コラム
社員の化学日記 −第218話「コツコツと熟成」−
コツコツと積み上げる作業は、外から見るとほとんど変化がないように見える。 日々の手触りが乏しいと、どうしても単調さばかりが目につき、結果が見えない焦りに押されて途中で投げ出したくなることがある。
だが、少し視点を変えて「ワインの熟成」に目を向けてみたい。 樽のなかでワインが熟成する数か月から数年のあいだ、外からは目立った動きが見えない。 しかしその内部では、微細で不可逆的な化学反応が淡々と進んでいる。
木樽の小さな導管からは、絶えずごく微量の酸素が供給されている。 この酸素はフェノール化合物を酸化させてキノンという不安定な中間体を生みだし、これが次々と他の分子と結合していく。 いわば酸素による酸化還元反応が「火付け役」となり、タンニンとアントシアニンの重合を促進させている。
この重合によって、渋みの原因物質は次第に大きく安定した構造へと再編されていく。 同時に、有機酸とアルコールがゆっくりと結合(エステル化)することで、豊かな香気成分も生まれていく。 外から見れば静止しているようでも、内部では着実に価値が高まる変化(再編)が続いている。
ここで重要なのは、熟成の環境である。 完全に酸素を遮断した状態では、熟成ではなく単なる「劣化」が進む。 かといって効率を求めて酸素を与えすぎれば酸化異臭を放ち、温度を上げすぎれば望ましくない副反応が増えて台無しになる。
これは、人が何かをコツコツと積み上げているプロセスと実によく似ている。 ダイエット、リハビリ、筋トレ、楽器の練習――どれも数日単位では目に見える変化を感じにくい。 しかし、見えないところで脳や筋肉、神経系は確実に構造を再編している。
ここでワインの温度を上げるように手っ取り早い効率を求めれば、怪我をしたり反動で燃え尽きて(バーンアウト)止めたりしてしまう。 かといって、何もしなければ、ただ衰えて(劣化して)いくだけだろう。
熟成のプロセスは静かで、ゆっくりで、そして観察しにくい。 今、目に見える変化がない時間は、決して「停滞」ではない。 内部で静かに変化反応が進んでいる「熟成」の時間なのだ。
結果を焦らず過度に期待もせず、静かな変化のプロセスを信じて、今日もただ淡々と重ねていきたい。
【白色林檎(ペンネーム)】
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