110.ジーコ監督の憂鬱

日本サッカーの敗退背景
サッカーW胚で日本は惨めな成績に終わった。
特にブラジル戦を見ていると、後半の特に残り15分くらいの間は格が違うと感じさせられるくらいの実力差を感じた。オーストラリア戦がもう少しうまくいって勝てていたらという説も一部はうなづけるが、それでもどうかという気もした。

今回ジーコ監督が、個々人の技術と判断力、集中力の高を高めるという前提で、選手の自主性を重視した采配と指導をしてきたといわれる。前監督のトルシェ氏が細かい指導や約束事と組織的プレーを重視したのとは対照的といわれる。

中田選手が強烈な自己主張をするのでチーム内で浮きがちだとも言う。彼は説得技術が上手ではないのかもしれないが、しかしそのプロ意識は他の選手と違って非常に高い気がする。

新聞によれば、このチームでも練習時に失敗したときにへらへら笑っている選手、移動のバスのなかでゲームに興じている選手、出番のない選手で覚めた選手などいて、ジーコの求めるプロ選手像とはかけ離れた選手もおり、チームのまとまりはあまりよくはなかったとの指摘もある。

監督のマネジメント、選手のありよう、まるで企業と同じ問題を抱えているようだ。

ジーコ流のマネジメント観は、それが仕事の成果になって現れるには時間がかかる。選手(スタッフ)が、自分の力を信じ、自分の判断でリスクを背負ってでも行動するようになるまでは時間がかかるからだ。これは意識改革のプロセスである。残念ながら、今回日本チームはまだその域に達していなかったということか。
さぞかしジーコ監督は本当は憂鬱であったことだろう。

企業組織も同じだ
企業組織ではどうか?
企業トップでジーコのようないわば「エンパワーメント」の発想をする人はごく少数派であろう。トルシェ流が圧倒的だ。

企業でもトルシェ流は一定の意味がある。企業が誕生して成長を遂げる過程で、トップのリーダーシップの比重が高い段階では、むしろトルシェ流の方が正しい。しかし企業が成熟期または激烈な生き残りを掛けた段階になると、多くの約束事に縛られた集団ではモチベーションも上がりにくく、牽制集団になり下がりやすい。このような企業組織ではプロは育たない。
だからこそ「エンパワーメント」のような組織論が生まれ、それが支持を少しずつ拡大しつつあるといえる。

この考え方といえども、まずトップが世界観を変え、組織を作り直し、企業スタッフがそれに基づいた行動をするようになるにはそれなりの時間がかかる。それが定着して成果を出し始めるにはなおさらの時間もかかろう。

日本のプロサッカー選手も残念ながらまだジーコ監督が成果を出すレベルにまで意識改革が出来ていなかったということかもしれない。
だがこの方向性は間違ってはいなかったと思う。

ポイント: スポーツも企業も、あるレベルを超えてトップになろうとすれば、約束事に縛られていては成長できない。