を取り戻します。
 久しぶりの仕事に家族一同も嬉々とし,主人公は自転車に跨り,張り切って出勤いたします。
 けれども,ポスター貼りの仕事の初日,自転車は窃盗グループによって見事に盗まれてしまいます。
 バタバタと忙しい警察にはまともに相手にされず,主人公は子どもを連れて犯人を捜しまわります。
 ほぼ犯人と思しき人間にせまったりする場面もありましたが,結局は叶いません。
 思いつめた主人公は,最後に,他人の自転車を盗もうとして失敗してしまい,失意の中帰宅するしかなくなってしまいます。
 救いのない時代,憤りすら覚える社会状況ではあります。
 主人公やその家族に一つ救いを見つけるとすれば,自転車泥棒に失敗してしまったということでしょう。

 さて,この作品は,かなり以前にも同じくテレビの深夜放送で見たことがありますが,その時の記憶間違いに今回気づかされました。
 それは,盗られた自転車を探し疲れた親子が食事を取るシーンです。彼らはバンド演奏の入ったそこそこ高級そうな店に入ります。自転車を探し回って疲れ果てた末の選択が,ちょっといつもは入れないグレードのレストランだったのでしょう。主人公も,こんなところを奥さんに見つかったら怒られてしまうなと息子にもらします。
 この場面は以前に見た時にも印象の強いシーンだったのですけど,当時の記憶では,親子はここでピザを食べていました。
 しかし,今回見て気づいたことは,親子はピザを注文いたしますが,当店ではピザは置いていないと断られることです。
 何故この場面を良く覚えているかといいますと,実に恥ずかしいことに,私はその間違った記憶に基づいて,親子はピザを食べるが,奥の方では金持ちの家族がコース料理の第一皿たるパスタなどを食べていて,イタリアではピザというのは,最も安い食べ物の一つということが良くわかるなどと講釈をたれていたことがあるのです。
 恥ずかしいことではあります。
 しかし,今回も確認できましたが,ちょっとしたランクのレストランで,ピザを置いていないということは,まぁやはりそーいうことなのでしょう・・・
 
 このことについては,今回を機にちょっと調べてみましたが,やはりピザというものは軽食として供されることが多く,イタリア本国ではリストランテ格の店では商品化していない所が多いとのことでした。
(イタリアではレストランの格付けが多段階的にされており,リストランテとは,コース料理を注文するのが一般的な高級レストランを表すようです。)
 日本で言いましたら,軽食的であって,会席料亭で単品では注文できない,親しみある食べ物といえば,そば・うどんの類が近いでしょうか?
 コース料理の一皿になるパスタ料理というと,天ぷらや刺身などが該当するのでしょうか?

 さてさて,以前に見た時になんでそのような勘違いをしたのかわからないのですが,多分当時,ピザとかスパゲッティについて映画とは別になんらかの情報があって,映画の1シーンをそれに「結びつけたがって」観ていた・・・のかもしれませんし,加えて当時は全くの深夜時間帯でしたでしょうから,アルコールと眠気の中で,自分に都合のいいような「記憶」が出きあがっていったのでしょう・・・

 また今回見て,初めて気づいたことは,主人公と小さな男の子の距離感でした。
 男の子も,お父さんと一緒に熱心に自転車を探しますが,街を歩く時には,ちょっとお父さんと離れて歩いていて,前しか見ずにどんどん歩いていくお父さんの気づかないところで,雨の中転倒してしまったり,交差点を渡る時に自動車に引かれそうになったりします。
 お父さんが自転車泥棒にしか意識がなく,子どもをエスコートするような余裕がないのか,はたまた子どもは子どもで自分なりの目で周りを捜索しているのか,二人のベクトルも少し方向を違えます。
 途中,自転車を盗んだ関係者と思われる人間を取り逃がしてしまったことで,親子のちょっとした言い合いがあり,その時に主人公は子どもを叩いてしまうのですが,そのことによってもまた親子の距離が拡大されたりもします。
 子どもを叩いてしまったことが,その後でちょっと高級なレストランに入る大きな理由となっていたとも思われます。
 
 そして,終盤,行き詰ったお父さんは,心の葛藤の末ついに他人の自転車に手をかけ,必死で逃げようとするのですが,結局は捕まってしまいます。持ち主は,しかし,主人公をジッと見て,今回は見逃してやろうと言います。
 許されて帰路についたとき,親子は,固く手をつないで歩きます。
 ここで映画はFINEとなるのですが,印象的な最終場面でした。全てはこのシーンのための伏線であったかのように思えます。

5月末の畑の様子



トマト

 

モロヘイヤ


ミニカボチャ

キュウリ


ゴーヤ


ニンニク



ナス




シシトウ

オクラ


タマネギ


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