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 読み進めるうちに、僕を含めた五人全員の目に、爛々と輝きが満ちていくのを感じていた。それは、何もプレゼントへの期待感というようなものではなく、『暗号』や『魅力的な謎』に対する純粋な好奇心が溢れているからであった。好みは五人五様でも、そもそもがミステリー好きで集まったメンバーである。こういう贈り物は何にもまして大歓迎だ。
「……面白いじゃないか、先輩から俺達への挑戦状というわけだな」
 ニヤリと笑みを浮かべて、雅輝が顎をさすった。恐らくこの状況を最も楽しんでいるのは彼だろう。
「暗号かあ……。私の苦手な分野だな、幸姉に勝てないかも」
「お互い様じゃない? 私もあんまり得意な方じゃないよ」
 夏ちゃんと幸奈の視線がぶつかる。二人とも見かけによらず(?)負けず嫌いなので、顔は笑っていても、目は真剣そのものだ。
「俺は多分用無しだな。お前と雅輝を相手にしてかなうわけがないし」
 早くも諦め顔の弱気な一言はもっちゃんだ。口ではこんなことを言っているが、こいつの鋭い洞察力はなかなか侮れない。
 暗号文を手帳にメモしながら、この後の授業はやっぱり自主休講だな、と僕は考えていた。

