菜園日記2014年3月

 2日(日)  所用のため,東京に日帰りで行ってきました。
 畑はお休みです。
 9日(日)  またまた所用で畑には行けませんでした・・・
 16日(日)  久しぶりの畑となりました。
 暖かな日曜日です。
 午前中は仕事でしたので,昼食を済ませて,畑へと向かいます。
 ホウレンソウ,春菊,ベンリ菜の跡地は,そのままにしておきます。
 ニンニクはここにきて太く,青々としてきました。
 ダイコンを1本抜きます。
 ブロッコリーも側花蕾をたくさんつけています。両方の種の側花蕾を併せて20個ほど収穫いたします。
 ネギを2ケ所ほど抜きます。
 タマネギも太く青さを増してきました。
 チシャと水菜の跡地はそのままにしておきます。
 後は,草抜き等々・・・
 23日(日)  また一日仕事が入ってしまい,畑はお休みとなりました。
 30日(日)  朝からかなりの雨でしたが,最近畑に行く頻度が低くなっていますので,雨が小降りになるのを待って,畑へと走りました。
 雨中の作業となります。
 ホウレンソウ,春菊,ベンリ菜の跡地はそのままです。
 ニンニクは,この暖かさで茎をだいぶ太くしてきました。
 ダイコンはトウが立ち始めています。3本を抜きます。
 プロッコリーは2つとも,側花蕾がたくさんできてきていました。30個ほど収穫いたします。
 ネギもここにきて少し太くなってきました。2ケ所を抜きます。
 タマネギは,雑草に囲まれながら,かなり太く育ってきました。
 チシャと水菜の跡地はそのままです。
 雨が続いていますので,早々に退散いたします。

  ある夕刻,家の近くに買い物にでていましたら,見たことのない「ホルモン焼き屋」がいつの間にか開店していまして,ついフラフラと入ってしまいました。なかなか盛況でありました。
 この場所に以前何があったのかも既に記憶にありませんでしたが,出店のための工事も見た記憶のないほどの急な出現でありました。

 私の棲家は京都は五条通の比較的近くにあり,この場所に転居してきてからほぼ15年ほど経ちますが,周りの景色は急速に変わってきたように思えます。
 私がこの地に来てから現れた大規模なものだけを列挙しても,かなりの数に上ります。
 冒頭に書いたホルモン焼き屋のちょっと西に,数年前に葬儀場ができました。
 この葬儀場の北東方向のJR高架脇には,いわゆる日帰り温泉施設がオープンしました。
 葬儀場と五条通を挟んで南側には,ユニクロや大手回転寿司チェーンのすしろーがありますが,これらも10年ほどの歴史だと思います。
 さらにその並びには,大手しゃぶしゃぶチェーンの店舗,スターバックスそして「つたや」と続きます。
 それらは,JR丹波口の駅から西へ2〜3分の位置にありますが,逆に駅の東側の千本通を少し北に進みますと,大手スーパーのマツモトがあります。
 このスーパーも開店して10年ほどと思いますが,開店当時,近隣のスーパーが複数,休業や廃業といった状態に追い込まれたことを良く覚えています。大型スーパーの威力は確実に街の景色を変えていきます。
 そして,よくスーパーに併設される大型ドラッグ・ストアも。
 スーパーマツモトの北東には,つい2年前に京都産業大学附属中学校・高等学校ができました。
 朝晩は生徒の登下校でなかなかの賑やかさです。

 五条通は幾つかの国道とも重なり,以前から京都の幹線道路でした。堀川通から東は国道1号,烏丸通より西は国道9号,また国道8号や162号とも重複しています。
 一桁国道とこれだけ重なっているということは,京都の主要道路の最たるものであることをよく示していますが,昔日は単に車が「通過」する交通量の多い道路・・・といった感じでした。その沿線にあまり生活感はなく,工場などの施設が並んでいたというイメージがあります。
 その後,恐らくは,沿線に大型マンション等が多く建設されるようになり,工場などの撤退に代わって,広い駐車場を備えた飲食店やスーパーなどの施設=どちらかというといわゆる郊外型の施設が多く並ぶようになったのでしょう。
 五条通沿いは,公共交通などの便はあまり良くないところですので,それが原因の一つとなって,以前にはあまり人が集まるところではなかったと言えるかもしれません。

 さて,五条通はよく知られているように,もともとは平安京でいうところの六条坊門小路でありました。豊臣秀吉が,方広寺参拝のため,鴨川にかかっていた当時の五条大橋をこの六条坊門小路に移設したことによって,この通りが五条通となり,元の五条通は松原通と呼ばれるようになったとされています。
 六条坊門小路ってなんだ,六条通とどう違うのだと素朴な疑問が生じると思います。今や京都の人間でも知らない人の多い,なかなか分かりにくい道路名です。
 先ず「坊」とは平安京の東西南北の大きな道路に囲まれた区画を言います。ここを東西に走る小路のうち坊の中央を走るものを坊門小路と呼びます。坊門の「門」は,その小路が朱雀大路に面して門が設けられていたことから言われています。

 道路の並ぶイメージとしては,次のようになります。

五条大路
  樋口小路
 六条坊門小路
  楊梅小路
六条大路
  佐女牛小路
 七条坊門小路
  北小路
七条大路

 説明が長くなりました・・・

 さてまた五条大橋といえば,義経と弁慶の出会いの場として有名であります。
 唱歌牛若丸は「京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は」・・・と始まります。
 現在の五条大橋のたもとには,この歌詞をイメージした二人が戦うシーンの像が建てられています。まぁしかし,それは当時の場所と違うのではないかと当然指摘されるわけですが,この出会いの場所については諸説があり,まぁ分かりやすく言えば,像の現在地はそのような考証とは関係なく「分かりやすい」京都の観光施設ということであります。
 ついでに書きますと『義経記』によれば2人の出会いは清水観音の境内と言われ,他にも旧五条通(現松原通)西洞院に五条天神社が存在し,そこに架かる橋であったとも言われているようです。
 しかしながら,さらに言いますと,弁慶とは実在した人物なのかという疑問も生じます。
 恐らく,義経を庇護した複数の僧兵,悪僧の集合体として,弁慶伝説ができあがっていったという説が正しいというような気がいたします。

 現代に戻ります。
 五条通は,京都ではかなり太い幹線道路です。
 他の幹線道路=御池通や堀川通と同じく,第二次世界大戦時に防火帯形成のた
め建物疎開が行われたことにより,幅のある道路に整備されたものです。
 その沿線に多くの大型商業施設等が建ち並びますと,その景色はちょっと従来の京都らしからぬ感じとなってきます。
 一種東京の幹線道路沿いのイメージに近い感覚もいたします。
 そういう意味では,相変わらず生活感の少ない場所であるのかもしれません。
 例えば東京の環7を深夜に酔っ払って歩いていたりしますと,近くに民家も多いのでしょうけど,目に入ってくるのは,深夜営業の飲食店や道路を駆ける自動車のヘッドランプばかりで,やはりそこも生活感の少ない光景といえます。

 京都も東京の景色に近づいてきた感がいたします。

3月末の畑の様子



(なし)

 

ダイコン

ネギ


(なし)

ニンニク



(なし)




ブロッコリー



タマネギ


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