52.企業内人権教育時の苦い思い出

企業内同和教育
大企業ならどこでも社内教育のひとつとして「人権教育」がある。そこでは同和問題、セクハラ、パワハラなどが取り上げられる。中でも同和問題の教育時には、臨時講師として外部から行政担当者や関係団体の方を招いて勉強会を行うケースも多い。
このとき受講者の従業員は緊張した感じで「質問されたらどうしょうか? あまりおかしなことを言っては差し障りもでるかもしれないし・・・」と思いながら大過なくその時間が終わるのを待つというようなことが多いのではなかろうか。

本当はこれでは人権教育にもあまりならないのではないかと思う。とにかく一方通行の講義になりがちで、「おかしなことを言うまい」と身構えて受ける教育はあまり教育にならない。それよりも管理者が部下に率直な、しかし管理者として熱意のあるある話を交えた方がよほど教育効果があると考える。

私が受けた同和教育研修の思い出
そういう意味で私にはこういう体験がある。かなり以前に社内の同和問題研修会に出席し、部落開放同盟の方のお話を伺った。そのとき自分に質問を求められたので、私はかなり意地悪な質問をした。
  •    「先生は人を差別するお気持ちは全くないんでしょうか?」
  • 講師 「いいえ、私にも人を差別する気持ちがどこかにあります。ですからこれは”教えあい”だと思っています」
私は講師の先生が「自分は人を差別する気持ちがない」というだろう。
そうすれば「あなたは神様みたいな方ですね」と揶揄してやろうと思っていたのであるが、その方がそう答えられて自分が非常に恥ずかしいと思った。
私はそれ以降、この出来事を思い起こしながら、「私にも人を差別する気持ちがある」ということをまずみんなに話してから人権教育について自分の思うことや経験からなるべく対話形式で話をすることにしている。
それによって聞く側も多少は鎧が脱げるようである。


ポイント:  人間は神様でない。どこか差別心を持っている。糾弾では人の差別意識はなくならない。自分の弱みをお互い認め合ってコミュニケーションで向上するしかない。