コラム

社員の化学日記 −第164話 「生きること」−

コロナウイルス感染が収まらない中いろいろな問題が取りざたされている北京オリンピックが終わって少し落ち着くと思ったら大変なことが起こりました、ロシアのウクライナ侵攻です。 日本での報道は多くトップレベルで伝えられていますが各個人レベルでは対岸の火事的な状況と思っている人が多いように感じられてなりません。「日本人は平和ボケしている」とよく言われることが実感させられます。

その中で少し明るい(と思われる)ニュースが飛び込んできました、豚の心臓を人間に移植する手術が成功したということです。

アメリカの大学で行われた手術ですが他に治療法がない難病の人にとっては天からの恵み的なことで朗報なわけです、しかし見方を変えて動物の立場から考えると如何なものか、「う〜ん」とうならざるを得なく何か心に引っ掛かります。今回は豚の心臓を【遺伝子操作】して人間に移植しても拒否反応を起こさないようにした、ということは人間が使うための心臓を作るために豚が犠牲になったということです。

「食べるために豚を育てるのとどこが違うんや」「人間の命を助けるためには豚の命を犠牲にしてもいいやないか」と言われそうですが、もし犬猫の心臓が使われたとすればどうでしょうか?周りの反応も変わったものになり「可哀想」という人は多く批判の声も上がるのではないでしょうか。

確かに私たちの世界においては大多数の人は他者から恩恵を受けているわけで牛鳥を犠牲にする焼肉、焼鳥屋、魚の恩恵にあずかっている和食、すし屋も繁盛していますし僕もおいしくいただいています。「人間は生き物の命をもらって生きてるんやからそんなん難しく考えんでもいいやん」「だから感謝して食べなあかんよ」とはよく言われる言葉です。

ほとんどの人は犬猫を食べるのを嫌がりますが牛豚とどう違うのか(味が違う、牛豚はうまくて犬猫はまずいという人も)また多くの外国では日本人は鯨を食するので野蛮人だといわれることもあります。

ドイツの人と食事をしたときに「タコは悪魔の魚(生き物)なので食べない」といわれたこともあります(この場合は可哀そうという気持ちではなく気持ち悪いという気持ちだと思う)。 同じ生き物でも可愛がられ命を大切に扱われるものと、平気でその命を奪われる生き物がいることに釈然としない自分がいます

この世の中で一番不幸な生き物は「ゴキブリ」だと思います、目の前に現れただけで殺せと言われるのですから。

ある週刊誌に人生相談のコーナーがあって、ゴキブリが苦手という相談に対して面白い回答を読みました。辛口で有名な作家の回答です。

「家人がゴキブリ出現に大騒ぎしているとき、ちょうど目の前にそれがやってきたので紙で覆って隠してやったところ知らない間にいなくなった、その夜仕事をしていると数匹のゴキブリが机の上にやってきてダンスを踊りだした、それは助けたゴキブリが家族でお礼にやってきたのだろう、ゴキブリといえども人間と同じ生き物で、それぞれ大切な人(虫?)と暮らしているものもいるのだろうから殺生はいかんよ」と書いてありました。

又、私の家庭の話ですが、子供達が小学校に入るかどうかの頃ゴキブリが現れたので母親がたたいて瀕死の状態になった時に娘らは泣いてゴキブリを助けようとしたことがありました、弱ったゴキブリの前に食べ物を置いて目の前で見守っていましたが結局動かなくなってしまいました、翌日土の中に埋めて墓を作り添えた手紙には「ゴキちゃん、安らかに眠ってね、天国で楽しく過ごしてね」という内容の文が書いてありました。20歳前後になった今では姿を見るとギャーギャー騒いで逃げていますが、この心理変化はどのようにして起こるのか?科学的に解明できているのかをぜひ知りたいものです。

私たちの世界は約90種類の元素の組み合わせで成り立っています。その元素はすべて宇宙で作られている、現在空に輝いている光は元素の製造過程でもあると考えられているので、人類どころかあらゆる生物は出生が同じ友達といえるでしょう。が同じ人間でも有色人種差別があるように仲間意識を持つことが難しい人も数多く存在します。

日本古来の考えであるすべてのものを崇め奉る八百万(やおよろず)の神や天照大神に代表される太陽信仰の考えも元素製造の面からは関係があり注目していいんじゃないかと思います。

最近の若者はどうのこうのとよく言われますが、レストランで食事の前に手を合わせてから食べ始める女学生がおりその姿を見て感動した、若い人も見捨てたものではないという記事も最近読みました。その学生がほかの生き物の犠牲の上に生きているという意味で手を合わせているのかどうか分かりませんが、

この記事を読んでから食事の前後に手を合わせるようになり、ウクライナで生死の危険に襲われている人たちに『豚の心臓的的な何か』を見つけられないか、と祈っているこの頃です。

令和4年2月  【今田 美貴男】

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