 さて、我がクラブには、先の手紙にもあったとおり二回生が一人もいない。理由はよく分からないが、たまたまそういう巡り合わせの年度だったんだろう、と僕は分析している。で、僕達の先輩は三回生ばかり五人で、男性二人、女性三人の組み合わせだ。僕達一回生とちょうど逆の割合になる。
 二時限目を丸々費やして、大好きな推理小説もそっちのけで問題の暗号解読に取り掛かっていたが、その糸口すら掴めない。真面目に講義を受けていた学生達がぞろぞろと食堂に姿を見せ始めたので、僕は部室に退散することにした。他の連中はもう解いてしまったのかな、という不安が頭をかすめて、振り払うように首を振った。
 クラブハウスの入り口で、ばったりともっちゃんに出くわした。その表情が、「お前に解けないものが俺に解けるわけがないだろう?」と訴えている。相談はなし、の戒律通り、僕達は取り留めのない話をしながら部室へと向かった。
「……あ、圭先輩、こんにちは」
 部室から煙草を片手に現れたのは、相馬圭(そうま・けい)先輩だった。切れ長な目をこちらに向けて、少し微笑んだ。綺麗な形の唇が歪んで、なんだか危険な妖艶ささえ感じさせる。
「相変わらず仲良しなんだね。もっとも、今日は一人足りないようだけど」
 左手で短い前髪を掻き上げる仕草が実にさまになっている。この人なら何を着ても似合うのだろうが、ポロシャツ、綿パン、革靴に到るまで全身黒で染めた今日の服装は、はっきり言ってかなり格好いい。ちなみに、先輩の言う一人≠ニは雅輝のことだ。
「『あれ』はもう解読できたのかい?」
「……恥ずかしながら、見当も付かない状態で」
 あははと先輩が笑った。廊下の端から端まで突き抜けるような、よく通る声だ。
「それじゃ困るんだけどなあ。有能な跡継ぎがいなくなってしまう」
「じゃ、まだ誰も『あれ』を解いてないんすか?」
 もっちゃんは早口なので、時々敬語の中ので≠ェ抜けてしまう。
「残念ながら、ね」
 ――つまり、あの雅輝もまだ、ってことか。
 我らが推理小説研究会の部室は、二階廊下の一番奥にある。クラブハウス入り口前の階段からは最も遠い場所にあたるのだが、その階段の踊り場の方から数人の女子学生の顔が覗いているのが目に入った。視力の悪さが自慢の僕でも、それらの顔が上気し、瞳にハートマークを湛えているのが手に取るように分かる。僕はちらりとそちらに目をやって、
「……一体どれくらいの人数がいるんでしょうね、圭先輩のファンクラブ」
「少々辟易しているんだけどな。何しろ興味がないんでね」
 ポケットから数枚の手紙を取り出す。可愛らしい封筒にハート型のシールで封がしてある。僕なんかは生まれてこの方一度も貰ったことのない代物だ。
「それに、こういうノリにはちょっとついていけそうにない」
 先輩は無情にもその愛の告白集を握り潰し、ゴミ箱に放り込んだ。うう、勿体ない……。
「いっそのこと、特定の彼女でも作ったらどうすか?」
 もっちゃんがニヤニヤしながら先輩を肘でこづいた。先輩は苦笑して、
「冗談はよしてくれよ。そんなことをしたら……」
 半ば睨み付けるような視線を階段の踊り場に向ける。キラキラした目を輝かせて、彼女達はきゃあきゃあと叫んでいる。先輩はちょっと肩を竦めて、
「シャレにならないじゃないか」
 そう言い残して颯爽と振り返り、反対側にある階段を下りていった。それと同時にファンクラブのメンバー達も一斉に姿を消した。一階に先回りをするつもりらしい。
「……ホント、かっこいいよなあ、圭先輩って」
「ああいう人がいるから、俺達みたいな冴えない男があぶれるんだよ」
「もっちゃんと一緒にしないでほしいな」
「何か言ったか?」
 そんな会話を交わしながら、僕達は部室に足を踏み入れた。
「よう、来たか。その顔じゃあ、『謎はすべて解けた』とはいかないようだな」
 胡座をかいてテレビゲームをしていた細川先輩が、某推理マンガの名台詞を引用して実に嬉しそうな顔を向けながら言った。多分、今回の贈り物≠企画したのはこの人だろう。そういうイベントが大好きな先輩で、僕達の面倒も一番よく見てくれる。少々訳ありで、クラブ内で最年長である。その分、他部員からの人望も厚い。一緒に喋っていると笑いが絶えない、とても楽しい人柄の持ち主だ。
「はあ、ヒントを戴きに来ました」
 情けないほど弱々しい僕のその言葉を聞いて、足を投げ出して壁にもたれながら本を読んでいた人がくすくすと笑い出した。
「一回生の皆さん、ことのほか手こずってるみたいですね」
 桜井和実(さくらい・かずみ)先輩だった。年下の僕達にも敬語を使うという変わった先輩だ。セミロングの髪をうなじの辺りで束ねており、丸っこい顔がさらに童顔になっている。僕達がクラブ見学に来たとき、あまりにも白い肌と綺麗な顔立ちをしているので、もっちゃんと僕が思わず目を奪われてしまったほどだ。入部当時に「女子中学生だと自己紹介されても納得しそうだな」と細川先輩から皮肉を言われたという伝説の持ち主でもある。かつて「相馬先輩と付き合ったら凄いことになりそうですね」と言って、幸奈と夏ちゃんにお尻を思い切りつねられた覚えがある。
「さっき、大西さんも同じ用件で来られましたよ」
「夏ちゃんが?」
「この調子だと、藤林を除く全員がやって来そうな気配だな」
 自分の作り出した暗号が後輩達を困らせていることに、細川先輩は至極ご満悦のようだ。恰幅のいい体を揺すらせてからからと笑っている。これで鯰髭と釣竿があったら、まるきり七福神の布袋神だ。
「先輩も、雅輝は来ないと思ってるんすか?」
「あいつは絶対に自分の力で解こうとするだろうよ。それが奴のポリシーだ。けど、だからと言ってヒントを聞きに来るのが悪いわけじゃないんだからな」
 吸っていた煙草を脇の灰皿に押しつけて、新しい一本を箱から取り出す。完全なチェーンスモーカーである。灰皿には大量のマルボロの他に、フィルターに口紅の付いたメンソールの吸殻が混じっている。我がクラブの三回生は、ほとんどが煙草飲みである。
「さて、それじゃあヒントだ。あの暗号は、俺達三回生の中の一人の女性を表してると言ったな」
 細川先輩は、相変わらず離れた場所の壁に寄り掛かって本を読んでいる和実先輩をちらりと見た。その視線に気付いたのか、和実先輩はこぶしを口元に当てて、ふふっと意味ありげな忍び笑いを漏らす。
「そこで、あの文章と同じ要領で、俺を表した暗号も作ってみた。それを教えてやる」  ごそごそとポケットを探り始めた。小さなメモ用紙には、綺麗に整った文字でこう書かれていた。

