菜園日記2009年10月

4日(日)  10月初めの日曜日,昼過ぎから畑へ走ります。
 ネギは順調な様子です。
 ニンジンも,上の写真のように条に沿って,キレイに発芽しています。
 ナスの実は,あまり大きくなっていません。比較的大きなもの3つを採って,来週を待つこととします。しかし,そろそろ終わりの時期かもしれません。
 ダイコンも,10ケ所全ての発芽を確認できました。
 サツマイモをそろそろ収穫することとしました。大きなイモが続々と・・・と期待していたのですが,あまりたくさんの収穫とはなりませんでした。それでも大小合わせて30個ほどの収穫です。初チャレンジとしては,まずまずでしょうか。収穫が少し早すぎたのかもしれません。跡地に,石灰,腐葉土,牛糞を入れて耕しておきます。
 サニーレタスは,大きく葉を広げてきました。もう少ししたら収穫時となるでしょう。
 ブロッコリーは,順調に育っています。
 ニンニクは,まだ発芽を確認できません。
 後は,水遣り,ビタミン剤等々・・・ 



発芽したダイコン
(10/11)

11日(日)  涼しい日曜日となりました。
 初めに高山園芸店に行き,腐葉土,石灰,牛糞それとビタミン剤を買い込んで,六基グリーンへと回り,そこで芽キャベツの苗を1つ,水菜の苗を2つ買って,畑へと走ります。
 先週の台風の影響が心配です。
 ネギは,やはり台風の強風で,根元から斜めになっているものが幾つかありました。土を寄せて直します。
 ニンジンの葉は,2〜3センチに伸びていましたので,ベタがけシートを外します。
 ナスは,台風のために,支柱が大きくゆがんでいました。実もほとんどが色艶の悪いものとなっています。それでも,いい色艶のもの3つを収穫することができました。まぁしかし,今年のナスはここで終わりといたします。支柱なども撤去して,跡地に石灰,腐葉土,牛糞を入れて耕しておきます。今年のナスは,長期間に渡って豊作でありました。株自体も今までで一番大きくなったと思います。
 ダイコンも葉が大きくなってきましたので,ベタがけシートを外すこととしました。
 サツマイモの跡地の北側半分をまた耕し,北から順番に,水菜を2つ,芽キャベツを1つ植えました。
 サニーレタスは,元気に葉を広げています。
 ブロッコリーも,台風のため,根元から斜めになっていました。ここも土寄せをして修正いたします。
 ニンニクは,本日,全ての箇所で発芽を確認できました。
 後は,ビタミン剤,草抜き等々・・・



ニンニクも発芽を確認
(10/11)

18日(日)  昼過ぎまで仕事が入りましたので,夕方から畑へまいりました。
 ネギは,順調な様子です。しかし,今年のネギはどういうわけか,太くなるものと細いまま背を伸ばすものと2つに分かれています。
 ニンジンも順調な様子です。
 ダイコンは,各箇所から1本ずつ間引きます。
 サツマイモの跡地の中央部分を耕して,畝を作り,ペットボトルのお尻で印を10個つけて,またダイコンの種を蒔きました。各箇所5粒ずつです。
 芽キャベツも順調な様子です。
 水菜は,ちょっと萎れています。??? 少し様子を見ることといたします。
 サニーレタスも順調です。
 ブロッコリーは,また2つ共に,土寄せをしておきます。
 ニンニクも順調です。
 後は,水遣り,草抜き等々・・・



植えてすぐ萎れてしまった水菜(植えた時の写真)
(10/11)

