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インタビューの質問内容は、前もって部長から言い渡されていたが、上意下達の模範文をそのまま読むというのも味気ないので、ところどころアドリブを交えてみたところ、笑いを混ぜながらの楽しい会話になった。部屋で録音テープを聞き返しても、自然と頬が緩む。羽野の人柄に触れた気分だった。
仕事はこれで終わり、アポの当初は今日中に帰るはずだったのだが、その後の連絡などの過程で、先方の強い勧めもあって、こちらに一晩ご厄介になることになってしまった。本当は、部長の思惑にはまりそうで嫌だったのだが、話しているうちにその危惧も払拭された。羽野はとても紳士的であり、まかり間違っても会社の人身御供にはされないだろうと思われたからだ。先入観が危険なのはわかっているが……。
そうこうしているうちに、ドアをノックする音が響いた。円君だった。
「杉原さん、もうすぐ夕食ですので、食堂のほうにいらして下さい」
「はーい」
テーブルには、既に他の三人が着席していた。一番上座にはもちろん羽野、向かって左側に平谷と中町が並んで座っている。次回作の打ち合わせをしているところを見ると、中町の担当も平谷のようだ。
せっせと働いている円君に「手伝うわ」と言ったのだが、「お客様にそんなことはさせられませんっ」と、半ば無理矢理椅子に座らされてしまった。その円君は、キッチンと私達がいるテーブルとをちょこまか行き来している。対面にいる二人は随分と偏食らしく、
「ああ、俺、コーンが駄目だから、サラダからは抜いといてくれ。それと、少々固くなってもいいから、ステーキは中まで火を通してくれよ。血がちょっと苦手なんだ」
と平谷が注文をつければ、中町も負けじと、
「僕、できればお肉は超レアが嬉しいな。それにドレッシング苦手だから、塩を持ってきて」
などと我が侭放題である。その一つ一つに「はい、かしこまりました」と頷く円君が健気で、思わずぎゅっと抱き締めたくなってしまう。私の前に料理を運んできた時、
「大変ね、あなた。私はこれで大満足だから、気を遣わないで」
と耳打ちすると、なくなってしまいそうなほど目を細めて「ありがとうございます」と微笑んでくれた。
さすがに主人である羽野の好みはきっちり把握しているらしく、今日のメニューもそれに添って選んだようだ。しかし、この洋食メニューにまで箸を使っているのには驚いた。時計もしていないし、煙草は吸うがライターではなくマッチを使っている。中町が高そうなジッポを使っているのとは対照的だった。本当は火打ち石が出てくることを少し期待していたのだが……。
円君の料理の腕は確かだった。男の子が作ったとはとても思えないほど美味で、もしかしたら私より上手かもしれないと、ちょっとブルーな気分に陥った。食後のコーヒーはちゃんと豆から作る拘(こだわ)りようで、しかも羽野には焙(ほう)じ茶が出てくるなど、その細やかさには本当に頭が下がる思いだった。
ふと、食事はどうするんだろうと思ってそっと聞いてみると、
「後でちゃんと食べますよ。皆さんと同じものを、同じテーブルで食べるのもどうかということで」
邪魔でなければ、一緒にお喋りしてもいいかと聞くと、くすぐったそうに「はい」と笑った。
片付けが終わるまで、少し三人と話をする時間があった。
「そうそう、杉原さん、そちらのサンライズ出版の雑誌に、次回の新作を掲載していただきたいんですが、よろしいですか?」
「えっ?! ほ、本当ですか?」
「こうしてお会いしたのも何かの縁でしょう。よろしくお願いしますよ」
これはまた、棚から鏡餅が落ちてきた。いや、大きければいいというものでもないか……。鏡餅、美味しくないし、頭に当たったら痛そうだし。素直に「ぼた餅」にしておこう。
というような間抜けな思考を押し隠し、営業スマイルで「ありがとうございます!」とお辞儀をした。
「ええ? 先生、そりゃないですよ。うちには回して下さらないんですか?」
平谷がごねた。どうやら相談なしのことだったようだ。
「いや、もちろん『隠密』のほうはそちらにお渡ししますよ。ただ、今度は違うタッチの物語を書いてみたいんです。折角来ていただいたんですから、何かお土産の一つでもありませんとね、杉原さん」
「え、あの、そんな、両手に余る大きさです。持って帰れるかどうか心配ですわ」
「大丈夫ですよ、円に駅まで送らせますから。なんなら宅配便で頼みましょうか?」
意外とノリがいい。思わずくすくすという笑い声が漏れてしまう。平谷はまだ不満そうだ。
「へぇ、新作ですか。どんな話になるのか、教えてはもらえないんでしょうね」
その隣で、中町が髪を掻き揚げながら言った。羽野はそちらに向き直り、
「君にもご教授願いたいね。一応、推理小説と呼ばれるジャンルになるだろうから」
これにはその場にいる全員が驚いた。もちろん私もだ。ちらっと聞きつけたのか、円君まで水道を止めて近寄ってきた。エプロン姿が異様に似合う。
「先生、それ本当ですか?」
「ああ、一つ思い付いたストーリーが、どうもミステリ向きなんでな。初挑戦なので、なんだかわくわくするよ」
皆がぽかんとしている中、羽野は嬉しそうに、
「この間、ふと浮かんだアイディアが実行可能なのかどうかを確かめるために、わざわざ自分の仕事部屋にあるドアの鍵をを作り替えてしまいましたよ。子供みたいでしょ?」