『我は娘≠ノ無視されし者なり。   (細川吾郎)』

「これは、桜井が作ったものだがな」
「大本の問題文は、ちゃんと細川さんが頭を絞って考えたじゃありませんか。あれがあったから、その暗号を思いついたんですよ」
 二人のそんなやりとりも、僕の耳には入らなくなっていた。
 ――これじゃあヒントどころか、ますます分からなくなるばかりじゃないか。
 僕はその文章を手帳にメモすると、重い足取りで部室を後にした。和実先輩の真っ直ぐ伸びた長い足を跨いで通ったとき、さっきから一心不乱に読んでいる本の題名が目に入った。
『名探偵コナン』
 ……実に先輩らしい、と素直に思った。
 廊下に出たときの「頑張って下さいねー」という和実先輩の声が、なんだか僕の肩に重くのしかかっていた。

 そろそろ空席が目立ち始めた頃、僕は再び食堂に足を運んだ。あのヒントを貰っても、暗号解読の鍵さえ浮かんでこなくて少々苛立ち始めていたので、頭を冷やしに冷たいジュースでも飲もうと思ったのだ。
「あれぇ、葉月君じゃない」
 鼻に掛かる甘ったるい声で名前を呼ばれて、僕はどきっとした。振り返ると、我がクラブでも仲良しコンビとして有名な中宮恵理子(なかみや・えりこ)先輩と友利亜紀(ゆうり・あき)先輩が、差し向かいで弁当を開いているところだった。二人とも全く赤の他人であるにも関わらず、やたらと顔立ちが似ているので、最初は双子かと思ったほどだ。髪型が同じなら、絶対間違ったことだろう。化粧で引き立つ顔の造りをしているので、適度のメイクを施した先輩達は色っぽさ三倍増である。
「恐い顔してどうしたのぉ? 可愛い顔が台無しよ」
 出た、伝家の宝刀・亜紀先輩の流し目。僕を始め部員達はもう慣れてしまったが、この魔力に囚われた男子諸君は数多い。
「あ、さてはあの暗号が解けないんで困ってるんじゃない?」
 対照的に恵理子先輩は極めて明るくはきはきした口調でそう言って、にこにこしながら僕の脇腹を突っついた。くすぐったがりの僕は慌てて飛び退く。勢い余って後ろのテーブルにお尻をぶつけてしまった。途端に二人がケラケラと笑い出す。
「ホント、君ってオモチャみたいね。見てて飽きないわ」
「からかいがいがあるっていうかぁ」
 好き勝手なことを言って楽しんでいる。僕は生まれつきこういう運命にあるのかもしれない。即ち、根っからの『おちょくられ型』人間なのだ。
「まあ、頑張ってねぇ」
 亜紀先輩が席を立って、すれ違いざまに指先で僕の顎をすっと撫でつけながらそう言い残して去っていった。ウェーブの掛かったロングヘアが、シャンプーのいい香りと共に僕の鼻をくすぐって、いくら擦ってもしばらくむずむずが消えてくれなかった。
「ま、座りなさいよ。ジュースぐらいおごってあげるわ」
 残された恵理子先輩が、今まで亜紀先輩が座っていた席を指して言った。僕の好みをよく知っている先輩は、売店で紙パックのフルーツミックスを買ってきてくれた。感謝感謝。
「……先輩は、例の暗号の答えを知ってるんですか?」
「そりゃね。私はあまり優秀な部員じゃないから自力では解けなかったけど。細川さんに教えて貰ったの」
 その目は「探りを入れても駄目よ」と訴えているようだ。最後に弁当箱に残された、半分に切ったゆで卵に箸を突き刺して「食べる?」と差し出されたので、いただきまーすと首を伸ばして口を大きく開けたところでそれを引っ込められた。僕の間抜けな表情を見て、先輩はまたケラケラ笑い出した。
「じゃあ、暗号の種類だけでも教えて下さい。換字法なのか、転字法なのか」
 気を取り直して訊ねる。換字法とは、文章の構成要素である文字や語句などを他の文字、あるいは数字や記号に置き換える方法。転字法とは、文章の文字位置をあるルールに従って変えていく方法で、どちらも代表的な暗号解読法である。先輩は小首を傾げ、
「う〜ん……。ま、それぐらいは教えてあげてもいいかな。あえて言えば換字法よ」
「あえて言えば?」
 恵理子先輩は、これ以上は駄目よという代わりに、軽くウインクをして去っていった。


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