みーばい亭の
ヤドカリ話
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28.アーマングァヌパナス

冬場は、それぞれお気に入りの場所に陣取って、日がな一日うつらうつらとまどろんでいる。
正月休みの眠り癖が未だ抜けきらない飼い主からすれば、まことにもってうらやましいご身分である。
しかし、こう動きがないと、リビングに陣取っている2本の水槽スペースがいささかもったいない気がする。
家主としてはオカヤドカリ水槽を1本にまとめて、一方の水槽でヒバカリかニホンヒキガエルを飼いたいと考えているのだが・・。

千団子祭りの露店で初めてオカヤドカリという生き物を見たのが幼稚園児のころだから、かれこれ40年近くも前になる。
そして、ダイバーとして年に何度か通うようになった沖縄で、オカヤドカリと再会したのが20年前。
はじめの頃は多少の物珍しさもあって、手にとって眺めたりもしていたが、見慣れてしまうとそれ以上興味を引かれることはなくなった。
沖縄にはホオグロヤモリやオキナワキノボリトカゲなど、オカヤドカリより何倍も面白い(陸上での)観察対象がいっぱいいたからだ。
8年前にオカヤドカリを飼いはじめてからは、以前よりも多少親しみを持ってオカヤドカリと接するようになったが、それでも、シマへ渡る目的の第一はダイビングだし、民謡酒場へ繰り出したり、泡盛片手のロギング(?)に参加したりするのに忙しくて、短い滞在中に現地のオカヤドカリと親睦を深める機会はそう多くはない。
飼育にしても、幼生飼育に没頭したり、米粒ほどの稚ヤドカリを育てたりするのはそれなりに楽しかったが、成体のオカヤドカリをただ飼っているのが楽しいか?と、問われるとちょっと考えこんでしまう。
大きさの割りには広さのあるケージが必要だし、そうかといって活動的ではないし、砂は重いし、スキンシップはできないし、脱皮の度にひやひやさせられるし、餌食いは悪いし、愛想はないし・・・。
客観的にみれば、ミもフタない飼育動物である。

私自身も、別にオカヤドカリを飼いたくて飼いだしたわけではなくて、知り合いから1匹のムラサキオカヤドカリをもらったのがはじまりだった。
たまたま、その個体が6年も生きたおかげで、現在の「みーばい亭サイト」があるわけだ。
だから、別にオカヤドカリの捕獲が全面的に禁止されて、飼育することができなくなったとしても、何の感慨も抱かないだろうし、現在の販売状況の酷さを思うと、むしろそうなることを望んでさえいる。
本音をいえば無愛想なオカヤドカリより、嬉々として餌に走り寄ってくるホンヤドカリのほうが可愛げがあって面白いし、何の制約も受けずに自由に採集し自由に飼えるのだから付き合いも気楽だ。
「生き物の飼育はフィールドでの観察と採集からはじまる」というのが私の持論だから、採集が禁じられているオカヤドカリを飼うという行為には、どこか居心地の悪さを感じているのだ。
もっとも我が家で飼育しているオカヤドカリの半数は自家採集した無効分散個体なのだから、それが多少の慰めにはなっているのだが、実体はともかく違法採集個体だというレッテルが新たな居心地の悪さを生む。
私にとってオカヤドカリとは、様々な矛盾や葛藤を内包した複雑な感情を抱かせるなんとも厄介な生き物なのだ。

オカヤドカリの本土における商品化は、昭和10年に東京の坂庄太郎氏と那覇の新垣進明氏の間で取引されたのが最初だと伝えられている。
日本のオカヤドカリ売買は実に70年以上も前から行われていたわけだ。
しかし、オカヤドカリが越年飼育の可能な生き物であるということを一部の日本人が認識したのは、ほんの10年ほど前のことである。
それも、近年アメリカで飼育動物として人気が高まりはじめたオカヤドカリの飼育情報が、インターネットの発達によって、局所的に飛び火したに過ぎない。(アメリカでは採集や販売に何の規制もないためフロリダなどでは乱獲が問題になっているという)
現在でも大多数の日本人にとってオカヤドカリとは、夏がくれば店先で見かける単なる風物でしかないのだ。
このオカヤドカリに対する無関心は、生息地である沖縄でも同様だが、こちらの場合は、あまりにも当たり前の存在ゆえに、わざわざ気に止めることもなく見過ごされているというのが実情。

冬場は餌食いも落ちるので、日持ちのするものを放り込んで、2〜3日ごとに交換するというパターン。
この冬は隠れ場所も兼ねて庭に飛んできた落ち葉をひとつかみほど入れている。
おもしろいことに、数日でぼろぼろに食べ散らかされる落ち葉があるかと思えば、まったく手をつけないものもある。
残念ながら枯葉から樹木の種類を正確に同定する知識は持ち合わせていないが、種類による嗜好性を調べてみるのもおもしろいかもしれない。
誰かやってみて教えてくれませんかね(^^;
例えば、「ウタのシマ」である沖縄には五千とも一万ともいわれる「シマウタ」が伝えられ無数の言葉が紡がれているが、それらのウタの中に「アーマン」という言葉を聞くことはほとんどない。
私が知る限りのシマウタ(たかがしれているが)に思いを廻らせてみても、「浜のアーマン小」というそのものずばりの民謡がある他は 古謝美佐子がウチナーグチで唄ったドボルザークの「家路」の中の「浜のアーマングァ砂枕(シナマクラ)」という一節くらいしか思い当たらない。
沖縄出身の作家が沖縄を舞台に書いた小説も然り。
もっとも、もし私が小説を書いたとしても、ヒシバッタやドウガネブイブイをわざわざ登場させようとは思わない。(私ならやりかねないが(^^;)
同じようにウチナンチュにとってアーマングァとは、あらためて言葉に乗せるには、あまりにも身近すぎる存在なのだろう。

