143.「ひこにゃん」をめぐる不幸な対立とあるべき視点
●「ひこにゃん」騒動の再燃
現在のような「希望」が持ちにくい世の中にあっては、人々は心の潤い剤となるようなものをこれまでの時代以上に求めているのかもしれない。
「ゆるキャラ」がブーム的に受け入れられているのもこのせいのように思える。
私の住む彦根市の「ひこにゃん」はなかでも全国トップクラスの知名度と人気を誇っている。今年の正月やバレンタインデーにも全国から数百通のお便りが寄せられているのだ。 また私の関係している会社もひこにゃんグッズ販売は3年目を迎えるが、売上は一向に衰えてはいない。
それにもかかわらず、ここへ来て「ひこにゃん」の著作権を持つ市側と原作者の間でにわかに対立が生じ、それをマスコミが報じることで暗雲が垂れ込めている。
問題点はおおむね次のようなことだと理解している。
「ひこにゃん」の原作者は、彦根市に対して「ひこにゃん」の著作権を売却した。その際原作者は「ひこにゃん」類似の「彦根のよいにゃんこ」についての権利を留保し、それを別の業者(彦根市内)に使用許諾をしたが、この点については原作者と彦根市との間で了解がされていた。
ところが、「よいにゃんこ」の権利を譲り受けた業者が、「よいにゃんこ」商品を当初の絵本以外に広げだしたところから、彦根市が当初の了解事項を逸脱しているとして問題にし始め、挙句の果てには「よいにゃんこ」を販売している業者に販売中止まで求めてきたのである。
●「ひこにゃん」、あるべき展開とは?
私の関係している会社は、「ひこにゃん」も「よいにゃんこ」も販売しているがどちらも人気があり、支持されている。
私はかねて市の関係者に次のような主張をしていた。
せっかくの「ひこにゃん」をもっともっと広く長く生きさせたい。そのためには「よいにゃんこ」も仲間として迎え入れるとともに、そのなかの中心に「ひこにゃん」を置き、いろいろな展開を経て“永続的キャラクターとしての地位獲得”を、というのが私の視点であった。
- 「ひこにゃん」は確かに人気があるが、その商品化図柄は3姿態しかなく、近い将来ストーリー展開に行き詰る。「ひこにゃん」を人々の心の中にもっと広げるにはいろいろな姿の「ひこにゃん」が必要だ。 そのために必要とあらば原作者と話し合い、金も出してもっといろいろの姿の「ひこにゃん」を作ってほしい。
彦根市は「ひこにゃん」と「よいにゃんこ」を著作権問題として捉え、作者側と対立の構図を作ってしまっているが、これでは「ひこにゃん」は永続しない。 今対立している内容などはどうでもいいことなのである。 「ひこにゃん」は広くそれを支持する一般の人々のためのものである。 市側の面子のみがクローズアップされるだけの展開になってしまっていることが残念でならない。
「ひこにゃん」は、一過的な人気ではなく、やりようによってはミッキーマウスやハローキテイーのように長く生き続けるキャラクターになれる可能性を秘めている。それをやれるのは彦根市と原作者の協力が必要だというのに。