菜園日記2014年4月

 6日(日)  一日仕事が入りました。
 畑はお休みです。
 13日(日)  暖かな日曜日となりました。
 お昼から先ずコーナンに行き,腐葉土と石灰,鶏糞を購入して畑へと回ります。
 畑は,この暖かさで,雑草と菜の花が全開モードでした。
 ホウレンソウ,春菊,ベンリ菜の跡地に腐葉土と鶏糞を入れて耕します。
 ニンニクはここにきてグングンと背を伸ばしてきました。
 太く大きなダイコンを2本抜きます。あと小さなもの2〜3本となりました。
 ブロッコリーは菜の花状態です。側花蕾を20個ほど採ります。
 ネギは少し太くなってきました,3ケ所を抜きます。
 タマネギもここにきて,青々と大きくなってきました。地上に球が丸く出てきました。
 チシャと水菜の跡地はそのままにしておきます。
 後は,草抜き,化成肥料等々・・・
 20日(日)  午前中に仕事が入りましたので,昼食を済ませてから先ず六基グリーンに行って,腐葉土と畑用の土,そして,ナスの苗3つ,トマトの苗3つを買って,畑へと走ります。
 パラパラと雨が降り始めました。
 ホウレンソウと春菊,ベンリ菜の跡地を耕して,畑用の土を入れ,畝を作ります。南側にナス,北側にトマトの苗を3つずつ植えました。今年も1本ずつ別々の種類です。
 ニンニクは元気に大きくなっています。
 ダイコンは,残り2本となりましたが,トウが立って,花を咲かせています。
 ブロッコリーも完全に菜の花状態でした。本日で終わりとします。
 ネギは最後に残った数か所を抜きます。
 カリフラワーとブロッコリー,ネギの跡地に,石灰と腐葉土,化成肥料を入れて荒起こししておきます。
 タマネギは球を少しずつ大きくしています。
 チシャと水菜の跡地はそのままです。
 雨が強くなってきましたので,退散いたします。
 27日(日)  暑い日曜日となりました。4月も最後の日曜日です。
 午前中に仕事が入りましたので,昼からまず六基グリーンへ行き,キュウリの苗を3つ,シシトウを2つ,オクラを1つ,それから腐葉土と畑用の土を買って,畑へと回ります。
 先週植えたナスは,この暑さですっかり萎れていました。しかし,水を与えますと,葉をピンと張ってきます。
 トマトは,そのような中でも元気です。
 ニンニクはますます青々としてきました。
 ダイコンの跡地に,石灰と腐葉土を入れて荒起こししておきます。
 カリフラワー,ブロッコリー,ネギの跡地に畑用の土を入れて耕し,畝を作ります。そこに南から,オクラ,シシトウ,キュウリの順番で植えました。
 タマネギも元気に太ってきています。
 チシャと水菜の跡地に,石灰と腐葉土を入れて,荒起こししておきます。
 後は,草抜き,水遣り等々・・・

 春といえば先ずは「春はあけぼの」云々とかっこよく連想したいものですが,現実的にはなかなかそうはなりません。私が春という言葉から想起する諸々の中で「春はあけぼの」の順位はかなり下位のものとなります。
 しかし,順位が低いとはいえ今も枕草子の冒頭の言葉が思い起こされるというのは,中学の古文の時間に,とにかく古典の文章を丸暗記させられていたことの預金利子みたいなものでしょう。
 他にも例えば,平家物語の冒頭部分について,あれから半世紀近く経った今でもかなりを諳んじていますし,そのままを覚えていることによって,その内容の理解が歳と共に少しずつ深まっていくことを実感できる局面があったりもいたします。
 そーいう意味でも私は「丸暗記」必要論者ではあります。
 また宇治川の合戦の「名乗り」の場面なんかは,中学生としてもその日本語のリズムなどにカッコ良さを大いに感じて「遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ」なんて,あるいは「やあやあ我こそは・・・」など定型句を利用して,物真似的なパロディを楽しんだりしていた記憶もあります。
 まぁしかし,馬に乗った武士と武士が向かい合って,名乗りをあげて一対一で戦うなんてスタイルは,何時頃まであったのでしょう。戦国時代に入ると,職業武士だけでなく,農民なんかを引き連れての団体戦が主流となってきますから,その戦い方も石を投げる,火を放つなんてことがメインとなって,武士と武士の1vs1の対決などというのは,この時代が最後と言っていいのかもしれません。

