菜園日記2005年12月

4日(日)  先週はまた畑に来られませんでしたので,2週間ぶりの畑となりました。朝から小雨の続く日曜日でしたが,畑に出かける時には,ちょうど止んでくれました。
 ネギをまた根元から切る形で,2ケ所収穫いたします。先に切って収穫したものも,またそれなりに葉を伸ばしていますが,葉の色や勢いはあまり良くありません。いろんな要素で,元気が足りないのでしょう・・・
 タマネギを植えている畝が,何か小動物によって,踏み荒らされていました。苗が根元から取れてしまったものも2つほどあり,埋め戻します。この場所は,何も植えていない時期にも,荒らされていたことがあり,小動物の通り道になっているのかもしれません。その場所に短い支柱を柵代わりに,斜めに3本ほど差して,気休めの防御といたしました。
 芽キャベツの結球は,かなり大きく,芽キャベツの形をしてきました。
 西側のダイコン,1本を抜きます。かなり大きなダイコンとなっています。
 ブロッコリーは,中央の株の花蕾がちょうどいい大きさに育っていましたので,収穫です。その回りの側枝も小さな花蕾をいくつもつけています。
 東側のダイコンも1本を抜きます。これも,かなり大きな1本です。
 コマツナは,またまた間引きながら,20本ほど採りました。



大きな冬の収穫
(12/10)

10日(土)  お昼から畑へ向かいました。
 ネギは霜が降りて,葉が柔らかくなったためでしょうか,全体に葉が折れたり,下向きに倒れこんだりしています。もったいないので,そのような葉を10数枚,切り取って収穫いたしました。
 防護柵が功を奏したのか(?),今週はタマネギに被害は見られません。ただ,全体的に葉の色とか,元気がありません。
 逆に,芽キャベツが,不自然な形で,葉の何枚かがポキッと折れていました,ひょっとしたら,今度はここに小動物が乗っかってしまったのかもしれません。結球は,そろそろ収穫も近いという大きさです。
 ダイコンは,また東側,西側のそれぞれから1本ずつを収穫いたしました。
 ブロッコリーは,南側の株から,中央の花蕾を収穫いたします。キレイな花蕾です。
 上の写真が,ちょうど,本日のダイコンとブロッコリーです。
 コマツナもまた,10数本を採りました。
 後は,全体に液肥とビタミン剤を散布いたします。



中央の花蕾を切り取った回りの側花蕾
(12/10)

23日(金)  今年は12月にしては,記録的な寒さということですが,昨日の22日もまた久しぶりの大雪でした。
 昼から畑に行きましたが,畑も完全に雪に埋もれています。
 何の作業もできませんので,ダイコンとネギを少し採ってお終いとします。
 ニンニクもタマネギも葉の先を少しだけ雪の上に覗かせています。
 芽キャベツとブロッコリーに被さっている雪を少しどかせておきました。
 で,早々に退散いたします。



敷藁とタマネギ
(12/10)

31日(土)  今年最後の畑へと向かいました。
 ニンニクは,順調なのでしょうが,今までの経験からして,少し生長が遅いような気がします。まぁ,その年々によって,いろいろと条件が異なるのでしょうから,気にするほどのことではないかもしれません。
 この間の雪につぶされてしまったのか,ネギは横倒しになっている葉がたくさん見られます。そのような葉や枯れた葉を,大幅に撤去しました。3ケ所ほと゛根元から切って収穫いたします。
 芽キャベツは,そろそろ結球も大きくなってきましたので,10個ほど採りました。ただ,北側の株は,茎があまり伸びず,結球もキレイには揃っていません。結球の締り具合ももう一つです。南側の株には,きれいな結球が並んでいます。
 ダイコンは,西側,東側から1本ずつ抜きました。また葉の枯れてきたものを大幅に取り去ります。
 ブロッコリーは,最後の1本の頂花蕾を採ります。
 コマツナも10数本を収穫します。虫に食べられてはいますが,まぁまぁキレイな葉です。
 全体に液肥をあげて,今年の畑のお終いです。



師走の畑(12/10)

 父が亡くなってから,もう10年近く経ちますが,父はその年代の男性にはめずらしく料理の才がある者でした。どこでどのように習得したのかは,聞くことはありませんでしたが・・・
 といっても,日常的な食事の用意をするというようなことは全くありませんでしたが,年末ともなると,一日台所に立って,おせち料理をせっせと準備しておりました。
 父としては,何かホッとする趣味の時間だったのかもしれません。
 いや,それよりも,東京生まれの父にとって,代々の東京の味を用意しなくては気がすまなかったのでしょう。
 父が存命中は,我家には年始のお客さんがたくさん来られましたので,五段のお重が3つ4つほど,それに補充する料理,またお重以外のさまざまな料理・・・と,かなりのヴォリュームと種類のおせちを用意していましたが,そのほとんどは自家製のものでした。
 まぁ,さすがにかまぼことか伊達巻なんかは作るわけにもいきませんでしたが,いわゆるおせち料理のほとんどは,栗を裏ごししたり,細かな食材を同時にいくつもの鍋で煮込んだりと,家中が台所状態で作られていたのを良く覚えています。
 まぁ,昔の日本でのある種,当たり前の年末の光景かもしれないのですが,日頃家にあまりいない父が年末ともなると,それらの全てを仕切っているのが,私には印象的に残っている記憶ではあります。
 私も,いつもは,鉄砲玉のように家には寄り付かない少年ではありましたが,この時期には外出をなんとなく控え,火鉢の管理をしたり,餅を切ったり・・・と,「家族の一員」を演じていたものではあります。
 また,大晦日の深夜には,友人達と初詣に出かけることもありましたが,これまた自分なりのルールで,出かけるのは家人と年越しそばを食べてから・・・と決めてもおりました。
 さらには,いつもの休日は,前夜思いっきり夜更かしをして,昼ごろまで布団の中で過ごし,昼ごはん時にゴソゴソと起きだしては,寝巻き姿のままで食事を取るというスタイルも,正月3ケ日だけは,早々に起きては顔を洗い,服を着替えて食卓に着く・・・という形ではありました。
 まぁ,ある意味当然というか,どこの家庭でもそーだったのかもしれませんが,家に寄り付かなかった私にとっても,お正月はやはり「ハレ」の日だったということなのかもしれません。
 最近は,おせち料理も,デパートで,なんとか料亭の特選おせち料理なるものを買って食べたりしています。
 まぁ,それなりに趣のあるお重とはなっていますが,この味とこの量で,なんと高い料金を取るのだなぁと感心してしまいます。
 おせち料理というような,お正月の「良きところ」だけを欲しがる「家庭喪失者」への「罰金」のように思えもします。

12月末の畑の様子




ネギ


芽キャベツ ブロッコリー コマツナ
タマネギ





ニンニク






ダイコン



ダイコン

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