菜園日記2004年12月

5日(日)  前日から強い雨風の続いている日曜日。その合間をぬって畑へと出発しましたが,結局小雨の中の作業となってしまいました。この雨のため,畝間にまた水がたまってしまっています。スコップとバケツで何回も汲みだしました。
 芽キャベツは,結球がかなり育ってきていましたが,食用にはまだ少し早い感じです。葉は大きく広がってきて,上から見ますと,あの独特な模様を描いています。
 タマネギは,少しずつ大きく伸びてきました。けれども,他の畑のものと比べると,かなり細い感じです。植える時期が遅れたためなのでしょうか。
 ダイコンやジャンボ・ニンニク,ネギも順調な様子です。
 ニンジンは太いもの1本を抜きました。かなり太く大きくなっています。
 正月菜はまた間引きしつつ収穫いたします。小さいものも順番に大きくなってきますし,この調子だと,今年(来年?)は正月のお雑煮に使えそうです。
 京ミズ菜も,だんだん葉がミズ菜らしい形で大きくなってきました。
 雨は強くなったり,弱まったりとしつつ降り続き,早々に退散いたします。



結球をつけ始めた芽キャベツ
(12/5)

11日(土)  12月としては異常に暖かい日の午後,畑へと走ります。
 芽キャベツは,結球もだんだんと大きくなってきました。でも食用には今少しです。下部の葉を数枚かきとります。
 タマネギの苗は元気に立っています。植え付けが遅くて少し心配でしたが,この暖かさのために救われたのかもしれません。
 ダイコンは一番太いものを1本抜きましたが,そんなに育ったものではありませんでした。全体的に黄色く枯れた葉が点在していましたので,撤去します。
 ネギはこれまで何回か根元から切断して収穫していましたが,その部分からもまた新しい葉がけっこう伸びてきています。
 ジャンボ・ニンニクは,葉の色が少しおかしいかなと思われるものが少しありました。雨で跳ねた泥がついているせいか?と,葉の裏の泥を取り去ります。
  ニンジンも太く育ったもの3本を採りました。1本は形も良く長いものでしたが,あとの2本は,2股になっていたり,割れ目が見られたりという状態ではありました。でも大きく育っています。
 正月菜はまたまた間引きしつつ収穫します。種を厚く蒔いていたので,間引きしつつもけっこう多く収穫できています。そういえば,この正月菜の種は,去年の同時期に蒔いたものの残りを使ったもので,ちゃんと発芽するかどうか心配していたものでした。
 京ミズ菜も,間引きしつつ収穫いたします。かなりの若採りとなりますけど,この方が茎の部分も美味しく食べられると思っています。
 後は,草抜き,それから低くなっている地面部分の補修等々・・・



お雑煮に間にあうか(?)正月菜
(12/5)

18日(土)  本日は午前中から畑へと向かいました。
 芽キャベツは先週から見ても順調に結球を大きくしています。また少し下部の葉をかきとります。
 ダイコン1本を抜きます。かなり太く長いダイコンとなっていました。
 ネギは,この所生長のスピードが遅くなった感じです。去年もそんな感じであった記憶があります。
 ニンジンも3本を抜きます。ただ,1本は全くの寸詰まりでありました。
 正月菜はまたまた間引きしつつ収穫。まだまだ採れそうです。
 京ミズ菜も少し採ります。春に作った時よりも,明らかに元気に育っているように思えます。やはり葉野菜は今の時期が作りやすいということなのでしょうか・・
 後は,全体に化成肥料,そして草抜き等々・・・



芽キャベツにダイコン,奥にネギ
(12/5)

26日(日)  まだまだ暖かい年末,お昼から畑に向かいます。
 あの春ジャガイモの苗は,とうとう枯れてしまいました。引き抜きますと,土の中に小さなジャガイモをそのままつけていました。
 芽キャベツは,北側の株が,かなり結球を大きくしていましたので,10個ほどかきとりました。また茎が斜めに傾いていましたので,土寄せを少しいたします。
 やはり隣近所のタマネギ苗と比べて,我畑のタマネギは茎があまりにもひょろひょろとしていますので,少し化成肥料を撒きます。いいことなのかどーかは,不明・・・
 見るからに太そうなダイコン2本を抜きました。
 ジャンボ・ニンニクには,根元にまたコーヒーマルチをいたします。
 ニンジンは,全体的に葉の元気がなくなってきた感じです。大きなもの2本を抜きます。
 その他,草抜き等々・・・



