菜園日記2013年12月

 1日(日)  12月に入りました。
 比較的暖かな日曜日です。朝から畑へと向かいます。
 ホウレンソウ,春菊,ベンリ菜は,またまた葉を広げています。3つとも少しずつ収穫いたします。
 ニンニクは少しずつ大きくなっています。
 ダイコンは,かなり根を土の上に出してきました。
 ブロッコリーとカリフラワーは相変わらず頂花蕾を見せません。???
 ネギを1ケ所,根元から切って収穫いたしました。
 タマネギも順調な様子です。
 チシャはまた大きく葉を広げていました。10枚ほど収穫です。
 水菜も元気です。
 後は,草抜き等々・・・
 8日(日)  風の冷たい日曜日となりました。昼から畑へと走ります。
 ホウレンソウ,春菊,ベンリ菜はまた葉を大きくしていました,少しずつ収穫いたします。
 ニンニクも元気な様子です。
 ダイコンは青々と葉を茂らせています。根もかなり太くなってきました。
 ブロッコリーとカリフラワーは相変わらず。頂花蕾を見せません。植えた時期の関係でしょうか???
 ネギを1ケ所,抜きました。
 タマネギも元気な様子です。
 チシャと水菜も葉を広げています。少しずつ収穫いたします。
 後は,全体に米ぬかを撒いておきました。 
 15日(日)  不覚にも!?緊急入院という事態となってしまいました。
 畑はお休みです。
 22日(日)  本日の朝,退院してきました。
 さっそく午後,高校駅伝が通り過ぎるのを待って,畑へと走ります。
 ホウレンソウ,春菊,ベンリ菜はまた青々と大きくなっていました。 それぞれ2株ずつ収穫いたします。
 ニンニクは元気に冬を越しています。
 ダイコンも少しずつ太くなってきました。1本を抜きます。
 ブロッコリーとカリフラワーはここにきて,小さな頂花蕾を見せてきました。
 ネギはあまり太くなっていませんが,順調な様子です。
 タマネギも元気に冬を越しています。
 チシャと水菜もまた葉を広げていました。サンチュを10枚ほど収穫いたします。
 本日は特に肥料も撒かず,退散いたします。
 29日(日)  またまた不覚にも,高熱を出して寝込んでしまいました。
 今年最後の日曜日も畑はお休みとなりました。 

