111.退職して立場が変わると・・・

内から見た外、外から見た内
私は今、元いた会社も出資している地元の3セク企業のお手伝いをしている。その企業はかっての商店街再生事業で、多額の公的資金を設けている。3セク企業であるため出資者は行政や地元企業などがあり、入り組んだ関係でもある。
但し私は私はもといた会社からではなく、地元出身社長の要請でお手伝いをしている立場である。

大型量販店企業と地元小売業との関係は、古くは前者が後者を駆逐していく関係にあった。何十年の間にかっての市街地商店街の多くが客を減らし、多くの店がシャッターを閉め、町が寂れていく光景が全国各地に広がった。
こうした推移を量販店企業に身を置く側から見ると、それは「顧客ニーズの反映」、「自由競争の結果」、「商店街の努力不足の結果」というように以前は私にもそう見えた。それは半分の真理を含んでいる。

今、かっての商店街の人も関係するこの企業にいると、今まで見えなかった問題も見えてくる。
  • 今まで大資本の横暴だけを言っていた人の中から、一部は自分たちの努力不足を自覚している人がいることが分かる。
    しかしそれでも行政頼みの待ちの姿勢の人も多い。
  • 大資本が出店していくなかで、金にものをいわせて残したカゲの後遺症の存在(これが今も対立構造解消の足かせにもなっている)
  • 自動車を運転できない高齢者顧客が旧市街地の寂れた商店街を行き来し、利用している姿。
  • しかし近頃では量販店が成熟化し、品揃えに飽き足らない人が個性のある小さなお店でいろいろな買い物をしている姿。
  • 旧商店街も、活性化対策などで手入れをすると顧客は反応してくれるという実感。
    しかしそれが分かっていても資金不足の歯がゆさの存在。
こうしてみると、大型店は消費者生活に大きな貢献をしてきた反面、古い町を壊し、その周辺に住む高齢者の消費生活の手段を奪い、街の個性を失わせてきた面が実感できる。これは量販店企業に身を置いてきた間はあまり真剣に眼を止めなかったことだ。
しかしそれでいいのかというと、やはりそれだけではいけないとも思う。

都市内地域間格差是正にまずは政治の力を!
確かに大型小売店の郊外出店は顧客ニーズを受けて支持を受けた。それをそれだけで批判することは出来ない。しかしその行き着くところが現在では旧市街商店街の荒廃につながり、高齢者等の消費生活に齟齬をきたし、またゴーストタウン化で都市の機能に歪みが生じた。これも形を変えた「格差社会」の現れである。

人でも地域でも競争で格差が生まれるのはある程度当然だ。しかしその格差が自力では回復できないほど開くと「格差社会」の病状が顕在化する。そしてやがてまともな競争が行われなくなり、格差が固定し、社会の活力が削がれる。
市街地商店街の荒廃化は多くの地域でもうこの段階まできている。

今年「街づくり三法」が制定されたのは内容はともかくこうした背景を背負っている。
病気にまでなったものはまずは行政や立法の「処方箋」で治療するしかない。
しかし一旦病気から治療で立ち直ったならば後は自力でやっていくことが求められる。

私が以前のように大型小売企業側に席を置いていたとすると、「なぜ規制緩和に逆行の大型店出店を規制するのか?」という気持ちのほうが勝っていただろうと思う。
立場が変わると見えないものが見える。
大規模小売業の横暴さ、旧来小売店側に多くある“甘え”、縦割り行政の無責任さ、今私はこれらと少しだけ戦いはじめつつある。