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32.赤磯凄絶! |
![]() アカイソガニ(2008/11/5撮影) 左半身は歩脚1本を残すのみ。 残った鉗脚の外皮も剥がれ落ちてぼろぼろ 凄惨な落ち武者のような姿になりながらも・・必死に生きている! |
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吉村貫一郎という新撰組隊士がいる。 ベストセラーになった浅田次郎の「壬生義士伝」の主人公として一躍脚光を浴びた人物だ。 それまでは時折血生臭く陰惨なイメージで語られるだけのマイナーな存在にすぎなかったのだが、「壬生義士伝」が渡辺謙、中井貴一という当代の人気俳優をそれぞれ主役に据えて、テレビと映画で映像化されるや(どちらも良い出来だった)世間的な知名度と好感度は一気にアップした。 当人も草葉の陰でさぞ喜んでいることだろう。 この小説の中で吉村貫一郎は、北国の下級藩士としての貧しい暮らしに喘ぐ妻子のために脱藩して新撰組に身を投じ、守銭奴と嘲りを受けながらもひたすら金のために人を斬りまくる、「純朴な人斬り」として描かれている。 個人的には、先に書いたように「血生臭く陰惨」な印象が強くて、浅田版のキャラクターには少々違和感があるのだが、まあ、そのあたりがご婦人方も含めて平成の世に好感をもって受け入れられた所以なのだろう。 誤解のないように書いておくが、別にこの小説を貶しているわけではない。 これまで3回読み返したくらいだから、はっきり言って気に入っているのだ。 とりわけ鳥羽伏見の戦いで薩摩軍に相対したとき、銭勘定を忘れて義のためだけに錦旗に向って唯ひとり斬り込んでいく場面は、何度読み返しても目頭が熱くなる。 映画ならこの場面をストップモーションで締めれば、「明日に向かって撃て!」よろしく余韻と感動を残すラストシーンを演出できるだろう。 しかし「壬生義士伝」の本当の凄みはこの後にある。 満身創痍となって落ちのびた吉村貫一郎は、旧主家である盛岡南部藩蔵屋敷に救いを求めるが、貫一郎の幼馴染でもある差配役大野次郎右衛門は冷酷に切腹を命じる。 藩の重役としては当然の判断である。 薩長を中心とした新たな政府が誕生しようとしている時に、いかに元藩士といえども賊軍の先鋒である新撰組隊士を匿うわけにはいかない。 だが、そこは友としての情けで少しでも楽に腹を切れるように、自らの差し料である家宝の名刀を与えるのだが、貫一郎は与えられた刀を故郷で待つ息子嘉一郎に贈るべく書き残し、自らは戦闘でササラの如く刃こぼれした切れぬ刀を無理やり腹に突き立て、死ぬに死に切れず一晩中のたうちまわりながら見苦しく果てる・・・。 時代劇ではサパサパと斬られて血も流さず即死する場面が多いが、実際はこんなものなのだろう。 生き物は生きているから生き物なのだ! 生き物である以上、死ぬのはそう簡単なことではない。 今年の6月、敦賀半島の磯で1匹のアカイソガニを採集した。 我が家の60㎝水槽に入れるのは、ちょっとサイズが大きいし、すでにヒライソガニが3匹入っているのでしばらく悩んだのだが、少し前に死んでしまったヒメアカイソガニの代わりにと持ち帰ることにした。 初めて飼育するカニなので多少の不安はあったのだが、ヒメアカ同様おとなしい性格で、他の生き物たちと争うこともなくのんびり暮しはじめてくれた。 わりと水上に出たがるタチらしく、貝殻マンション最上階あたりに居を定めたので、ヒライソと競合することなくうまく棲み分けられたのが幸いしたのだろう。 砂に潜ることもないので目に触れることも多く、この夏は新たに加わったヤマトホンヤドカリとともに、飼い主を楽しませてくれたのだが・・・。 アカイソガニのお腹に何かがくっついていることに気付いたのは、8月の初めごろだったろうか。 オレンジ色の袋のような物体・・、フクロムシである。 フクロムシとはカニやヤドカリに寄生する甲殻類(!)で、その本体は宿主の体内に食い込んでいて外から見えるのは繁殖器官なのだそうだ。 