そんな中で、西表島出身の作家崎山多美の「ゆらてぃく ゆりてぃく」(講談社刊)と、併録の「ホタラ綺譚余滴」には、何箇所かオカヤドカリが印象的に使われている場面がある。
抜書きしてみると、

飢饉に襲われたシマで、死に行く海を前に呆然と立ち尽くすシマビトを表現して、

仮の宿りの重い殻を背負わされ、シマの巡りを這い回るのにすっかり疲れ果てた浜のアーマングァが、海辺に寄り添い集まり群をなす

神隠しにあったシマの子供たちが岩窟洞から裸で出てくる様子を、

まるでワラビングァに化けた浜のアーマングァが殻を脱ぎ捨て這い出してくる・・

と、いった具合。

まったくもって見事な描写である!

オカヤドカリの形態や生態を知る人ならば、その観察眼の的確さに舌を巻くはずだ。
日頃、特に気にとめることがなくても、オカヤドカリを友として育ったウチナンチュの意識の中には、アーマングァの存在がしっかりと刻み込まれているのだろう。
まさにウチナンチュの、そしてアーマングァの面目躍如である。

ところで、この作品は飢饉に苦しむシマの話だから、アダンの若芽やハマアザミの根茎など、食べられそうなものを片端からあさる描写があるのだが、どういうわけかオカヤドカリは食材として認識されていないようだ。
鉄の暴風が吹き荒れた沖縄戦の後、食料物資が不足する中で、機械油でテンプラを揚げた・・などという、信じられない話も伝え聞くが、オカヤドカリを食べたという話は(声高には)聞こえてこない。
ヤマトの酒席で、昭和ヒトケタが、「お前はんら若いモンは・・」とぶちあげる戦争話で、ヘビを食っただの虫を食っただのという武勇伝がしばしば語られることを思うと、ちょっと不思議な気がする。(ちなみに酒がすすむと、零戦が飛び戦艦大和が出撃し最後にはエノラゲイまで登場する。見たんか?)

沖縄にはオカヤドカリにまつわる民話はほとんど残っていないようだが、唯一八重山地方に、テタンガナシの命でアマン神が下界のシマを造った時に、アダン林の穴の中でまずアーマンチャーをつくり、そのアーマンチャーが這い出した穴から、最初の人間が生まれたという話が伝わっている。
また、沖縄県内や奄美地方では、かつて適齢期の娘の手や腕に入れ墨を施す風習があったが、その入れ墨の中にオカヤドカリと見られる文様が存在したという記録がある。
生前の聞き取り調査によると、入れ墨を持つ最後の世代の女性のひとりは「アマム」と呼ばれるその文様について、われわれは「アマム」の子孫であるからその入れ墨を入れている、と語ったそうだ。
つまりオカヤドカリは人間の先祖だと捉えられていたわけだ。
沖縄は先祖崇拝が文化として人々の意識に強く根付いているシマだ。
もしかしたら古代の琉球人はオカヤドカリを神として崇めていたのかもしれない。
その記憶がシマビトの心の奥に眠っているから、釣り餌として間接的に食べることはあっても、オカヤドカリを直接口にすることには抵抗があるのではないだろうか・・。
そうだとすると我々は神を飼っていることになる。

水槽のオカヤドカリを眺めながら、久しく訪れていない沖縄に思いをはせていると、柳田國男よろしく、そんな考えがふと頭に浮かんできたりする。
この季節、オカヤドカリ水槽はあまり動きがないので、眺めていても暇なのだ(笑)。

もっとも、以前オリオンビール片手のユンタクヒンタクで、シマの船頭さんが言ったヒトコトが、的確に真実をついているような気もするが・・。

だって食べるところないでしょ

ゴモットモ。





沖縄の夜の友、ホオグロヤモリのカップル。
日が落ちてから屋外でオリオンビール片手にユンタクヒンタクしていると、どこからともなく現れるおなじみさん。
目の前を人間がうろうろしていてもおかまいなしで、目にも留まらぬハンティングや濃厚なラブシーンを見せてくれる。
本土のニホンヤモリよりも尻尾が太くて棘状突起があるのが特徴だが、画像のメスの尾は一度切れた再生尾のようで、棘状突起は見られない。
ニホンヤモリと違って、キョッキョッキョッと、大声でよく鳴く。
海から戻って酒を飲んでいる時に、この鳴き声が聞こえてくると、「沖縄にいるんだなァ」という実感があらためて湧いてくる。
2008.2.2

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