・山武葉月(やまたけ・はづき)

 九月に入っても、蝉時雨は陽光と共に頭上へ降り注いでいる。長袖よりは汗とハンカチが似合うこの時節、我が推理小説研究会の部室にいる五人は、沈鬱な雰囲気に身を引き締められる思いで一杯だった。
 ポニーテールを揺らしながら、いつも元気な声を体中から発散させている夏ちゃん――大西夏美が、唇を噛み、うつむきがちにキュロットの裾を握り締めている。その横で夏ちゃんの肩をそっと抱く幸奈の表情もまた、暗い。暑さに耐え兼ねてばっさりカットしたショートヘアまでが、なぜだか痛々しく見えてくるほどだ。部員ではないけど、ふとした縁でよく遊びに来るようになった理沙ちゃんまでもが、自身持ってきた『い書』の写しを膝の上に置いたまま、身じろぎ一つしない。
「……さて、これで三人が胸にしている想い、あるいは情報は、ここに提示されたわけだ」
 泥沼のように纏わりつく空気を振り払うように咳払いを一つ入れ、僕はそう切り出した。
 偶然と言うにはあまりにも運命的な、ある事件への関わり。鉄のギロチンに身を投げた少年は、何を思い、何を忘れたくて、自らを無の世界へと誘ったのか。研究という言葉は不謹慎に過ぎるが、裕太少年の心の内を共有することで、彼への供養としたいという夏ちゃんの気持ちはわからなくもなかった。
「裕太って子は」
 取っ掛かりの言葉さえ躊躇われるような雰囲気。後の言葉は、更に重く。
「やっぱ、クラスメートにいじめられてたと考えるのが、妥当なのか……な」
 ぴくん。夏ちゃんの肩が揺れた。
「……うん、徹――弟の話だと、同じクラスにいる校長の一人息子が随分なワルで、親の威光を傘にきてやりたい放題だったって。徹も裕太くんを庇って、相当喧嘩したらしいわ。でもその度に、怒られるのは自分のほうだって、悔しそうに言ってた……」
 ぼそぼそと幸奈が言う。普段の彼女からは想像もできない声。
「じゃあ、自殺の動機は、やっぱりそれかな。……ちょっとごめんね」
 理沙ちゃんが手にしている『い書』を借りる。栗色を薄く帯びた髪がふわりと揺れると、下から真っ赤に充血した大きな目が覗いた。
「……それにしてもわからないのは、これだよ。裕太少年が、電車に対して行った悪戯行為。石を置いたり、マネキンを寝かせたり、一体なんのためにこんなことを? それに、彼が愛してやまなかった電車への飛び込みという自殺方法を取ったことは、何を意味するのか?」
 答えはない。時折、ぐすっと鼻をすする音と、時を刻む音だけが響く。

「おっす……ん? なんだみんなして暗い顔で」
 部屋のドアのへりにもたれ、斜に構えた格好で、藤林雅輝(ふじばやし・まさき)が怪訝な表情を見せた。うちの部内でも切れ者と評判で(といっても部員はたった五人だが)、校内では変わり者として有名だ。飄々として掴みどころのないキャラクタをしていて、ごつい眼鏡の奥に光る瞳が何を見据えているのか誰にも理解できないという、超然としたところがある。
「重役出勤かい? いい身分だな」
「おう。で、これはなんの集会だ?」
 絨毯に胡座をかく雅輝。僕はみんなから聞いたことを、それなりに簡潔に纏めて話した。途中、夏ちゃんや理沙ちゃんが涙を拭う仕草が、何度か視界を掠めた。
「――なるほど」
 聞き終えた雅樹は、ぬうっと立ち上がった。そのままうろうろと部屋の中を歩き回っている。窓際に来た時、「失礼」と断って、煙草を一本取り出した。好んで使うマッチで火を点ける。燐が焦げる匂いが、部屋に流れた。
「葉月、お前も少し考えてみたらどうだ」
 窓の外に広がるグラウンドのほうに向けて紫煙を吐くと、そんなことを彼は言った。
「裕太少年が、なぜ電車に対して二度も悪戯をしたのか。首吊りや飛び降りではなく、どうして大好きな電車に飛び込むという自殺方法を選んだのか。この二つの謎は、リンクしてる」
「なんだって?」
 人差し指と中指で挟んだ煙草を、ひょいと持ち上げて見せた。一本吸い終わるまでがタイムリミット、という意味だろう。わずかな時間、僕は思考の渦に自らを委ねた。

「……駄目だ、皆目見当がつかない」
 雅輝が持っている煙草の火は、既にフィルターを焦がすくらいのところまで迫っている。指に火傷を負わせるのも忍びないので、さっさと降参することにした。彼は急いで、コーヒーの空き缶にそれを押しつけた。
「――例えばだな、葉月、お前が階段を降りていたとする」
「あん?」
「その途中、仮に上から三段目としようか、お前はそこで足を踏み外した」
「……おい、一体なんの話だ?」
「いいから聞け。しばらくして、お前はまた同じ場所で足を滑らせる。よく見ると、そこには滑り易くするための蝋が塗ってあった。お前はそれを丁寧に拭き取った」
 唐突に始まった例え話と、裕太少年の事件がどうしても繋がらなくて、僕の頭は混乱してきた。部屋にいる他の面々も、呆気に取られている。
「さて、次の日。お前は問題の階段の一番上に立っていて、これから降りようとしているところだ。どうやって降りる?」
「え? ……そりゃあ、もう蝋は塗ってないだろうと思うけど、念のため用心して、三段目に特に注意を払って降りるだろうな」
「そこが思う壺だ。実はその日は、数えて四段目に蝋が塗ってあった。お前は三段目を無事に通り過ぎた安心感から、見事にその罠に引っかかる――こういうわけだな」
 綺麗にすっ転ぶ僕の姿を想像したのか、幸奈が少し笑った。
「雅輝、何が言いたいんだお前は?」
「わからないか? これと同じことを、裕太少年は狙ってやったんだ。
 線路に置かれていた石、そしてマネキンは、全く同じ個所にあったんだろ? これが蝋だ。拭き取る作業は、フェンスの修復。そして、仕上げが飛び込み――四段目の蝋。
 恐らく裕太少年は、全て計算していたんだ。二度に渡る悪戯によって、運転手に『三度目もあるのでは』という意識を植え付ける。無事に問題のポイントを通過した運転手の心に隙ができる。そして、自らが三度目の罠となる。
 普通、そういう状況に置かれれば、『これも悪戯じゃないか?』と疑って当然だよな。その一瞬の躊躇が、彼の自殺をより確実なものにしていく。ブレーキの瞬間が遅れれば、停車地点は先へ伸びるからな。直前で止まって自殺未遂、という可能性を、これで消去できるわけだ」
 僕は言葉を完全に失っていた。まさか、小学生の裕太少年がそこまで考えて……?
「次に、飛び込み自殺という手段を選んだ理由か。
 彼が死ぬにあたり、最も心残りなものとは、間違いなく『電車』だと考えられる。その大好きな電車に敢えて轢き殺されることにより、現世への想いを全て断ち切ったんだ。どこにも居場所をなくした彼が、最後に残された安息の地を放棄するには、それしか方法がなかったんだろうかな。幼い心の内で巻き起こった、壮絶なまでの葛藤と苦悩を思うと」
 胸が痛むな、という言葉を、雅輝は飲み込んだようだった。
 血を吐くような夏ちゃんの号泣が轟くまでに、それほど時間はかからなかった。

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