みーばい亭の
ヤドカリ話
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29.限りはあるけど透明に近いエビちゃん


スジエビモドキ
磯遊びではお馴染みのありふれたエビだが
そのクリスタルな美しさは侮りがたい
しかし、よく見るとコイツもけっこう目つきが悪いかも・・


昔話の隠れ蓑からはじまって、小説、漫画、アニメ、映画、それにピンクレディーのヒット曲まで、古今東西老若男女を問わず絶大な支持を受けている稀有なヒーロー(?)・・といえば、ご存じ「透明人間」である。
ご多分に漏れず私も子供の頃一度は透明人間になってみたいと無邪気に憧れたことがあるが、大人の分別を持って冷静に考えると、自分の姿が他人から見えないというのは、何事につけて不便なだけではなく非常に危険だということに気付く。
実際に透明人間になって街中を歩き回れば、命がいくつあっても足りないだろう。
漫画「サザエさん」にも、透明人間が交通事故に遭って誰にも気付かれないまま死んでいくという、ちょっとブラックな一編があったが、まさにそういうこと。現代社会には危険が多すぎる。
女湯をのぞいたり高級料亭でつまみ食いしたりするような、ささやかな楽しみとひきかえにするにはあまりにもリスクが大きいということだ。

話は逸れるが、先日図書館で「サザエさん」の単行本を見つけて何冊か読んでみたのだが、さすがに新聞連載漫画だけあって、一話ごとに時代の輪切りを見ているようで非常に興味深かった。
登場人物のファッションや風俗の変換など、戦後から高度成長期を経て70年代のオイルショックに至るまで、まさに漫画で読む昭和史と言ってもいいだろう。
マンネリズムの無限ループに陥っているアニメ版も、ここいらで原作漫画の風刺精神に立ち返って、クールな目線で年代ごとに変容する政治や流行を揶揄した「真・サザエさん」へと方向転換したらどうだろうか。
昭和時代の不便で不潔な生活様式が「ノスタルジー」や「エコロジー」といった言葉でもてはやされるご時世だから、けっこうウケるのではないかと思う。
もっとも股引の上に半ズボンをはいた丸刈りの子供が、棒切れを振り回しながら騒々しく走り回っているような時代の方が良かったか・・と、考えると個人的にはちょっと微妙。昭和の終わりと平成の幕開けを華々しく彩ったバブル期だったら、すぐにでも戻りたいが(笑)

ま、のぞきやつまみ食いはともかくとして(透明人間になって他にすることが思いつかない(^^;)、自然界において透明になるということは、捕食者から逃れたり、反対に獲物に気付かれずに近づいたりするためには、非常に有効な手段のひとつだと思われるのだが、残念ながら陸上に「透明生物」は(たぶん)存在しない。
昆虫の翅や人間の眼球などパーツごとに見れば、陸上生物の体にも透明な組織が少なからずあるわけだから、全身が透明な生物が存在することも不可能ではないだろう(と思う)。
それにもかかわらず、地上の生物が姿を隠すための手段として透明化を選ばなかったのはなぜか?
透明になっても「見える」からである。
気体と固体では透過する光の屈折率が大きく異なるために、陸上では、「透明=見えない」ということにはなりえないのだ。
例えば極限まで透過率を高めたガラスでコップを作ったとしても、空気中にある限り、単に「ものすごく透明感のあるコップ」として認識されるだけ。
中途半端に体を透明化すれば、消えるどころかと光をキラキラ乱反射して反対にやたらと目立つことにもなりかねない。
陸上で透明になって姿を消すためには、空気と同じ屈折率をもつ物質、つまり気体になる必要があるわけだ。
肉体が気体でできている生物・・そんなものが地球上に存在できないことくらい、素人の私にだって分かる。

