菜園日記2013年11月

 4日(月)  11月に入りました。
 3連休最後の穏やかな祝日となりました。お昼から先ずアヤハに行き,タマネギの苗を購入して,畑へと走ります。
 ホウレンソウ,春菊,ベンリ菜はかなり大きくなっていました。それぞれ,たくさん間引きつつ収穫です。
 ニンニクも伸びてきましたが,まだ発芽していない場所が2ケ所ほどあります。
 ダイコンはかなり大きくなっていました。各箇所を1本立ちにして,間引きつつ収穫です。
 カリフラワーとブロッコリーも背を伸ばしてきました。ただ,かなり葉を虫に食べられています。
 ネギも元気な様子です。
 エダマメの跡地を耕して畝を作り,なるべく詰めて,タマネギの苗を植えました。
 チシャと水菜も葉を伸ばしていました。それぞれ少しずつ収穫いたします。
 後は,草抜き,化成肥料等々・・・
 10日(日)  秋の嵐のような雨となりました。
 畑はお休みです。
 17日(日)  久しぶりに暖かな日曜日となりました。昼から畑へと参ります。
 ホウレンソウ,春菊,ベンリ菜はそれぞれかなり葉を大きくしていました。それぞれ少しずつ収穫いたします。
 少し空いたところにベンリ菜の種を追い蒔きしておきます。
 ニンニクも元気な様子です。
 ダイコンも少しずつ大きくなってきました。また1本間引きいたします。
 ブロッコリーとカリフラワーはまだ頂花蕾を見せてくれません・・・
 ネギは全体に背を伸ばしてきました。薬味用にと,1ケ所を根元から切って,収穫いたします。
 タマネギの苗もついているようすです。
 チシャと水菜も葉を広げていました。それぞれ少しずつ収穫いたします。
 あとは,ビタミン剤,草抜き等々・・・
 24日(日)  暖かな11月最後の日曜日です。昼前から畑へと参ります。
 ホウレンソウ,春菊,ベンリ菜はまた葉を大きくしていました。それぞれ間引きしつつ,収穫です。
 ニンニクは元気な様子です。
 ダイコンも少しずつ太く大きくなってきました。
 ブロッコリーとカリフラワーは,まだ頂花蕾がはっきりと見えません。昨年と同様,ちょっと???な現象です。
 ネギも少しずつ太さを増してきました。
 タマネギはまだヒョロヒョロとしていますが,元気な様子です。
 チシャと水菜もまた株を大きくしていましたので,たくさん収穫できました。
 後は,全体にビタミン剤等々・・・