  この12月,なかなかいい経験をいたしました。
 生まれて初めての,緊急入院をいたしました。
 そして,社会人になってから一番長い連続休暇を取得いたしました。

 今思えば,2ケ月ほど前からその症状はでておりました。夜中に急に腹部=みぞおちが痛くなって眠れなくなったり,合わせて原因のよく分からぬ高熱が続いていたりしていたのですから,もっと早期に専門医の診断を仰いでいなくてはいけなかったのでしょう。
 しかしながら,その時はそれなりの時間が経つと痛みも治まったりして,お腹の痛くなる風邪なのかなあ程度に考えていました。
 私は,昔から大腸が弱い人間で,ちょっと飲みすぎたりしますと下痢などをすることはしょっちゅうなのですが,これまで胃の不調ということはめったになく,たまにちょっとキツめの胸焼けを起こすくらいでした。
 今回は,あまり経験のない胃痛でしたが,繰り返す異常を市販の胃薬などを飲みながらやり過ごしておりました。
 けれどもその間,今までにないような痛みと熱がある時もあり,ゴルフのキャンセルをせざるをえないこともありました。私が体調不良のためにゴルフをキャンセルしたことは,他にはあまり記憶がありません。
 そんな症状が不定期的に繰り返されていたのですが,この12月10日火曜日の朝はちょっと違う局面を迎えました。
 深夜にまたみぞおちの痛みで目を覚ました私は,上を向いても横をむいても痛みは軽くならず,この2〜3ケ月間に何度かしたように,リビングのソファーにうずくまっておりました。後で分かりましたが,この病気からくるみぞおちの痛みに対しては,寝た形では我慢ができず,誰もが座ってうずくまる姿を取るようです。
 しかし今回は,時間が経過しても全く痛みは治まらず,それどころか今までにない痛みとなって続きました。
 流石に私も,これはもう医者にかからなくてはいけない段階であると判断して,救急車を呼ぶつもりで服を着替えたのですが,自分で服を着替えられた状態なのだから,救急車を呼ぶことは立場上いかがなものか!?と思い直し,タクシーを呼んで急病診療所へと向かいました。
 外は,ポツポツと雨が降っていました。
 さてさて,ろくに調べずに行った私が悪いのですが,急病診療所というのは他の医療機関が休んでいる日の一定時間に営業をしている施設であって,平日の早朝に開いてはおりませんでした。
 で,私はその場所から119番に電話をかけ,この時間に緊急にかかれる病院を尋ね,教えてもらった病院に電話をし,了解を得てまたタクシーを拾い,その病院に駆け込みました。
 間もなく医師が来て,診察が始まりました。
 私は,胃腸の病気の一つなのだろうと勝手に素人判断をしておりましたが,医師は私と少し話をしますと,初めから全く違う見当をつけたようで,続けざまのエコー検査やCT検査の結果と合わせ,急性膵炎であると宣言されました。
 胆石が落ちてきて,膵管にはまり込み,膵液の十二指腸側出口を塞いでいるとのことです。
 病状等について説明があり,これからの手術等について同意が求められました。
 先ずは内視鏡手術によって胆石を取り除き,その後は重症化している(あるいは手術によってさらに重症化するであろう)膵臓の状態を見ながら,入院の上治療を続けるということでした。
 私は異常に自己防衛の強い神経質な人間ですので,通常時に経口の内視鏡(例えば人間ドッグの際の胃カメラ)なんてとんでもない話なのですが,こんな状況ではただ受け入れるしかありません。
 しかし,ここで一つの「奇跡」が生じたのです。
 いよいよ内視鏡手術というその直前に,最終的に造影剤を入れてのCT検査を再度行ったのですが,その時には胆石は十二指腸に落ちてしまっていて,手術の必要がなくなったのです。
 けれども,膵臓が重症化していることに変わりはなく,私はそのまま入院となりました。
 入院中に膵炎のことを少し勉強いたしましたが,膵臓がその正常な機能を失うと,ひどい場合には半年間も飲まず食わずの状態で治療を継続しなくてはいけないこともあるようです。
 非常に重要な,また複雑なシステムの,そして異常が生じた場合には極めて厄介な臓器のようです。
 私の場合は,そこまでの状態ではありませんでしたが,やはり食事をして膵臓に負担をかけてはいけないということで,絶飲絶食状態で,右手と左手の両方に3〜4種類の点滴を刺したままの生活が始まりました。
 4日目の金曜日になってやっと尿の管を外してもらえました。そして,この日のお昼から重湯が食べられることとなります。
 私は,重湯が食べられたら,すぐにおかゆになって,それから通常のご飯に変わって間もなく退院・・・と勝手に希望的観測をしたりいたしましたが,実際にはそうはいかず,金・土・日・月と(どこまでも延々と!と感じる)重湯を主食とする食事が続きます。
 重湯と葛湯それに野菜ジュースというようなメニューでした。連日茶碗一杯の白い重湯の横に,茶碗一杯の無色透明な葛湯が並びます。
 たまにゼリーも付いていまして,当時はゼリーだけが,味のある「固形物」として,なかなかの楽しみではありました。
 そして,入院5日目の土曜日から2日に一度シャワーも浴びることができるようになりました。
 入院からちょうど1週間目の17日の火曜日からは,食事は三分かゆにかわり,その翌日には五分かゆに,また朝はバンとサラダというように変わりました。
 おかずも,野菜を柔らかく煮たものを中心に,魚の煮物そして最終的には鶏肉の焚き物などが出てくるようになりました。
 同時に点滴も24時間連続のものではなく,一日に2回,朝晩3時間ずつぐらいのものに変わります。点滴の種類も1つとなりました。
 入院期間中,点滴以外には特なる治療行為はありませんでした。
 そして,入院から10日目の木曜日の血液検査の結果を受けて「かなり状態がよくなったので,次の日曜日には退院できる」との診断がありました。医師によれば,想定以上の速さで好転しているとのことでした。
 退院予定日前日の土曜日の夜に最後の点滴が終了し,点滴のための注射針が腕から抜かれました。何度も刺すところを変えたりして,12日間続いた点滴の,腕に刺され続けていた針でありました。
 この時に「やっと終わった」という感慨が湧いてきました。
 日曜日に晴れて退院できた私は,家で少しゆっくりした後は,年末ということで年賀状を買いに行ったり,久しぶりに街の景色を楽しむこともでき,また祝日の月曜日をはさんで火曜日からはさっそく出勤も再開できました。
 13日間の入院生活でした。
 今まで一度,大腸ポリープの手術で4日間ほど入院した経験はありましたが,それはまあ検診の結果の予定された入院・手術でありました。今回(ある意味たった13日間だけともいえるかもしれませんが)私にとっては初めての緊急かつ長期の入院であり,その終わりには大きな感慨もありました。
 しかし,身体はやはり思っていた以上に弱っていたのでしょう。
 年末の休暇に入ってすぐに,またまた原因不明の高熱がでまして,38〜39度以上にもなる熱が治まらず,今度は大晦日の夜に急病診療所に駆け込んだのですが,インフルエンザでもなく,風邪の一種だろうということでした。
 けれども熱はなかなか下がらず,年末から年始にかけては自宅ベッドで寝たきりの状態となりました。
 加えて,キツイ喉の痛みが続き,また熱のためか口内炎が大量にできて,まともに食事もできなくなってしまい,かなり痩せてしまいました。この数日間での体重の減については,入院中のものをはるかに上回るものでありました。
 その不調は,年が明けて仕事が再開してからも継続され,なんとか口内炎も消滅して食事もスムースにできるようになったのは,そしてまた喉にも違和感がなくなったのは,なんと1月も19日の日曜日となってのことでした。
 一旦大きな病気をした時には,全体的になかなか元には戻らないのだということも良い勉強となりました。
 なかなかの年末年始ではありました。

12月末の畑の様子



ベンリ菜

春菊
 

ダイコン

ネギ


水菜

チシャ

ニンニク



ホウレンソウ




ブロッコリー

カリフラワー


タマネギ


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