菜園日記2010年10月

3日(日)  10月に入りました。
 本日も昼から仕事が入り,早朝から畑へ行くこととなりましたが,朝早くは種苗屋さんも開いていませんので,昨日の内に,ブロッコリーの苗,ニンニク,腐葉土などを買い込んでおきました。
 ナスは,普通のもの,賀茂ナスとまだまだ実を大きくして,花もたくさんつけています。水ナスは,ちょっと調子が良くありません。合わせて10個ほど収穫いたします。
 ピーナッツは,元気な様子です。
 ニンジンは,ますます背を伸ばしてきました。間引きしつつ10数本の収穫です。
 ネギも順調に大きくなっています。
 モロヘイヤもまだまだ元気ですが,次のことを考え,終わりといたします。最後に葉を数十枚採って,抜いてしまいます。跡地に,石灰,腐葉土,牛糞,油かすを入れて,荒起こししておきます。
 ゴーヤとキュウリの跡地を耕して畝を作り,南側にブロッコリーの苗を2つ植えます。例によって,普通のもの,スティック・セニョールと1つずつです。
 北側には,ニンニクの鱗片を植えます。3×4の12ケ所となりました。
 ダイコンは,本葉も生えてきましたので,ベタがけシートを外します。各ヶ所から1本ずつ,間引きして,収穫です。
 オクラもまだまだ元気ですが,モロヘイヤと同様にします。最後に大小10個ほどの実が収穫できました。今年のオクラは株も太く育ち,たくさんの実が採れました。
 後は,水遣り,草抜き等々・・・



今年はたくさん採れた賀茂ナス
(10/17)

10日(日)  3連休ですが,所用のため,畑には行けませんでした。
17日(日)  本日も昼から仕事が入りましたので,種などを先日の土曜日に買い込んでおきました。
 早朝から畑へとまいります。
 ナスは,まだ実や花をつけていましたが,終わりといたします。最後に賀茂ナスの大きなものを含め,数個の収穫となりました。今年は,たくさんの賀茂ナスが収穫できました。
 それに比して,普通のナス,それに水ナスは特に収穫量の少ない年となってしまいました。ナスの跡地に,石灰,腐葉土,油かす等々を入れて,荒起こししておきます。
 ピーナッツは元気です。そろそろ収穫時を迎えます・・・
 ニンジンは,茎をピンと伸ばしてきました。また間引きしつつ,10数本を採ります。
 ネギも元気に大きくなっています。
 モロヘイヤの跡地を耕して畝を作り,コマツナの種を蒔きました。ベタがけシートをしておきます。
 ブロッコリーは,虫に葉を食べられながらも,少しずつ大きくなっています。
 ニンニクは,全箇所から発芽を確認できました。
 ダイコンも元気です。各箇所からまた1本ずつ間引いて収穫です。
 オクラの跡地を耕して畝を作り,えんどう豆の種を蒔きました。ここにもベタがけシートをしておきます。
後は,草抜き,水遣り等々・・・



そろそろ収穫時のピーナッツ
(10/17)

24日(日)  今日は,一日仕事の日となりまして,畑はお休みです。
31日(日)  10月最後の日曜日となりましたが,本日も仕事と所用で
畑には行けませんでした・・・



今年もブロッコリーを2種
(10/17)

 テレビで「ターミネーター3」を見ました。
 このシリーズは,けっこう見ているのですが,「1」は1984年の作品であったと聞くと,改めてそんなに昔のものだったのかなぁと思ってしまいます。
 この作品の当初の設定では,意思を持ってしまったコンピュータが人類を滅ぼしにかかって,乗っ取った軍事システムから核ミサイルを乱発射する「審判の日」は,1997年8月29日でありました。
 ターミネーター3は2003年作品ですから,既にその審判の日は過ぎてしまっている訳でありますが,「2」のストーリーによって,審判の日は先に伸びたということになっています。まぁ,審判の日が回避されたのか伸ばされたのか,ということよりも「3」を作るためには,そういう変更が必要であったということなのではありましょう。
 いずれにしろ,1984年という段階では,1997年という年はちょっと先の世紀末としてふさわしい年であったのかもしれません。
 しかし,その年も,映画続編の都合というだけではなく,実際に審判が下されることもなく,現実の時間が追い越し,過去となってしまいました。
 さてさて,最後の審判,その他諸々の終末論等々と,20世紀の最後期には,さまざまな「予言」が声高く叫ばれましたが,全ては現実の時間が通過してしまいました。
 代表的な(?)「ノストラダムスの大予言」は,ここ日本で,1973年に著された五島勉氏の「作品」でありますが,失礼ながら,氏も当初は,人類滅亡の1999年7の月までには26年間という長い年月があり,四半世紀にも渡る先の話でありますから,そんな遠い未来のこと,ナンとでもこじつけられると思っておられたかもしれません。しかし,これまた何事もなく通過してしまいました。(その後の五島氏の言い訳には詳しくありません・・・)
 また,悲壮な未来予想だけではなく,遠い未来の中に,希望やファンタジーを設定した物語も無数にありますが,これに関しましてもその設定時期がスッと通り過ぎていきますと,ちょっと寂しいような不思議なような感慨が生まれたりもします。
 鉄腕アトムは,私が生まれる前から存在していた作品ですが,アトムの誕生日は2003年4月7日と設定されていました。
 今から既に7年も前のバースディでありますが,未だに10万馬力(100万馬力と書くべきか?)で空を飛ぶ人間型ロボットは,見かけることができません。
 しかし,その他の分野では,手塚治虫氏の想像力をはるかに超えて出現しているものも多くあるように思えます。・・・携帯電話の進化のスピードが最たるものでしょう。
 (・・・蛇足ですが,鉄腕アトムに少し遅れて活躍した鉄人28号は,しかし,未来のロボットではありません。太平洋戦争末期に,日本帝国軍の秘密兵器として作られたものであり,作品の舞台は当時の現代=昭和30年代であります。)
 また,思い出すに,映画「2001年宇宙の旅」は,1968年の公開でありました。今でも世界的に傑作という評価が高い映画の一つですが,公開当時は,日本のSF界の巨匠達に・・・筒井康隆氏や星新一氏達に・・・愚作だ,退屈だ等々とさんざんに評価されていました。
 まぁそれはともかく,その中で出現した「スター・チャイルド」が生まれる以前に,2001年も通過してしまいましたし,史上最高の人工知能HAL9000型コンピュータレベルのものもまだ出現してはいないといえるでしょう。

 でも,一方でなかなかその時間に追いつけない設定もあります。
 これまた鉄腕アトムに続く国民的英雄のドラえもんは,22世紀の製造でありますから,現代の読者が,その誕生日を現実に通過することはちょっと不可能なようではあります。
 と書きつつ,今の子どもが100歳まで生きることは,少しも非現実的ではないなぁ・・・と思う私でありました・・・
 ひょっとしたら,20世紀にこの作品を書き始めた藤子・F・不二雄氏も,22世紀は,いくらなんでも,読者の誰も現実的に検証はできないと思っていたのかもしれませんが,今となっては,しかし,一代の人生スパンに入る未来とも言えます。
 2003年のアトムの誕生日は,その時も今も,アトムが読み続けられていたからこそ,いろいろな想いを呼び寄せたのでしょう。
 22世紀に入った時に,ドラえもんは,読み続けてもらっているでしょうか?

10月末の畑の様子


ピーナッツ

ネギ
ニンニク

エンドウ

ニンジン






(なし)



ブロッコリー


コマツナ

ダイコン


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