  インターネット創世記(というか日本的にはインターネットが一般に開放された平成の初期頃)には,
「web上の情報の99%は屑情報だが,残りの1%にとても貴重なものが存在する」というようなことがよく言われたりしていました。
 様々な情報の発信元が,それまでの身元が確かな(?)出版社やテレビ局,あるいは研究機関等ではなく,一般人なのでありますし,また匿名性の中で,わざと情報を捻じ曲げたり,面白がって偽情報を発信する輩も多いのですから,そのような評もあながち間違っていたとは言えません。
 99%という数字の適否はともかく,現在においても,webを取り巻く状況は同様でありましょう。
 逆に,インターネットの意図的悪用や情報操作の事例がどんどんと増えている感もあります。
 しかしながら,私がここに来てスゴイ!と感心していますのは,今までそれほど研究されなかった分野,あるいは個々の調査・研究が記録として残される努力がされなかった分野,即ち主に「サブカルチュア」関係の知識や研究結果の蓄積です。
 これが例えば,日本の歴史的遺物,代表的なものとして寺院についてでありましたら,何十年何百年にわたる文書学的な研究やまた発掘調査による発見,地域に残る伝承等の聞き書き等々,由緒正しき方法論で研究された成果がたくさん蓄積されていますし,それらは文書や映像の記録等となって大学などの各研究機関に保存され,広く公開,活用もされています。
 このように学問的な方法論によって集積されたデータベースは,世界的な人類の財産でもあります。
 しかしながら,いわゆるサブカルチュアに関しては,研究対象として認められる以前の存在として,体系だった研究もされていませんし,散見する調査・研究などについても,ある時に特定読者を対象とする雑誌などに掲載されてそのまま埋もれてしまう・・・というような形を取ることがほとんどであったと思います。
 これがインターネットの世界でそれらの成果を蓄積し,また内容等について議論が交わされたりする場所=空間が提供されるや否や,世界中のマニアや関係者による情報がたいへんなスピードで,そして驚くべき質量で蓄積されることとなります。
 誰もが知っているビートルズを例に挙げましょう。
 以前の我々が得ることのできた情報といいますと,ビートルズの○○という曲に聴こえる正体不明の音は,実はメンバーの誰々が歌った録音テープを逆回転させたり回転数を変化させて作成したものであり,その詩はそのメンバーが当時交際していた彼女のことを想起して作詞したものらしい・・・などと外国の音楽雑誌に掲載された内容を,ラジオのディスクジョッキーなんかが「ここだけの話だけど」的に披露して,深夜ラジオなんかでそれを聴いた高校生リスナーが次の日に学校で得意げに級友に話し,それが拡散していく・・・なんてことがせいぜいだったわけであります。
 当時は,日本で外国の音楽雑誌を購入すること自体なかなか困難なことでしたし,例えばそれを英語で読む機会のある人間が,自分なりに解釈を加えてラジオやテレビの深夜番組で語りますと,それをオンエアーで聴いた人間が,これは貴重なスゴイ情報をゲットしたぞ!と寝ぼけながらの記憶を頼りに友人・知人に自慢げに語るというような形で,マニアックなお宝情報が広まっていくわけです。
 真偽のほどはなかなかムズカシイものがあります。
 ある意味,恐ろしい伝言ゲーム状態です。
 まあ昔々には,大学教授でも外国の関係文献を翻訳するだけで学問的業績とカウントされていたわけですから,根源的なところは一緒だったような気もいたします。
 特にサブカルチュアの分野では,例えば当時の日本のSF小説の作家や評論家は,本家?の国のSF雑誌やその類の映画等をいかに早く読んだり見たりすることができるかで,国内業界のトップランナーになれるかどうかというような状況があったと思われます。
 アメリカの政党制に関する英語論文の翻訳然り,SF創世記の欧州などの流行作家の作品の紹介然りであります。
 ところが現在のインターネット上では,ビートルズが〇○のアルバムを録音した時には,いつもと違って△△のギターが使用されていて,そのギターはメンバーの誰々が本格デビューする前に,どこどこの国へ行った時に購入して,アマチュア時代のステージでずっと使っていたものであったなどと,思わず「エーっ!?」と言ってしまうような詳細情報がごく普通に蓄積されています。
 そしてそこに当時のLPアルバム録音時のお宝写真がつけ加えられたり,デビュー前の貧乏であったメンバーのギター獲得秘話などが家族や関係者から語られているテキストが添えられたりもしています。
 まあ,ネタはいろいろとあるわけですが,学術的分野では理論を構築する時に,いわゆる資料批判というか,どのような資料を根拠があるものとして(信頼するに足りるのか),あるいはどの資料はあまり根拠のないものとして(使用するに不適切なものなのか)等々,正当的な方法論によって取捨選択されたりするわけですが,この点,サブカルチュアのマニアや研究者は長い年月の間に積み上げられた方法論を獲得はしていないとしても,極めて丁寧にまた誠実に実証を重ねているように見受けられます。
 もちろん,自己アピールなどを含めて,行き過ぎた推論や根拠のないでっちあげ話を展開する者も多く存在しますが,私の見ている限り,そのような論は丁寧かつ慎重に排除されています。
 ある領域,分野に深い興味を有する集団の真摯な態度は尊敬に値するものですし,努力を重ねて一定の知識を得ることとなった者たちにとっては,ガセネタや屑情報は,ある意味容易に判断できるものでもあり,自分たちの立場を止揚するためにも積極的に排除されるべきものだと考えられていると思われます。
(学術的な分野にあってもいわゆる「とんでも本」やその他の類は次から次へと出現してくるのですから,重要なことは,防ぐことの不可能な「屑情報」の発生ではなく,きちんとした見極めであるのでしょう。)
 そしてそのような人々によって,新たな「歴史」,新たな研究分野が形成されつつあることは,現代において声高く称賛されるべきことだと思います。
 私は,インターネットの一義的な意味は,それまでの情報発信主体たる権威的な機関やマスコミ等々ではなく,パソコンの前に座る一般の人間が,平べったい関係性の中で,それぞれが情報発信を担ってグローバルにつながる「可能性」であると考えていましたし,それは今でも変わりませんが,それと負けず劣らず上に書きましたような情報の集積作業ということが大きな意味を有し始めていると確信しています。
 それはまた我々の想像する速度をはるかに超えて進んでもいます。
 もちろん屑情報は相変わらず大量にかつ悪意を持ってまき散らかされてはいますが,真摯で丁寧な作業は,それらを凌駕する勢いで着実に積み重なっているという信頼感も存在します。
 人間の知の営みは嬉しくも,しかし,キリのない膨大な時空間に突入してしまった気がいたします。

11月末の畑の様子



ベンリ菜

春菊
 

ダイコン

ネギ


水菜

チシャ

ニンニク



ホウレンソウ




ブロッコリー

カリフラワー


タマネギ


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