135.食品偽装表示の別の反省

顧客中心主義とは別の軸の必要性
「顧客中心主義」というけれども、それは対極軸も必要と思えることがある。最近食品メーカーや有名菓子屋の消費期限や賞味期限の偽装が相次いで発覚しているが、考えさせられることが多い。
ウソがいけないことは論を待たないが、しかし
  1. 食品が腐敗の危険(消費期限)や、おいしく食べられる期間の判断(賞味期限)の判断を顧客である消費者がせずに完全に製造業者に委ねることが果たしてそれでいいのだろうか?
  2. 日本人の食に対する「安全感覚」は少し偏りすぎているのではないか?
  3. 結果として食料資源に対する廃棄などのムダは、来るかもしれない長期的な食料不足傾向に対して極めて問題なのではないか。
消費者の「他人任せ」を憂う
私の家では「消費期限」や「賞味期限」の過ぎた食品でも冷蔵庫に入っている。それを食にまわす時、無条件に廃棄にまわすことはない。妻の年齢や育った田舎育ちの環境のせいで、祖母や母から「もったいない」という意識や、食品の点検によりそのまま食べられる、または煮たり焼いたりすれば食べられる、あるいは捨てるという判断をしている。自分の「判断」と食品メーカーの表示の両方を判断のものさしとしている。もっと消費者が勉強と自覚が必要ではないかと思う。

日本人の食に対する「安全感覚」は期限、期間に対して少し過敏すぎるのではないか? そのくせ、賞味期限と消費期限の違いも知らない、あるいはブランド名だけですっかり信用しきってしまう。
要するに食の安全基準について他人任せなのである。

「賞味期限」の見直しと「もったいない」教育を!
「賞味期限」なるものは少し厳しすぎるのではないかとさへ思える。現に再加工したものもおいしいという評価を受けているのだから。
滋賀県では「もったいない」という言葉を掲げて当選した知事がいる。
子供たちの消費感覚是正のためにも、また将来の厳しい食料事情からも「賞味期限」制度の見直しとともに、「もったいない」というものを大事にする消費者教育に腰を落ち着けて取り組んではどうか。豊饒バカが人類を滅ぼしかねないことをもっと意識すべきだ。