この繁殖器官が袋のように見えるのがその名の由来。 体内に入り込んだフクロムシは宿主の神経系を支配して意識を乗っ取ってしまうと言われている。 つまり、このアカイソガニはアカイソガニに非ず、アカイソガニの肉体を持ったフクロムシなのだ。 などと書くと、少々おどろおどろしいイメージを受けるかもしれないが、寄生虫とはいえヤドカリやカニと同じ甲殻類。 甲殻類好きの飼い主としては、非常に興味深い観察対象である。 で、親しみをこめて「フクちゃん」と命名した(笑)。 このフクちゃん、アカイソガニの他個体を飼育したことがないので、その行動パターンや性格がアカイソガニ本来のものなのかフクロムシの意思(?)によるものなのかは、良く分からないが、とりあえず「カニ」としての行動に別段不自然な所はなく穏やかに日々を過ごしていた。 そんなフクちゃんの様子が10月に入ったころからおかしくなった。 1本2本と歩脚を落としはじめたのだ。 ストレスによる自切だと思われる。 フクロムシによる意識の支配に本体が耐えきれなくなったのか、あるいは水槽飼育によるストレスが蓄積したのか・・、どちらにしても、ヤド飼いカニ飼いの誰もが一度は経験する(したくないが)事態である。 私の経験からすると、こういう場合は8割方は脱皮を強行する。 脱皮後の生存率は2割くらいだろうか? そして脱皮をしない個体は、どんどん脚を落とし続け、やがて衰弱死する。 フクちゃんは脱皮の気配もなく、ついに右鉗脚まで落とし、右半身は第4歩脚1本を残すのみとなった。 衰弱死パターンである。 ところが、この時点で自切は治まり、一か月以上たった現在も生き続けている。 不自由な体で餌を奪い貪り・・必死に生きている! 甲殻のキチン質は剥げ落ち、ぼろぼろになりながらも必死に生きている! 本体のアカイソガニが死ねば、当然フクロムシも道連れで死なねばならない。 一つの肉体を共有する二つの意識の執着が強靭な生命力を醸し出しているのだろうか? 生きることを諦めなければ、肉体は簡単には滅びない! 1匹のカニと1匹のフクロムシから学んだことは多い。 |
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元気だったころのアカイソガニ。 大きくて頑丈そうな鉗脚を持っているが、性格は穏やかで物静か。 ヒライソガニのように貝殻マンションの破壊工作に従事したりしないので安心して飼育できる。 ただし、その性格がアカイソ本来のものなのか、フクロムシの意識によるものなのかは謎。 |
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お腹からはみ出したフクロムシの体の一部。 繁殖のための器官だといわれている。 このように寄生する個体はすべてメスで、自らの繁殖(放幼)行動を代行させるために、宿主がオスの場合、意識だけを性転換させてメス化してしまうとか・・。 このアカイソガニ、体はオスなのだが、心はリリカル(?)なメスガニなのだ。 |
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不自由な体でクリルを抱え込み貪り食う。 寄生され狭い水槽で飼われるストレスに耐えかねて、死に向かって自傷(自切)を繰り返すアカイソガニ。 死なせてなるものかと必死に意識を操るフクロムシ。 生と死を求める2つの意識がぶつかりあった結果、生き物を生き物たらしめる潜在的な意識が覚醒したのだろうか? もちろん、大脳を持たない甲殻類に意識があると考えるほどおめでたくはないつもりだが、ここまで生に執着する小さな生き物を眺めていると、そんなドラマを感じてしまう。 擬人化・・というには、あまりにも生々しいが・・。 |
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2008.11.9 |
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