100.「顧客中心主義」理論が育ってこなかった3つの理由(1)

3つの「壁」
とうとう100回目の掲載になった。一応のまとめをしてみたい。
このシリーズは自分が元いた会社、業界での出来事や経験を通して「顧客中心」とはどういうことなのかを現場視点や理論的見地から述べて後輩の人たち中心に継承することが目的であった。
昔から“自分良し、相手良し、世間良し”という「三方良し」の考え方があるが、これを現代流に「顧客良し、社員良し、会社良し、社会良し」に言い換え、しかも哲学だけでなく、マーケテイングなどの理論的見地からも体系付ける努力がなされているのがCRMという「顧客中心主義」である。

しかしこの考えを採り、推進していくにはまだまだ大きな壁があることが分かっている。その壁は大きく分けて3つある。
   1.世界観・思考観の壁
   2.組織の壁
   3.意識・行動の壁
である。

世界観・思考観の壁 --改善どまりの思考--
野村総研(NRI)の2005年12月5日発表の調査によれば、上場企業に働く20,30歳代の若い人の実に75%が仕事への無気力感に囚われているという。
http://www.nri.co.jp/news/2005/051205.html
若い人の甘えもあるが、それ以上に日本の企業の側に問題があるからだと思う。

よく言われることであるが、バブル時期まで多くの企業は成長を続け、それなりのポストも提供されてきた。社員はまじめにやり、そこそこ努力すればポストにありつけるという目標が比較的明確であった。経営の舵取りは経営者と一部の社員が行い、多くの社員にとっては目の前の数値課題をこなして業績を上げることができればよかった。

こうした事情は小売業でも変わらない。その結果例えば、
  1. 売上をあげるために売り場をどう変え、品揃えをどう変えるか?
  2. 品切れを減らすためにどうするか?
  3. ロスヤ経費を減らすためにどうするか?
といった「改善」追及思考を社員(戦略スタッフも含めて)に求めはしたが、商売や仕事、組織のあり方などの根本的再検討などはあまり求めては来なかったといえる。いわば、「改善」は行ってきても「改革」や「革命」といえるほどのことは言葉としてはともかく、それに値するようなことはやってこなかったといえば言い過ぎだろうか?
もちろん上記のようなテーマの「改善」の重要性を否定するものではない。しかし「改善」は改善であり、哲学で言う帰納法でしかない。

いろいろやってきたというが・・
何もしていないことはなく、例えばマーケット対応や組織人事制度改革には着手してきたという人がいるかもしれない。しかし、
“マーケットイン”ということが言われながらどれだけマーケテイングの勉強をし、戦略に反映されたであろうか?
  • 例えば商圏に高齢者が多いと分かれば高齢者向けの品揃えを増やすことはあっても、もっと細かな特定のグループや個人のニーズを調査把握して品揃えや提供方法に切り込むことを日常的に行っているであろうか?
例えば「成果主義」賃金体系も企業の人件費抑制論理が先行して、モチベーションマネジメントとはいえない状況ではないか?
  • これらも総じて本気で取り組んできた企業は少ない。
    もろもろの組織が十分機能しているか? 機能していないとすれば何に問題があり、どのような方法が考えられるか? などについて組織論やマネジメント論の見地から深くメスを入れてきたか?
つまり、あるべき姿の模索、使命や理想、コンセプト、中長期戦略といった課題が検討される機会が少ないか、あったとしても管理職者まで降ろされずに半端な姿で検討されてきたかで、アッパー管理職者全般の社員がこういう問題意識を強く持つことは少なかったと思う。したがって社員にはこういう問題意識も育たず、「顧客中心主義」という問題意識も高まらなかった。

突破の方向はやはり・・・
あらゆる「改革」は、あるべき姿を描くことから始まる。それが「改善」と決定的に異なる思考プロセスである。企業は改革も改善も必要だが、往々にして改善だけで切り抜けようとすることも多い。

提言: トップがが企業の理想、使命を語り、現状の問題点をと情報を開示して共有化し、少なくともアッパー管理職には何らかの形で継続的に戦略立案参加を求めることがある程度習慣化していくこと。

これが極めて不十分であったから理論としての「顧客中心主義」が育ってこなかった第1の理由である。