 閑話休題。
 さて,春といえば,私にとってはやはり桜でしょうか。
 桜といえば,お花見,まだまだ寒い中でのお花見には,花冷えなんて言葉が良く似合います。
 また桜の花が満開の景色は,卒業式や入社式等々の出会いと別れの場になによりも相応しい背景でもあります。
 この時期は我々にとって,大いなる離合の時であります。入学式に卒園式,定年退職,人事異動での転居,はたまた各種習い事の開講,学生から社会人へ,そして「22才の別れ」なんて歌もありました・・・等々,等々・・・
 日本の4月という区切りの時期にぴったりと合った,また実に日本的な花である桜の開花と合致した,またしかし,日本の景色としてはちょっと非日常的な色合いでもある桜色がいっぱいの背景の中で行われるさまざまな出会いと別れは,それでこそ格別な想いを生じさせるものである気がいたします。
 そういったことも含めて,桜は日本人にとって特別な花なのでしょう。
 春の花といえば,しかし,菜の花やタンポポなども忘れるわけにはいきません。
 菜の花といいますと,直接的には食用の花という意なのでしょうけど,昔日に我々の誰もが見た一面菜の花畑の景色のほとんどはアブラナではなかったかと思います。アブラナという名のとおり,食用油の原料として大量に栽培されていた時期もあったようですが,最近では観賞用,観光資源として成立している要素が強いようにも思えます。
 いずれにしても,一面に広がる黄色い菜の花の色は,小さい頃野原を走り回った我々世代の原風景でもあります。当時は,街の近くにも,いや街の中のあちこちにも空き地があり,畑があり,そこで野球やチャンバラごっこをしておりました。
 しかし今では,菜の花畑を観るために,車に乗って走っていかなくてはならない距離が生じてしまいました。
 今一つ,タンポポも多くの日本人にとって,子どものころの春の景色と切り離せないものの1つであると思います。
 タンポポも,また黄色い花です。
 (春が過ぎてからのものでしょうけど)タンポポの綿毛を見つけたら,それに息を吹きかけて種を飛ばしたりする遊びは,昔日の子どもの100%がしていたことではないでしょうか。
 またタンポポに関しては,今や外来種が在来種を駆逐してしまって・・・という話をよく聞きますが,調べてみますと実際にはそうでもないようです。在来種がなかなか頑張っているというか,棲み分けができているようなことのようではあります。 ただ私には,両者をちゃんと見分けることはできませんが・・・。
 えー,さて,タンポポといえば,花ではないのですが,タンポポというラーメン屋を舞台にした映画がありました。
 伊丹十三監督の「ラーメン・ウエスタン」を名乗る作品です。
 このラーメン屋のモデルは,東京荻窪の「佐久信」というのが定説でありますが,その他にもいろいろと多くの店がモデルを名乗ったりしています。まぁ,映画製作に当たって監督がよく訪れていたような店が,モデルを自称しているのだと思いますが,その内の1つが現在の私の家のすぐ近くにあります。私もちょくちょく行ったりしています。
 非常に安くて,美味しくて,映画タンポポの断片的シーンを思いだしたりいたします。
 非常に昔ながらの作り方をしている店ですが,「外来種」?に負けることなく,多くのお客さんで賑わっています。

 閑話休題2
 花の話に戻りますが,花といえばまた現代では「花粉症」とつながるのでしょうけど,私は幸い花粉症の症状はいまだ出現しておりません。ただある日突然に発症!ということもあるようですので,なかなか困った病気だなぁと思います。
 タンポポ〜ラーメンとの食べ物つながりでいえば,春の代表選手は「タケノコ」かもしれません。
 とりわけ京都は,タケノコ料理の有名な地域,料亭がたくさんあります。
 まぁ一回ぐらいは訪れる価値はあるかもしれません。タケノコの刺身に,焼きタケノコ,タケノコのおすましにタケノコご飯等々等々と正にタケノコがこれでもか!これでもか!と連続して出てまいります。
 しかし,よほどのタケノコ好きでもなければ,何度も訪れたいとは思わない気もいたします。それに,新鮮なタケノコを使用してこその料理ですから,あの専門料亭とかは夏や冬には何をしておられるのか,不思議に思います。
 タケノコの時期にはまた春の野に,ふきのとうやつくしが生えます。これまたある意味,我々には懐かしさを伴う山や野の景色と共にありますが,今ではスーパーマーケットでも売られる食材となりました。
 そんな時代ではあります。
 近くに野原を失ってしまった我々は,スーパーに並ぶ,いかなごやイチゴに春を感じたりいたします。
 えー,今回,イチゴは,清少納言の時代からあったことを発見いたしました。

「あてなるもの(・・・略・・・),いみじううつくしき児の,いちごなど食ひたる。」
(『枕草紙』第42段)

4月末の畑の様子



トマト

 

(なし)

キュウリ


(なし)

ニンニク



ナス




シシトウ

オクラ


タマネギ


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