菜園日記2008年1月

6日(日)  2008年初めの日曜日は,とても暖かな日となりました。お昼から畑へと向います。
 後から植えたタマネギの苗は,ほぼ全滅状態のようです。ただ,わずかに葉を伸ばしているものも見られます。
 ブロッコリーの側花蕾は,本日,あまり大きくなっていませんでした。4つだけ収穫いたします。
 一方,今年のコマツナは,豊作です。今も葉は青々として元気です。本日も20本ほど収穫いたしました。
 ニンニクは,順調な様子に見られます。
 ネギを1本,根元から切って採りました。後から植えた苗も少しずつ大きくなっています。
 ダイコンも,順調な様子です。
 辛味ダイコンは,まだ根元を見せてきません・・・
 新菊は,この寒さのためか,全くといっていいほど,生長しておりません。
 ニンジンも少しずつ大きくなっていますが,収穫にはまだまだといった大きさです。
 後は,全体に,草抜き,ビタミン剤,化成肥料等々・・・ 



年を越しても元気なコマツナ
いつもはこの時期になると,葉は萎れたり,虫に食べられたりしています。
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13日(日)  全国女子駅伝の開催日。交通規制の合間をぬって,冷たい小雨の中をお昼から畑へと走りました。
 タマネギは,後から植えた苗の中にも,ヒョロヒョロながら,ちゃんと背を伸ばしてきているものがありました。これからが楽しみです。
 ブロッコリーは,またまた側花蕾は,どちらも大きくなっておらず,本日は収穫なしです。
 コマツナは,また20本ほど採りました。
 ネギを1本抜きます。
 ダイコンも1本抜きました。
 辛味ダイコンは,根元が地上部に上ってきませんので,どのようになっているのか,良く分りません・・・
 新菊とニンジンは,相変わらずのままです。
 いつも元気に育っていたニンジンですが,どうやら今年は失敗のようです。
 冷たい雨が続きますので,早々に退散いたします。



ほぼ買ったときのまま観葉植物と化している新菊
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20日(日)  午後から仕事が入りましたので,早朝から畑へ向いました。
 早朝の畑はさすがに冬の畑という感じです。隣の区画に置いてあったバケツには氷が張っていましたし,畝の表面は,霜が立ったために土が持ち上がってフカフカになっています。
 ブロッコリーには,本日はそれなりの側花蕾が見られました。双方から,数個ずつ収穫いたします。
 コマツナもまた10数本収穫いたしました。相変わらず元気なコマツナですが,そろそろ葉が固くなってきたような感じがします。
 ネギは,太いものを1本,根元から切って収穫しました。
 ダイコンも太いもの2本を抜きます。
 辛味ダイコンは,他のダイコンや株のように,根元を地上部に現してくるのを待っていたのですが,改めて種の袋の注意書きを見ますと,この根は地上部には出てこない・・・というようなことが書いてありました。不注意を反省いたします。試しに1本を抜きます。まだ少し小振りではありますが,根を丸く太らせていました。それがこのページの一番上の写真です。
 新菊とニンジンは,相変わらずです。
 後は,液肥等々・・・



収穫時のよく分らない辛味ダイコン
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27日(日)  1月最後の日曜日は,朝から小雪の舞う日となりました。畑の方は雪が積もっているのかも・・・と思いながら出発しましたが,積雪はありませんでした。ただ,近くの家の前には,小さな小さな雪だるまが置いてあります。
 タマネギは,苗によって,生育の差が激しくなっています。やはり後から植えた苗は芳しくありません。
 ブロッコリーの側花蕾も,相変わらずパッとしません。通常のものからは2個,スティックセニョールからは数個の収穫です。下葉などを撤去いたしました。
 コマツナはまた20本ほど収穫いたしましたが,そろそろ葉の元気もなくなってきたような感じがします。
 ニンニクは,順調に冬を越しています。
 ネギは,1本を抜きました。ただ,茶色に枯れた葉の部分には,カビのようなものがついていましたので,そのような葉を大幅に取り去ります。ここも後から植えた苗は,あまり大きくなっていません。
 ダイコンも1本抜きます。
 辛味ダイコンも順調な様子です。
 新菊とニンジンは,まぁそのまま・・・
 そうこうしている内に,また雪が降ってまいりましたので,退散いたします。