しかし水中となると話は別。
液体と固体の屈折率の差は、気体と固体のそれに比べるとうんと小さい。しかも生物の体には大量の液体が含まれているのだ。
そのため水中では、「透明=見えない」とはいかないまでも、空気中に比べるとかなり見え難くなるのは事実。ガラスのコップを水中に沈めてみれば納得できるだろう。
そういうわけで水生生物には敵から姿を隠すために透明化の道を選んだ生き物が少なくない。
魚の稚魚の多くは透明な体をしているし、腔腸動物や軟体動物の中にも全身透明な生き物はたくさんいる。
そして今回の主役エビちゃん(スジエビモドキ)もそのひとつである。
スジエビモドキはイソスジエビと共に、磯ではおなじみのエビで、岸寄りのごく浅い所で白昼堂々と姿をさらしていることが多いのだが、透明な体が背景に溶け込んでいて、最初の一匹を見つけるのはけっこう苦労する(一匹見つけて目が慣れればあとは簡単に見つけられる)。
フィッシュウォッチングをしていていつも感じることだが、磯の魚たちの貪欲さは半端ではない。
常に飢えているといってもいいだろう。
おまけに彼らの多くは甲殻類が大好物ときている。
そんな中で、それほどの機敏さや頑丈な甲殻を持ち合わせていないにも関わらず、あれだけの生息数を維持しているのだから、その透明な体が捕食者の目を逃れるために大いに役立っているのは確かだろう。
そんなエビちゃんも、年老いるとだんだんと身体が白濁してくる。
自然界ならこの時点で捕食者に見つかって「ジ・エンド」。
透明感が失われた時が命の終わりだ。
生存競争厳しい荒磯に生きる生き物の宿命ではあるが、最期に我が身を他の生き物の糧として差し出す潔い死に様は、その透明な身体同様、清々しくも美しい。








ケアシホンヤドカリの真っ赤な第二触角は、魚と一緒に飼っていると突付かれてすぐに切れてしまう。
まあ、目の前で真っ赤なヒゲがピロピロ揺れていたら、つい突付いてみたくなるのも仕方がないだろう。
私でもそうする(笑)
ただし、小刻みに動く細いヒゲをピンポイントで攻略するにはそれなりの運動神経と作戦能力が必要になる。
このヒゲ攻略が上手かったのが、今は亡きカミナリベラのチビ銀だった。
多くの魚は尾鰭を左右に振ることによって推進力を得るが、ベラの仲間はフグなどと同様、尾鰭ではなく胸鰭を使って泳ぐため、ホバリングや後退、急降下など、複雑な動きを機敏にこなすことができる。
チビ銀はこの機動性と、真上や斜め後方といった死角を狙うという奸智を駆使して、ヤドカリの顔面を的確に攻撃していたものだ。
チビ銀が鬼籍に入って半年、魚はまだソラスズメダイのスーちゃんが居るが、彼女(?)はチビ銀ほど活発ではないし、ヤドカリにはほとんど無関心。
住処に侵入してきたヤドカリは排除するが、頭でぐいぐいと押し出すだけで、第二触角を咥えるほどの器用さはない。
実際、この半年間ケアシホンヤドカリのヒゲが切られることはなかった。
ところがここに来て、古株のケアシの第二触角が左右ともに切れているのを発見した。
スーちゃんは相変わらずのんびりマイペースで、新しいヒゲ攻略法を身につけたようには思えない。
とすると犯人はエビちゃんしか居ない。
そういえば、ケアシの後ろから忍び寄って宿貝に馬乗りになっている姿を何回か見たことがある。
華奢な姿をしているが、エビちゃんはほぼ肉食性。
透明な体は防衛だけではなく攻撃にも役立っているようだ。
一難去ってまた一難。
さて、ケアシホンヤドカリに安息の日は訪れるのか・・。
そういえば透明人間のやることって、たいてい犯罪やもんなぁ(笑)




好物のイカ肉にかぶりつくエビちゃん。
細かく噛み千切られた肉が体内に入っていく様子が、よく分かる。
一日中水槽にへばりついていれば、食べた物が消化されう○こになっていく過程がつぶさに観察できるだろう。
酔狂なお方はどうぞ(笑)
考えてみると、透明人間になったとしても、食べたものまでは透明にはならない。
と言うことは胃腸の中身が他人から丸見えになるわけだ。
これはちょっと恥ずかしいかも


2008.3.6

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