25日(日)  大分涼しさの増してきた10月最後の日曜日です。昼過ぎから,高山園芸店でコマツナの種を買ってから,畑へと走ります。
 ネギ,ニンジン共に順調な様子です。ただ,ニンジンは,今年もちょっと種を蒔くのが遅くなったためか,他の畑のものと比べても背の低い状態ではあります。
 ナスの跡地はまだそのままにしておきます。(タマネギの苗待ちです。)
 ダイコン(西)は,順調に大きくなっています。また各箇所1本ずつ間引きます。
 先週新たに植えたダイコン(東)も,10ケ所全てから発芽を確認できました。
 芽キャベツもそれなりに?順調です。
 水菜は完全に枯れていました。ちょっと原因は?であります。処分して,その後を少し耕し,そこにコマツナの種を蒔きます。
 サニーレタスは,かなり葉を広げていました。数枚収穫いたします。
 ブロッコリー,ニンニクは順調な様子です。
 後は,草抜き,水遣り等々・・・



今年も2種類のブロッコリー
(10/11)

 最近はテレビで,マンガ家やマンガ作品について熱く語られる番組が多く見られるようになりました。
 このようなことは,以前からマニア向けの雑誌などで行われてきたものではありますが,それが例えばNHKの番組で放映されるものとなりますと,視聴者数も圧倒的に違ってきます。換言すれば,マニア的小世界から国民的公認世界への進出・大転換であ
ります。
 そこでは,各界の著名人によって,マンガ作品やマンガ家に対する想い出や個人的感想だけではなく,全体的な構成,ストーリー展開から個々のコマのセリフや,情景,ペンタッチに至るまで,具体的に,そして大きな枠組みの中で語られます。
 登場人物のちょっとした表情や行動も,人生論的・芸術論的に,また作者の人類普遍の愛や平和への希求の表明などとして,論じる対象となっています。
 しばらく前に,文芸評論家が小説家やその作品を語っていた,そういう行為の対象がマンガ家やマンガ作品に置き換わったように思えます。
 おそらく,今やマンガは,そのような位置に堂々と着席したということなのでしょう。
 しかし,私は,このような状況に関して異議があります。
 私は,小学生の時に『COM』に出会い,中学生の時には,マンガ家になることを夢見て,同人誌を主催していた人間ですが,それでも異議を申したく思います。
 マンガをそのような「高み」に押し上げてしまうことが果たして正しいことなのかどうなのか?
 エー,私は学生時代に,落語好きの友人2人と,喫茶店かどこかで落語に関する話をしていた記憶があるのですが,その2人は,江戸落語の素晴らしさや高尚さ,また落語家の話の技術等々について熱く語り続け,誰々という落語家の何々という話はもはや完成された芸術作品であるというような話で盛り上がっておりました。
 私は,その時「落語が芸術に『成り下がって』いいのか?」という趣旨の反論?をいたしましたが,二人は,こいつは何を言っているのだという顔をして「お前には落語は分からない」と一蹴されました。
 しかし,私は今でも,芸は芸術に成り下がるべきではないと思っています。
 そーいう文脈で言えば,マンガも同じく,純文学的な何モノかに「成り下がる」べきではないと考えています。
 そうなることによって,マンガのマンガたる本質部分が消え去ってしまう気がいたします。
 芸やマンガやサブカル等々の優れた「本質」とは何なのか。それについては,また別途展開したいと思います。
 さてさて,いずれにしろ少年時代あるいは青年期に親しんだマンガに対する想いを述べることは,やはり,自分自身を語ることに他ならないと思うのですが,それは一時代前は,あるいは人によっては,文学の役割であり,映画の位置でありました。音楽も同じでありましょう。
(音楽に関しても,ポップ・ミュージックは芸術に成り下がらないで欲しいと強く願っています。)
 しかし,そのうち,これは確かな予感がありますが,自分自身を語る媒体は,テレビゲームになるでしょう。
 「あの○○ゲームのセカンドで,主人公と誰々が運命的に出会った△△の街で語りあった言葉を覚えているか?」というような発言が,そう遠くないうちに,NHKの番組なんかで熱く語られ,人類普遍のテーマなんかと結びつけて論じられたりするのであります。
 まぁ,私としては,テレビゲームも決して芸術には成り下がって欲しくはありませんが・・・

10月末の畑の様子


ニンジン

ダイコン
コマツナ

芽キャベツ


ニンニク

(なし)






ネギ



ダイコン

(なし)

ブロッコリー

サニーレタス


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