菜園日記2013年4月

 7日(日)  春の爆弾低気圧なるものが襲来した週末となりました。
 畑はお休みです・・・
 14日(日)  所用のため,本日も畑はお休みとなりました。
 21日(日)  3週間ぶりの畑となってしまいました。
 朝少し残っていた雨が止むのを待って,車を走らせます。
 初めに高山園芸店に行き,トマトの苗を3つ,トウガラシの苗を2つ,それから腐葉土,化成肥料を購入して,畑へと回ります。
 コマツナとネギの跡地を耕して,畝をつくり,南からトマトの苗を3つ,トウガラシを2つ植えます。
 ニンジンとブロッコリーの跡地に,腐葉土と化成肥料を入れて,また少し耕しておきます。
 ダイコンの跡地はそのままです。
 ニンニクは,急に大きく伸びていました。
 タマネギも青々と大きくなり,根の部分を太らせてきました。
 葉物野菜の跡地もそのままにしておきます。
 後は,草抜き,水遣り等々・・・
 29日(月)  ゴールデンウィークの月曜日です。
 昼前から,コーナン,高山園芸店と回り,肥料や腐葉土,そして,ゴーヤの苗を2つ,ナスの苗を3つ購入して,畑へと走ります。
 先週植えた,トマトとトウガラシは,ちょっと元気がありませんでした。このところの高温と水不足が原因かもしれません・・・
 ニンジンとブロッコリーの跡地に,少し畑用の土を加え,耕して,畝を作ります。南から,ナスを3つ,ゴーヤを2つ植えました。
 ダイコンの跡地に,石灰,腐葉土,油かすを入れて,荒起こししておきます。
 ニンニクは順調な様子です。ただ,今年は,まだトウも立たず,少し遅れ気味の感はいたします。
 タマネギはいよいよ元気です。追加で後から植えた苗もずっとヒョロヒョロと枯れそうな感じでしたが,ここにきて元気に大きくなってきました。春の威力です!
 葉物野菜の跡地を,ダイコンの跡地と同じように荒起こししておきます。
 後は,草抜き,水遣り等々・・・
 早いものです。
 現在の仕事も,あとわずかな期間を残すものとなってしまいました。
 いわゆる「定年」です。
 昨年から定年まで3年間しかないということを意識し始めまして,私もそんな歳になったのだなぁと感慨にふけつつ,残りの3年間を可能な限り充実したいと,高校生活の3年間に模すこととを密かに企みました。
 まぁ当然,自己満足だけの世界ですから,とりたてての意味などありませんが,いくつかの事象においては,高校生活と今の有様を比ゆ的に楽しめることも多く,それだけでも意味があるような気がしたりしています。
 このような考えを有しましたのは,昨年度の後半ぐらいからだったと思いますので,実質的には,この4月から始まった「高校2年生の生活」をいろんな意味で充実していきたいと望んでいます。
 さてさて,高校2年生といえば,青春の代名詞みたいな一年間でありますが,現実的な高校2年生からちょうど40年後の現在,残念ながら,その当時のような体力も気力も持ち合わせない自分が存在しています。
 まぁしかし,体力はともかくとして,高校生の主要な「属性」といってもよい「未来」であるとか「新鮮さ」等々の言葉で表現される事象については,決して否定することなく,今現在のそれらを楽しんでいきたいと考えています。
 一方で,私の40年前の現実の高校生活がそんなに充実した,意識的建設的な毎日だったかというと,決してそんなことはなく,逆に,何の意識もなしに遊びまわっていた日々ではありました。
 振り返れば,(振り返った時にだけ)美化される昔日として照射される3年間という感もありますし,逆に現実的には,ダラダラとした時間を過ごすだけの3年間であったと反省しきりの期間であったりもいたします。
 ただ,人生の中で極めて密度の濃い,ある意味特異な数年間であったことは否定できないでしょう。
 毎日出会うことのほとんどが新鮮さに満ちていましたし,子どもと大人のはざまで,周囲の人々や社会に対して自分なりの見解をぶつけたり,そして何よりも,友人との楽しい時間が溢れるほど存在していました。
 そして,私の高校時代は,歴史的にも特殊な時代でありました。