と、本当に子供のように笑った。ドアの鍵を付け替えたということは、密室トリックを主体にするつもりなのだろうか。円君が、納得したようにうんうんと頷いた。付け替えたこと自体は知っていても、彼も今までその理由を聞かされていなかったようだった。
「大体、こんな感じになると思いますので、ご報告をお願いします」
その場で梗概を書くつもりなのか、羽野は袂(たもと)から黒革の手帳を取りだした。その手帳をテーブルの上に置き、再びもぞもぞと手を突っ込んでいたが、やがて首を傾げた。
「先生、どうされました?」
平谷の問いかけに、照れたような表情を浮かべ、右手で虚空に何かを書くような動作をする。筆記具が見あたらないという仕草に見えた。
特に愛社精神旺盛なわけではないけれど、好印象を与えておいて損することはないだろう。私はお気に入りの純銀軸シャープペンを、にっこりスマイルと共に差し出した。負けじと平谷もほぼ同時にボールペンを取り出した。見ると、軸が十八金製の、成り金臭いが超高級なボールペンだ。……何かくやしい。
少し遅れて、中町もスーツの内ポケットからボールペンを抜き取って、羽野の前にすっと持ってきた。透明軸に黒キャップをかぶせたありふれたタイプ。100円ショップだったら3本セットで売っていそうな安物だ。落ち着いた照明を反射して輝く高そうな金属製のペンを何本も胸に差しているくせに。手垢がつくのを嫌ったのだろうか。随分セコイというか、何というか。
羽野の右手は、目前に並んだ三本の筆記具の前でしばらくさ迷っていたが、やがて全員にひょいと会釈して中町のボールペンを選び取った。
ふいに背後に人の気配を感じて振り返ると、そこに円君が立っていた。唇を噛みしめ悔しそうに中町の顔を睨んでいる。手にはプラスチック製のボールペンが握られていた。中町が食い入るような視線に気づいたのか、顔を円君に向けるとにやりと笑った。どこか勝ち誇ったような、粘着質な笑みだった。
その後、中町が「夜は弱いので、先に部屋で休ませてもらいます」と自室に引き上げ、平谷も「今日戴いた『隠密』の原稿をチェックしたい」と言い残してロビーを後にした。
「では、私も失礼します。どうぞごゆっくりしていて下さい」
羽野も立ち上がり、扉のノブに手をかけようとした。が、その右手を途中で止め、袴の袂越しに改めて取っ手を握った。静電気体質なのか、直接金属に触れるのを嫌がっているようにも見える。
キッチンのほうでは、円君がようやく自分の夕食を採り始めたところだった。さっきの羽野の発言について色々と語り合いたいところだったが、それ以前にライターの端くれとしての血が疼(うず)いているのに気がついた。
「ごめん、円君、私部屋で仕事するわ。あんなこと聞いたら、のんびりしてられないもの」
「そうですか。残念ですが、仕方ありませんね。後でコーヒーお持ちします」
「うん、ありがとう。ほんと、ごめんね」
あてがわれた客室に戻り、内側から鍵をかける。客室の鍵は、つまみを捻るごく普通のタイプのものだ。新作の主トリックを担う扉の鍵は、一体どんなものなのだろうか。後で見せてもらおう。そんなことを考えながら、重い思いをして持ってきたラップトップパソコンを机に乗せ、電源を入れた。
陶器が割れるような音と、かすかな悲鳴が聞こえた。キータイプに没頭していたのではっきりとはわからなかったが、どうも円君の声だったような気がする。書きかけの文章を保存しておいてから、部屋のロックを外して廊下に出た。
左右を見渡すと、廊下の突き当たりにある部屋のドアが開け放たれているのが見えた。床にはカップの破片が散乱し、コーヒーが黒々と染みを作っている。
(……何かあったのかしら?)
小走りに近付いてみると、中から円君が飛び出してくるのと危うくぶつかりそうになった。慌てて体を捻って避けてみると、彼の可愛い顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。
「ど、どうしたの円君?」
「……せ、先生が……先生がぁ……」
物音を聞きつけて、平谷と中町の二人も部屋から顔を出した。中町はともかくとして、体重を感じさせないほど静かに廊下を歩いてくる平谷の姿は、ある意味無気味でもあった。
「おい、どうしたボウズ?」
顔を覗き込んで平谷が訊ねたが、当の円君は歯の根が合わないらしく、あうあうという声にならない呻(うめ)きを挙げるのが精一杯のようだった。その脇をするりと抜けて、中町が羽野の自室らしい部屋に足を踏み入れた。と、小さく息を呑んで、じりじりとこちらに下がってくる。
恐怖に勝る好奇心を抑え切れず、胸に抱いていた円君をその場に座らせ――彼がへたり込んだ、というほうが正確かもしれないが――、中町を押し退けて中を覗いた。
「うっ!」
一瞬、喉を酸っぱいものがせり上がってきそうになったが、どうにか堪えた。とはいえ、長い時間直視できるものでは、やはりなかった。
ナイトガウンの代わりと思しき、涼しげな柄の浴衣に包まれた体格のいい男が、部屋の真ん中に横たわっている。羽野浩一郎と考えて間違いなさそうだった。が、その端整な顔は、頭部にぽっかりと空いた傷口から流れ落ちてどす黒く固まった血が覆い尽くしてしまって判別できなかった。そして、元は白っぽかったであろう浴衣を深紅に染めているのは、服越しに真一文字に切り裂かれた腹部の血。刃物は内臓へも到達していたらしく、胃の内容物までもが毛足の深い絨毯で覆われた床を濡らしていた。
その光景から、割腹自殺を遂げた侍の姿を連想するのは、あまりにも容易であった。
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