畑を借りた同時期に購入したRX−8
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 愛知県岡崎市に住んでいたのは,小学校低学年の頃でありましたが,当時の家にあった電話は,確かハンドルをくるくる回す類のものでありました。
 くるくる回すと,電話公社に繋がります。そこで,確か3桁か4桁の番号を言って「1234番の山本さんに繋いでください」というと,山本さんに電話がかかるというわけです。  多分,電話の向こう側では,リアルタイムに手動で,ひも式交換機の操作をしていたのでしょう。
 子供でしたから,市外に電話したことはありませんでしたが,電話機の多い東京なんかに電話する時にはどのような操作をしたのか,一度調べてみたいものではあります。
 で,山本さんが出たら,今から遊びに行っていい??なんて確認したりするのですが,まぁ当時,山本さんが日常的に遊ぶことの少ない遠方の友人だったからそのような電話をするのであって,電話機の少ない時代に,子供は普通そんなアポを取ったりはしませんでした。
 友達の家の玄関の前で,突然「山本くーん,あーそぼ!」と大声で誘うのが通常の正しき姿です。
 京都に転居してからは,ダイヤル式の黒電話に変わりました。当然のことながら,一家に一台の電話ですから,友達と秘密の話なんかする時には,細心の注意と作戦が必要になります。
 当時の電話は多くは,居間の外側の廊下に置いてあったりするのですが,・・・アニメ・サザエさんの設定どおりです・・・居間にいる家族に悟られないように,大声でありきたりのことを話し,合間にヒソヒソと本題を話したりします。懐かしくも馬鹿馬鹿しい作戦です。
 まぁしかし,この電話によって,遊びの作戦を立て,約束を取り付けたりするわけであります。中高生の夜遊びですから,深夜の玄関で大声で誘うわけにはいきません。
 ダイヤル式がプッシュホンに変わっても,一家に一台の固定電話である限り,このような構造は不変でありました。
 携帯電話がいかに革命的であったのか,小さい頃から携帯電話が当たり前の世代の家族・個人意識は,どのように変化したのか,多分多くの人が興味を持っていることでしょう。
 私の学生時代は,アパートの部屋に電話などありませんでした。
 従って,急な連絡は,電報です。「今日,どうでしょうか?」とマージャンのメンバーに電報で誘われることもありました。
 待ち合わせに間に合わない時なんかも,連絡が取れません。数人で待ち合わせて飲みに行こうなんて時にも,一人がなかなか姿を見せなかったりしますと,何時まで待っていていいかどうかも判断できないわけですから,先に飲みに行かざるをえません。当時は,駅なんかに,「伝言板」という黒板がありまして,そこに「山本へ。東口の○○という飲み屋で待つ」なんて書き込んだりしていました。相手が掲示板に気づけば,連絡は達成です。太古の狼煙にも劣るかもしれません。
 待ち合わせや他の約束事に代表されるような連絡手段ということに関しては,携帯電話は,正にすごい革命でありましたと言わざるをえません。
 相手の都合はリアルタイムで確認できるのです。ですから,相手が嫌がると,それ以上はなかなか踏み込めません。
 昔のように「誰々ちゃん,遊ぼーっ!」と,突然相手の家に押しかけて,玄関の扉をガラガラと開け放ち,そのまま部屋に押しかけてしまうようなことは,タブーになってしまいました。相手の迷惑など顧みず,勢いで押しかける楽しみは,もうなくなってしまったのであります。
 携帯は人を冷静にさせてしまいます。

1月末の畑の様子




ブロッコリー


ニンニク ダイコン ニンジン



新菊

コマツナ





タマネギ





ネギ

辛味ダイコン


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