139.葬儀場での会話

葬儀場の会話
葬儀がたて続きに3つ続いた。全て受付を担当した。このなかで会社関係の方で葬儀に出席されたある方とお話しする機会があった。
その方は一部上場企業の製造業勤務でで、どうやら営業部門の管理職の方のようだった。見た目の年齢は50歳代前半かなという印象。私の横で部下らしい人とこんな会話をされていた。

<管理職>皆来ているな。この状況だと今日は職場は空だな・・・。
<部下A>いや、X,とYとZがいます。それでもこんなことここ数年ないですね。
<管理職>そうか、それでもたまにはいいだろう。我々がいなくとも彼らならやっていけると思えるいい機会だ。

そこへ私が会話にわって入った。
<私>今日は休日ではないのですか?
<管理職>我々は出来が悪いので、仕事せざるを得ないのですわ(笑)
<私>おたくが居られないと職場は動かないのですか?
<管理職>そんなことありません。タダこのごろの若い社員は上司が間違っていても何も言わずに、コッソリ自分のやり方をやっていて意外と結果はまともな社員がいるので表面だけ見ていてもわかりません。(ちょっと話の脈略が合ってないが)

そんな話から「どんなタイプの上司がいいのか?」という質問をし、いろいろ興味深い話を伺うことが出来た。いくつか紹介してみよう。

いくつもの上司像論
「人柄はよいがあまり能力のあるとは思えないチームが意外と好成績を残すことがある。不思議ですが、時には上司の悪口を言ったりしながらも、そのことでまとまり感を持って行動する場合があります。」

「少し前までは、私の先輩は叱咤激励型の方が多かったです。このなかでも、”コワモテ”型の人と”親分肌”型の人がいます。今はこういうタイプの人は少しづつ減ってきています。」

「今の若い社員は、例え上司が間違っていても直接反論したりする人は極めて少ないです。ですからたまに反論してくる部下がいるとうれしくなります。」

「よい悪いは別にして、今は頭ごなしにものを言うタイプの人は上司としてはうまくいかない時代です。」
「自分はそういうタイプではありませんが、ひょうひょうとしたタイプの方で、それでいて部下をよく掌握している人は私の見てきた範囲では一番うまくいくようです。」

と話はほぼこれだけであった。特に目新しい話ではなかったが、「やはり」という想いであった。そしてこれらの話を通じて、「共感」、「共有」、「共同」などの言葉を思い出した。「共*」という言葉がキーワードの時代なのだなということだ。