 高校1年生が1970年でありますから,我々は否応なしにさまざまなムーブメントの真っ只中に投げ出されておりました。
 世界的な「異議申し立て運動」の最盛期とも重なりますし,地球全体が若いパワーで揺り動かされていたといっても過言ではない時代でした。
 同時に,早やそれらの終焉も予感されており,新たな時代の流れがほんのりと見え始めた時期でもありました。
 象徴的な事件がこの年に連続しています。
 この年は,日米安保条約の「期限」の年であり,「人類の進歩と調和」をテーマに掲げた大阪万博が開催された年であり,そしてその開幕とほぼ同時に,日航よど号のハイジャック事件が発生した年でもありました。
 また,特に文化的な分野では,その後に続くありとあらゆる方法論が世界中で芽吹き,噴出していたと言っても良いと思います。
 ビートルズが解散した年でもありますが,彼らと時空間を共有した多くの若者は,次のステップを試行錯誤しつつ,同時に全方向的に疾走してもおりました。
 現実社会の中では,しかし,髪を伸ばしてジーンズをはいた若者は,シティホテルへの入場を断られてもいました。
 そんな時代です。
 三島由紀夫が,市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺をしたのも1970年の秋のことです。一つの日本の右翼的想いが,「軍人たるべき」自衛隊員によっても「民主的に」否定されたエポックであると,当時政治少年であった私は理解しています。
 そのような時代背景も今とは全く違いますから,今からの仮想高校2年生生活は一言でいえば,私の日々の心の持ち方だけのこととなるでしょう。心の中で,来年は高校3年生だからいよいよ「受験勉強」を本格的にしなくては・・・などと楽しんではいます。
(歳を取った者にとっての「受験勉強」が何であるのか,それなりのイメージは有しているのですが,それ以前に,もっと単純に「高校生らしい」未来志向の「受験勉強」を再開したいとも考えています。)
 まぁしかし,受験の前には,誰でもが高校生活最後の文化祭に全力を注ぐように,私としては,この高校2年の間に,バンドの音楽活動でそれなりの「舞台」を持ちたいと思ったりしています。
 それから,私は高校の時にボウリングに凝っていまして,現実的にもそれなりの「舞台」に立ったこともあるのですが,今それと比して,ゴルフの方は情けないことに歳とともに三ケタを叩く回数も無視できない数となってまいりました。
(当時は,ボウリングの大ブームでもありました。街のいたる所にボウリング場が建てられ,人々は何時間もの待ち時間をジッと待っていました。1970年は,第1回の女子プロ・ボウリング選手権が開催され,中山律子が優勝した年でもあります。)
 老兵の体力は急降下するばかりではありますが,ゴルフについても,それなりの記念碑を打ち建てたいなぁと密かに考えたりはしています。
 さて,今一つ言いますと,私の高校生活はほぼすべてバイクと共に過ごした時間でしたが,これまた現実的にバイク生活の復活ということは,さまざまな制約の前に躊躇ってしまうものではあります。
 けれども見方を変えれば,高校生がバイクを手にするということは,一つにそれまでにない長距離の移動手段を手に入れるということであって,そういう意味では,別な方法でさらなる空間拡大の経験もチャレンジを楽しみたいものです。
(バイクの本来的魅力である「スピード」については,ちょっと体力的にも復帰できそうにありません・・・)
 ・・・と,いろいろと夢想を並べ立てましたが,はたと気づきますと仕事に関するモチーフが一つも想起されておりません。困ったことであります。
 最後に言い訳じみてはおりますが,そちらの方は,高校生ではなく定年間近の現実のオッサンの総決算として,それなりの「舞台」を作り上げたく日々精進してまいりたく存じます。

4月末の畑の様子



トウガラシ

 

ゴーヤ

ニンニク

(なし)


ナス



トマト




(なし)

タマネギ


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