菜園日記2011年6月

5日(日)  3週間ぶりの畑となりました。観測史上2番目の早さで入梅し,先週は大雨で,畑もほぼ水没状態でありました。
 いくらかは立ち枯れしていても仕方ないなぁ・・・という思いでした。
 昼から仕事が入ったため,早朝から畑へと向います。
 タマネギは,全て倒伏し,球もけっこう大きくなっていましたので,全てを収穫いたします。全部で63個の収穫となりました。
 タマネギの跡地と,サニーレタス等の跡地に,石灰,クンタン,油かすを入れて,荒起こししておきます。
 ナスは,先週の風雨で横倒しとなっていましたし,キュウリも地を這っています。
 ナスとキュウリに本支柱を立て,それぞれ支柱に留めます。
 キュウリは,大きな実を1つつけていました。今年初めてのキュウリを採ります。
 シシトウは,ちょっと心配な感じですが,スクッと立ってはいます。
 トマトも,横倒しとなっていました。支柱を立て,紐で留めます。脇芽を撤去いたします。
 ニンニクは,そろそろ葉を枯らし始めてきました。
 ジャガイモも葉が枯れ始めてきました。
 後は,全体に草抜き,化成肥料等々・・・



今年もやはりゴーヤを植えます。
(6/12)

12日(日)  梅雨の晴れ間となりました。朝から,高山園芸店に行き,ゴーヤの苗を2つ購入して,畑へ向います。
 タマネギとサニーレタス等の跡地を耕し,畝を作ります。その南側に,ペットボトルのお尻で印をつけ,枝豆の種を4粒ずつ蒔いていきます。全12ケ所となりました。上からベタがけシートを被せておきます。
 北側にゴーヤの苗を2つ植えました。
 ナス,キュウリ,シシトウは,元気に大きくなっています。先週から大きく生長している感じです。小さなナスを1つ収穫です。
 トマトも大きく伸びています。また上部を支柱に留めます。脇芽を撤去いたします。
 ニンニクは,枯れてきましたが,まだまだ青い部分が大半です。ニンニクの芽を数本収穫いたします。
 ジャガイモは,大分葉が枯れてきました。
 あとは,草抜き等々・・・



次々と咲くキュウリの花
(6/12)

19日(日)  雨の合間を縫って,早朝から畑へと向いました。
 先週種を蒔いた枝豆は,早くも全箇所から発芽して伸びてきていました。
 ゴーヤも,支柱にツルを絡めて大きくなっています。
 ナスも元気な様子です。早くも小さな実を数個つけていました。1つを採ります。
 キュウリもどんどんと伸びています。そこそこの大きさのもの1つを採ります。
 シシトウは,株は小さいままですが,実を数個つけています。それなりに大きなもの2つを収穫いたしました。
 トマトは,また大きくなっています。脇芽を取り,上部を支柱に留めました。
 ニンニクは,大分枯れてきました。試しに1ケ所を抜きましたが,大きなニンニクとなっていました。
 ジャガイモは,かなり葉を枯らしてきました。
 後は,化成肥料等々・・・



葉を枯らし始めたニンニク
(6/12)

26日(日)  梅雨明けはまだですが,暑い暑い6月最後の日曜日となりました。
 朝から畑へと走ります。
 枝豆は,全12箇所でかなり伸びてきました。ベタがけシートを外し,各箇所2つを残して,間引きいたします。ただ苗によっては,葉を虫に食べられて弱々しくなっているものが見うけられます。
 ゴーヤはまた背を伸ばしてきましたので,少し長い支柱を添えておきます。
 ナスは,元気にたくさんの花を咲かせています。本日は1つ収穫です。
 キュウリは,どんどんと伸びて花もたくさん咲かせています。大小10本ほど収穫できました。
 シシトウは,あいかわらず株は小さいままですが,実を大きくしています。大きいもの1つを採ります。
 トマトも,かなり葉を繁らせてきました。脇芽などを撤去し,また上部を支柱に結びます。
 ニンニクを全て収穫いたします。いい形・大きさのもの11個の収穫となりました。跡地に石灰と油かすを入れて,荒起こししておきます。
 ジャガイモは,かなり葉を枯らせてきました。そろそろ収穫時です。
 あとは,草抜き,化成肥料等々・・・



