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バスや電車の中の、人いきれや過剰な暖房の蒸し暑さや息苦しさと、そこから降りたときの身を斬るような寒さとのギャップに戸惑いながら、ようやく待ち合わせの**駅に到着した。県内随一の中心街だけあって、人の数が半端じゃない。それも、ほとんどがアツアツのカップル同士と家族連れ。迷路みたいな地下街のあちらこちらから、楽しそうな笑い声や子供の歓声が聞こえてくる。
約束の時間よりかなり早めに着いたので、近くの本屋で時間を潰すことにした。どこに何が置いてあるかわからないぐらい巨大な店の中は、やっぱり人、人、人。押し潰されそうになりながら雑誌のコーナーへ向かう。週間雑誌を一部手に取って、適当にぱらぱらとめくってると、巻末の星占いのページが目に留まった。
『山羊座の運勢
☆今週は浮き沈みの激しい一週間になりそう。嬉しいことと悲しいことが交互にやってきて、少々疲れ気味。でも、最終的にはとびっきりハッピーな気分で締めくくる予感。恋人同士はより結束が強まること請け合い!』
どうせ当たらないと思いつつ、ついつい読んでしまうのがこの星占い。繁君の占いも読みたかったけど、もうすぐ約束の時間なので、雑誌を戻してまた人の流れの中に飛び込んでいった。
彼はまだ来てなかった。いつもなら五分前には必ず待ち合わせ場所に着いてるはずなのに……。バイト疲れで寝坊でもしたのかな? もしそうなら、今日は特別に許してあげようかな。
でも、なんだか嫌な予感がする。悲しいことに、私の嫌な予感≠ヘ外れたことがないの。目の前を次々と幸せそうな表情を浮かべたカップルが通り過ぎる中、寒さに身を震わせながら、私は待ち続けた。手を握る口実にと、わざと手袋を持ってこなかったことが災いして、指先からじんじんと痺れるように感覚がなくなってくる。足元から這い上がってくるような冷気が、容赦なく私の体温を奪っていく。
三十分待ち、一時間待っても、彼は来なかった。いくらなんでも、これはちょっとおかしい。事故か何かで電車がストップした、というような情報もないし、散々悩んだ挙げ句、彼の自宅に電話してみることにした。
呼び出し音が、警報のように聞こえた。
『はい、福永ですが……』彼のお母さんの声だ。
「あ、あの、すいません、合原ですが……」
『あら、有希(ゆき)さんですか』
お母さんはとても気さくな人で、私のことも名前で呼んでくれる。ほっとする反面、なんだか気恥ずかしい。
「あの、繁君はいらっしゃいますか?」
『それがねえ、あの子、風邪をこじらせちゃって、何をどうしたのか四十一度も熱が出たのよ』
「ええっ?!」
『今日、出掛ける予定だったらしいんだけど、なんだかふらふらしててね、大丈夫かって聞いたら《大丈夫》って答えて、そのまま倒れちゃったの。今、往診の先生に注射を打ってもらって、少し落ち着いて眠ってるところなのよ』
「は、はあ、そうですか……」
私の声は、長い長い溜息へと変わっていった。お見舞いに行ってもいいですかと言うと、こんな性悪な風邪が、一人暮らしの娘さんにうつったら大変だからと丁寧に断られた。本当に心配してくれてるみたいで、それは凄く嬉しいんだけど……。
結局、家の人に迷惑だといけないから、お見舞いは断念した。「そのお気持ちだけありがたく受け取っておくわ」というお母さんの言葉が、なぜかとても胸に染みた。声が震えて、お大事にとお伝え下さい、の台詞がきちんと言えなかったような気がした。
目の前に、大きな大きな焚き火が立ち塞がっていた。真っ暗闇の中に、ゴウゴウ、メラメラ、パチパチと派手な音を立てながら、赤や紅よりも緋に近い色を湛えて。顔や、胸や、お腹や、体の前面全体が火照るような感覚に襲われて、そこから逃げ出したいのに足が動かない。炎は衰えるどころかますますその勢いを増し、体が帯びる熱もどんどん上がっていく。と、どこからか火災報知器のベルが鳴り出した。その音は途切れがちに、でも少しずつ大きくなって……。
そこで目が覚めた。一メートルほど向こうの床の上に、けたたましい呼び出し音を響かせる電話機が鎮座ましましている。寝ぼけ頭でぼんやりと、今日の行動を思い出してみた。
あの電話から、仕方ないので一人寂しくパスタ屋さんで昼食を採って、せっかくここまで来たんだからと、ウィンドウショッピングがてらしばらくぶらついてたけど、カップルの洪水みたいな場所で一人歩いてるのがとてももの悲しくなってきて、先輩へのお土産に買ったショートケーキを片手にそそくさと帰ってきた。よっぽど寂しそうな顔をしてたのか、
「一緒に食べる? お茶ぐらい出すわよ」
と誘われたけど辞退して、部屋着に着替えた途端にホットカーペットに横になったところまでは覚えてるんだけど、どうやらそのままふて寝しちゃったみたい。うつ伏せのままでじっとしてたから、床に当たる部分だけが妙に熱くてあんな夢を見たのかもしれない。
そんなことを考えてる間も、ずっとベルは鳴り続けている。ぐっと手を伸ばして、冷たい受話器を取った。
「……もしもし」自分でも恐いくらい、不機嫌そのものの声だ。
『……………』
「もしもし? どなたですか?」
『……………』
こういう時にこういう電話は、一番腹が立つ。
「悪戯なら切りますよ!」
『……俺』
嗄れてガラガラの声だった。でも、すぐに誰だかわかった。
「……繁クン?」
『そう』
何を言おうか迷った。病気なんだから恨み言を連ねたところでどうしようもないし、かと言って無条件で許せるほど寛大な精神状態でもなかった。それに、私のわがままで始めた無謀なバイトが元で、彼の体調を崩させてしまった罪悪感があった。そのわずかな沈黙を突いて、
『……今日は、ごめんな。楽しみにしてたんだろ?』
結局、この一言に負けた。
「……もう、いいよ。それより、風邪、大丈夫?」
『ん……、朝よりはだいぶ楽になった。熱も三十八度台まで下がったし』
それで下がってるんだから恐ろしい。
「早く治して、元気になったらまた遊びに行こうね」
『……ほんと、悪かった』
彼の困った顔がありありと思い浮かべられる。クスッと笑って、
「もういいって」
『……それで、お詫びと言っちゃなんだけど、有希にプレゼントがあるんだ』
「え?」
ごほん、と咳の声。
『……実は俺、サンタクロースの知り合いがいるんだ』
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