感熱紙


「先生! 加奈が、うちの娘が凄い熱なんです! インフルエンザでしょうか? それとも何かとんでもない病気に罹っちゃったんでしょうか?!」
 今は四月ですからインフルエンザは流行してませんよー、と、大いにうろたえているお母さんをとりあえずなだめる。入学式を済ませ、小学生になったばかりのかわいらしい女の子の頬は確かに赤みを帯びているし、熱を測ると四十度を超えている。脈拍も早く、何かの菌かウイルスの感染症だろうと一旦は診断をつけたものの、喉は腫れていないし寒気もなさそう、咳も鼻水もくしゃみもなし、おまけにぐったりするどころか、うつむきがちの顔にはうっすらと微笑みすら浮かべている。
 ははーん、なるほどね。私はお母さんに気づかれないように、口の端だけでにやりと笑った。その間も、お母さんは不安げな目を愛娘に向け、おろおろと「加奈ちゃん大丈夫? 大丈夫?」と呼びかけ続けている。
(さーて、どうしたものか。このまま放っておいてもまったく問題はないだろうけど、この心配性の塊のようなお母さんを納得させるのもちと難題だなぁ……。仕方ない、あれ、使うか)
 私は膝をぱんっと叩いて立ち上がる。「よし、お母さん、娘さんの検査をしますので、少しこちらでお待ちいただけますか」
 同席させないほうがいいだろうと判断したので、加奈ちゃん一人だけを診察室に併設してある処置室に連れて行く。どうして一緒に行っちゃいけないの、という無言の圧力を背中に受けつつ、処置室のドアを閉めた。手近の椅子に彼女を座らせ、私は冷蔵庫からアルミパックを取り出した。中には十センチメートル四方の小さな紙が数枚入っている。慎重に一枚を取り出して残りを素早く戻し、その紙を加奈ちゃんの額に当てた。途端に、紙にぼんやり人の名前が浮かび上がってくる。少女らしく丸っこい平仮名で『もとむらたくみくん』と書かれていた。はっきり判読できるくらいになったところで紙を剥がし、にこやかに話しかける。
「大丈夫だよー、お母さんには黙っておくから。先生と加奈ちゃんの、二人だけの秘密にしとこうねー」
 私の指先につままれた紙を見て、加奈ちゃんの顔は更に真っ赤になったが、しばらくするとすうっと引いていった。内気な子どもに時々見られる症状で、こうして「自分だけの秘密」を共有することで、胸に秘めた熱い感情の逃げ場を作ってやれば簡単に治まる。あとは差し支えない程度に説明すれば、お母さんも安心するだろう。案の定、熱の落ち着いた加奈ちゃんを連れて、何度もお礼を言いながらお母さんは帰っていった。
 例の感熱紙を使ったので、これから書類を書かなければいけないのが少し面倒だった。でもまあ仕方ないか、あんなもの乱用されたら大変だもんなぁ、と自分に言い聞かせる。
「お大事にどうぞー。はい、次の方」

―了―


次の方


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