手前から,ナス,トマト,ジャガイモ
(6/12)

 まだ生々しい話題でありますので,誤解のないように書きたいとは思っていますが,原発=原子力発電の話です。
 東日本大震災の関係で,原発がメルトダウン!し,全国的にその継続等々が問われているわけですが,もう今は,誰も彼も原発に反対し,原発容認派は,マスコミでもネットでも叩かれ続けています。
 まぁそれはそれでいいでしょう。私も,節電はいやだから,休止状態の原発を一刻も早く再稼動させろというつもりはありません。
 でもなんか東電=東京電力だけが悪者にされているのは,いろいろな意味で,おかしいのではないかと考えています。
 もちろん,今回の事故に直接的に対応する際のミスなどは,責められてしかるべきことではあります。
 しかし,そもそもあのような事態を生じさせた原発を,設置,運営するのは,東電だけの力でできたことなのでしょうか!?
 その当時の,国や省庁,また地方自治体の役割は何だったのでしょう?
 それを忘れて「東電にだまされた」とか「こんな危険があるとは考えてもいなかった」といっている地方自治体や当時の推進派の人々,そして多くの政治家達,さらにはマスコミ関係の「有識者」といわれるような人々等々は,ちょっと卑怯すぎるのではないでしょうか!?
 当時は恐らく,原発反対派は,反社会的勢力の一つとして,地元の説明会等々では,
「特定党派の意思を代弁している!」
「ある宗教団体の人間ばかりが集まって,反対を唱えている!」
などと,いわば「非国民」扱いをされていたことは,容易に想像できます。(私は別に,上記から直接的に想定される特定政党や特定宗教団体と関係はありませんし,シンパシーも有しておりませんが・・・)
 なぜなら,そのような対応が日本における施策の地元説明,関係者の説得時の常套手段であるからです。日本の民主主義なるものの基本部分において,情緒的な訴えや定型的刷り込みが大きな要素を占めていることは,情けない現実であると思います。
 以前に,某超一流野球選手が語った「日本が共産主義国家になったら,野球ができなくなってしまう」という有名なセリフは,一見その野球選手を揶揄するように使われたりしますが,実は,上記の意味で,冗談とか揶揄のレベルではなく,実社会に疎いスポーツ選手などがそのように刷り込まれることがごく普通のことであったことの証でもあ
ります。
 そして,例えば原発誘致の説明会等の時に,少なくとも,冷静に科学的に,また歴史的な教訓を生かして考えていれば,原発がある条件下においては,非常に危険な状況を引き起こす可能性を有しているものであることを,簡単に想像できたはずです。第一,絶対に事故がないものなんて,この宇宙上に存在しえないではないですか。
 今急に原発反対を唱えだした多くの人間が言うように,当時そのように考えることが不可能,不自然であったとするならば,それは,彼らが,
「想像力を,全く欠如していた」か,あるいは
「想像することを否定していた」かのどちらかではないでしょうか?
 その時の,利害誘導や自治体レベルでの交付金,さまざまな保証金等々のために「想像することを行わず」また「想像することは間違っているぞ!」と他者を強制しておきながら,現在のように大きな,取り返しのつかない事態が生じてから,東電に騙されていたとか,こんな危険性があったとは知らなかったなどというのは,もう恥知らずといった範疇を超えて,一種の犯罪行為ではないでしょうか!?
 まだまだ生々しい話題でありますので,本日は,ここまで。

6月末の畑の様子



ゴーヤ


シシトウ

キュウリ

(なし)

ジャガイモ

ナス






枝豆



トマト

ジャガイモ


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