いかにもヒョロヒョロなタマネギ
(12/5)

31日(金)  大晦日。
 朝から生憎の雨・・・と,窓の景色を眺めていましたら,雪に変わり,みるみるうちに積もっていきます。そのうちまた雨と変わり,小雨となってきましたので,お正月用の野菜を採りに畑へと車を走らせました。
 小雨の中,正月菜とネギを採って,今年の畑はお終いです。
 テレビで小学生なんかが主人公のドラマがありますと,主人公の淡い初恋の人は,ある日突然引越しをすることとなって,主人公は引越し業者のトラックを走って追いかけ,最後には町外れの橋の上に佇み,どんどん小さな影となっていくトラックをジッと見送るなんてシーンがよくあります。
 小さなときには,友達が遠くに行ってしまうということは,もう会えないということですし,町外れの橋というのは,そういう意味で越えがたい「境界」なのでありましょう。
 私はけっこう引越し経験の多い人間です。
 生まれてから幼稚園を出るまでは,東京は世田谷区に住んでおりました。回りはお屋敷ばっかりの一角でして,ある日,友達と近所のお屋敷の庭に忍び込んで遊んでいましたら,黒い上下を着たいかにも執事といった感じの老人が近づいてきて,やさしく注意されたことを今でもよく覚えています。
 それから,愛知県の岡崎市で小学校低学年を過ごし,4年生になる時に京都へと渡ってきました。まぁこの頃は,親にくっついて動いているだけなのですけど,大学に入って,東京へと向かいます。
 大学4年間で2回下宿を変わり,大学院の3年間はまた違う場所へと移ったのですが,アパートとかを転々としていますと,なんか何時まで経っても,自分の暮らす場所を「仮住まい」のように感じ続けてしまいます。
 学校を出て,いったん京都の実家に戻り,そこから通勤をしていましたが,しばらくして中古のマンションを購入し,そちらへと動きます。山に隣接したマンションで,窓を開けると,春には桜が,秋には紅葉が窓いっぱいに広がっていました。
 間もなくまた東京勤務を命じられ,新宿西口の小さな部屋で3年間を過ごすこととなりました。バブル真っ盛りの東京は,今思い出しても,一種異様な不思議な光景を浮かべておりました。
 東京から戻って,2つの職場を異動してから,今の四条大宮近くのマンションに引越しをいたしました。
 ここには7年目になりますが,なんか私は,いつまでもその時々の住まいが「仮住まい」という感覚が抜けないところがあります。
 どこかの町の橋を越えるということは,そこに置いてくるもの,引きずってくるものが生じるということなのでもあるのでしょうが,私の場合,いつまでも引きずっているものが多いのかもしれません。ただ,まぁそれが私の性分なのであるから,それを今更否定しても仕方ないのかなぁという気もいたしています。
 嫌な思い出でも大事なものとはずっと「付き合っていた」方がいいような気もしますし,楽しい記憶もいつの間にか知らない内に風化してしまうこともあるでしょう。
 畑を2年間近く耕したりしていますと,毎年同じ時期に同じ植物の姿を見,太陽がある角度を持つ季節になると過去何百・何千年の経験から,何かするべきことを行う,そんな人の営みのほんのわずかが見えてきたような感覚があります。
 遠い昔,山間の段々畑を耕していた人々は,橋を越えて他所へ行ってしまうなんてことは考えることもせず,夏も冬も鍬を振りかざしていたのでしょう。
 彼らは,自分の里のことを「仮住まい」なんて思いもしなかったのでしょうか!?それとも,ひょっとしたら,ほんの短い間,フッと地球の上に現れた「仮住まい」の時空間を大切にしようと,一つの場所を一生懸命に耕していたのかもしれません。

12月末の畑の様子




タマネギ


ネギ ニンジン 京ミズ菜
ダイコン





芽キャベツ






ジャンボ・
ニンニク



正月菜

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