菜園日記2013年1月

 6日(日)  新年初めての日曜日です。穏やかな気候となりました。
 コマツナは,元気な様子です。また10数枚,収穫いたします。
 ネギは例によって,なかなか大きくなりません。こんなに生長が遅いのは初めてのことです???
 ニンジンを1本抜きます。
 ブロッコリーも,側花蕾が適当な大きさになっていました。10個ほど採ります。
 ダイコンも,1本抜きます。
 ニンニクも,ちょっと生長が遅いかな・・・という感じです。
 タマネギは順調です。
 サラダ菜は完全に萎れていましたので,終わりにします。
 その部分に,予備に植えていたタマネギの苗を移植します。
 春菊,水菜,少しずつ収穫です。
 その他,草抜き,油かす等々・・・
 13日(日)  全国都道府県対抗女子駅伝の開催日です。 先頭走者が来ないうちにと,昼前に畑へと向かいます。
 コマツナをまた10数枚収穫いたします。
 ネギはやはり,なかなか大きくなりません。原因は何なのでしょうか?
 ニンジンは,逆にここ1,2年失敗していましたが,今年は良く育っています。大きなもの,1本を抜きます。
 ブロッコリーは,相変わらず側花蕾がなかなか大きくなりません・・・
 ダイコンもちょっと遅れ気味の感じはしますが,全体的には順調です。大きな1本を抜きます。
 ニンニクも元気な様子です。
 タマネギは,先週に追加で植えたものは,ちょっとついていない・・・という感じです。
 春菊はなかなか葉を大きくしてきません。
 水菜はまた葉を広げていました。半分ほどを採ります。
 他は,草抜き等々・・・
 20日(日)  所用のため,畑には行けませんでした。
 27日(日)  冷え込んだ週末となりました。
 昨日の夕方に市内を車で走ったのですが,パラパラと雪が舞ってきました。
 畑は市内と言っても北の方にあります。
 本日ももしかするとと思いながら向かいますと,やはり一面に雪を被っていました。
 そのまま帰宅いたします。

 毎年のことですが,年が押し迫りますと年賀状に先んじて「喪中のお知らせ」ハガキが届くようになります。
 歳とともに受け取るこのハガキの枚数も増えてきたように感じていますが,私の年齢的に言いますと,友人知人からの「喪中のお知らせ」で一番多いものは,ご両親などのご逝去を伝えるものです。
 そして最近は,暮れの喪中のお知らせに続き,年が明けてしばらくが経ち,年賀状が郵便受けに入らなくなる頃,また別のご不幸に関するご連絡をいただくことが多くなりました。
 この場合はほとんど,私が毎年年賀状をやり取りしていたご本人が亡くなったことを,そのご家族の方からお知らせいただく便りです。
 ご家族にとっては,ご本人が誰に年賀状を出していたのかを正確に把握していないことがほとんどでしょうし,そのご逝去を知らない者からの年賀状が届いて初めて,ご本人が亡くなったことをお知らせするということなのでしょう。
 このような辛い便りは,私の年齢的にもまた最近多くなりました。
 以前に,大学の同級生から共通の友人の死を知らせる手紙が届いた時のことを書いたことがあります。
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                                 (菜園日記2007年9月)
(前略)
 この9月,仕事から帰宅して,郵便受けを開けますと,他の郵便物や広告チラシに混ざって,一通の見知らぬ(?)差出人の名を記した手紙が入っていました。その名前の下にわざわざ「柔道部です」と書いてあります。
 差出人もそのように書かなければ,自分のことを分からないだろう・・・考えたのでしょう。
 ただ,柔道部と書いてあったことで,差出人の顔が不鮮明ながら,脳裏に浮かんできました。
 彼も大学の同級生であり,Y君と同じく柔道部で活躍していました。私にとっては,Y君を通じての友人でありました。
 ただ,その「柔道部です」という添え書きを見たときから,悪い予感はしていました。
 封を開けると,予感は的中しており,「Iさん,Fに続いてYも亡くなりました」という報告でありました。
(後略)
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 私に,Y君の死を教える手紙を出してくれたのはM君でしたが,彼とはそれがきっかけともなって,その後年賀状を交換する間柄になりました。
 また時折は手紙等で,学生時代のことやY君の想い出などをやりとりすることもありました。
 そして,この1月,年賀状が郵便受けに入ることもなくなった時期に,また一通の手紙が来ました。
 差出人のところにM君の住所・氏名があり,その名前の下に「内」,左側に女性の名前が添えてありました。
 女性の名前は,奥さんのものであろうと容易に想像がつきました。
 しかしながら,M君の名前がちゃんと封筒に書いてありましたし,また私はM君が闘病生活を繰り返していたことを知っていてましたから,今年は病院に入って年賀状を書けなかったM君の代わりに,奥さんが挨拶の手紙を出してきたのかなぁと,ある意味意図的に良い状態を想起して封を開けました。
 しかし,それはやはり,M君の死を知らせる文面でした。
 長年連れ添った奥さんの手で,M君の人となり,闘病生活のこと,仕事や田舎の友人との想い出などが愛情のこもった文章で書かれていました。
 私と彼とは,上記の経過以外にはほとんど重なることのない時間を過ごしてきましたが,大学時代の同級生として,同時代の一コマ一コマをある意味容易に思い起こせるような人生の景色を共有していたと思えます。ですから,奥さんの手紙も,一種映像を伴ってM君の折々が浮かぶものでありました。
 大学の同級生が,40代,50代で次々と亡くなりますと,私のような不摂生で,いいかげんな生き方をしている人間がのうのうと長らえていることは,彼らの命を削って奪っているから可能になっているのではないかと真剣に考えたりしてしまいます。
 自虐的であるかもしれませんが,生の不公平さに対する正常な反応でもあると思ったりもいたします。
 実は,この1月はこのような手紙がもう一通ありました。
 それは,私の以前の職場の大先輩で,文部科学省に長く勤められ,人生の後半は留学生に対するお世話を献身的になさっていた方のものでした。
 最後の職場を退職されてからもしばらくは京都に夫婦で住んでおられたのですが,最近になって生まれ育った横浜に戻り,夫婦でケア付の高齢者住宅に移り住むことを目前にしてのご逝去であったようです。
 先輩は,90歳を超えての大往生でありました。
 これも奥様からのお知らせでありました。同じく奥様の手で,ご本人の人となりが暖かな目線で書かれていました。
 50代,90代という違いはありますが,どちらも人生のご伴侶の悲しみと愛情が良く伝わる手紙でした。
 合掌。

1月末の畑の様子



ネギ

 

ブロッコリー

ニンニク

水菜
春菊


ニンジン



コマツナ




ダイコン

タマネギ


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