◆パペット◆第24回 by日向 霄 page 2/3
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もしこの男がいなければ、俺はどうしただろう。今頃はあのおとぎ話のような世界でマリエラとともに穏やかな日々を過ごしていたのだろうか。
血腥い現実そのものの男。夢の中の亡霊達よりも強く、思い出したくない過去をつきつけてきた。
危険で。
ひどく危険で。
マリエラのそばには置いておけないと思った。そして俺自身、マリエラとともに生きる資格はないのだと思い知らされた。
それなのに、この男の口から『彼女のもとへ帰す』という言葉を聞くなんて。
俺は知っていたのだろうか。
殺してしまうこともできたのに、俺はそうはしなかった。どのみち道具として死んでいく運命なら、自分から進んで使われてやるのも悪くはないかと言い訳をして。
誰か知っていた奴がいるのだろうか。俺とこの男の出逢いが、何を生み出すかを。
あらためて、ジュリアンは微笑む。
「ありがとう。嬉しいよ」
本当に、すべては俺のために仕組まれたのかもしれない。マリエラも、ムトーも、俺のために選ばれたのだ。
「礼はめでたく大団円を迎えてからにしてくれ。何も具体的な手だてはありゃしないんだ」
わざと素っ気ない口調で、ムトーは応えた。照れているのだ。
しかし実際、これからどうすればいいのか。ただ逃げているだけでは黒幕にたどり着くことも、“楽園”に帰ることも不可能だ。第一、あの場所が今も無事存在しているという保証はない。地上がこれだけ混乱していて、地下に影響がない方がおかしい。こうして愚にもつかない言葉遊びを続けている間に、“楽園”は踏み荒らされているかもしれないのだ。
その考えはずしりとムトーの腹にこたえた。あの美しい金色の麦がなぎ倒され、夕陽ではなく子ども達の血が大地を茜に染めているとしたら――。
ユウリの顔が思い浮かんだ。薬を塗り、包帯を巻いてくれた小さな手。それからラング。まだ三つか四つにしか見えなかった。一緒に汗を流した少年達。ほんの数日過ごしただけ。まだ、あの場所を離れて一週間と経っていない。
急速に膨れ上がってきた帰りたいという想いに、ムトーはたじろいだ。こんなにも愛しいと思うなんて。
「大丈夫さ、きっと」
ジュリアンがそう言ったとたん、再びハーヴェイが姿を見せた。
「失礼」
ノックは扉を開けてからだ。保護してもらっている身に、プライベートなどという贅沢は望むべくもない。
「同志タカムラがあなた方と話したがっています」
手にした無線機をわずかに上げて、ハーヴェイは二人を促す。
タカムラというのは『女神の天秤』の指導者と目されている男だ。結社の連中は表向き全員が対等の権利を持ち、互いを『同志』と呼び合う。しかしもちろん序列はある。表に出ない分陰湿で熾烈な権力争いも。
ムトーはジュリアンを見た。軽くうなずいて見せるジュリアン。
『その声は同志ジャンかね?』
無線に出たムトーに、低い落ち着いた声が問うた。意外に音質はいい。『女神の天秤』ともなると資金はどこからともなく流れ込んで来るのか。
『同志』と呼ばれたことに辟易しながらも、ムトーはそうだと答える。傍受の心配がある以上、むやみに姓を名乗るべきではない。ジャン、などと馴れ馴れしく呼ばれるのは何年ぶりだろう。自分だけの秘密の領域にずかずかと足を踏み入れられるような気分だ。
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