天国か地獄か…〈Page.3〉




 この日の戦闘は苦戦を強いられた。敵の強さもさることながら、オスカーの動きが僅かに鈍いからだ。
 そのことに気づいたのは、ヴィクトールなど戦闘に慣れた一部の者達のみで、勿論、アリオスもその例外ではなかった。
 普段では考えられないような大量の汗をかき、肩で大きく息をするオスカーを、アリオスは常に視界の端に捕らえて離さず、他の者には勿論のこと、本人にすら気づかれないようにさり気なくフォローしオスカーの動きを助けていた。

 それがどれほど矛盾した行為であるかを自分では理解せずに…


 皇帝レヴィアスが“アリオス”に身を変え、敵の一団へと潜り込んだ狙いは、アンジェリークの持つ蒼いエリシア、そして守護聖達の戦力を大幅にダウンさせることにある。その目的を達するために、最大の戦力であるオスカーにその狙いを定めた。ここまでは予定どおりだった。

 しかし…問題なのはその方法だ。

 モンスターとの戦闘でオスカーが遣られるか、あるいは致命傷となる傷を負うかすれば、何もアリオス自らが手を下さなくても、その目的は容易に達成される。しかし、アリオスはあくまでも“快楽によってオスカーを狂わせる”ことに固執したのだ。
 理由を問われても、当の本人でも明確な答えを出すことは、もはや不可能だろう。すでにアリオスは、自らの行動ですら制御出来ずにいるのだ。考えるよりもまず身体が、自然にオスカーを庇うために動き出すのだから。


「緋色の衝撃ーーー!!」オスカーが技を放つ。
 一瞬、軽い眩暈がオスカーを襲った。二、三日の寝不足ぐらいならたしたことはないが、さすがに五日となると…長時間の戦闘は堪える。
 すぐさま体勢を立て直そうとするが、疲労はピークに達しているらしく身体が思うように反応しない。半瞬、オスカーの防御が遅れた。
 モンスターはそれを見逃すことなく襲い掛かる。
 
「オスカー!!」
 劈くような轟音の中で、自分の名を呼ぶ悲鳴にも似た叫びが鼓膜を震わした。
 ぼやけた視界の中、自分の両腕に何かの重みが伸し掛かってくるをオスカーは感じたが、モンスターが放つ眩しい閃光と強い衝撃のため、目を凝らしても状況がよく把握できない。

「キャーーアリオス!!」
 視界が戻った後に響く、アンジェリークの悲鳴。

 オスカーの腕の中で、アリオスが苦しげに胸元を押さえながら、半ば意識を失っていたのだった。

 ――アリオスが俺を…庇った…?

 信じられない出来事に、思考の半分をストップさせてしまったオスカーには、今の状態をすぐには理解出来ない。それでも、無意識のうちにアリオスを抱く腕に力が篭もる。

「何をしているのだ!オスカー!!」
「オスカー様!!」
 戦闘を放棄したかのように、アリオスを抱き締めて離さないオスカーを叱咤するように、仲間達の怒号が飛び交う。
 だが、オスカーの耳には何一つ届かない。
 再びモンスターは、無防備なオスカーへと狙いを定めた。が、襲い来る敵とオスカーの間に、間一髪でジュリアスが身を滑り込ませ、攻撃魔法で止めを刺し、戦闘は辛くも勝利を収めた。


 皆、オスカーとアリオスのもとへ走り寄る。
 未だ呆然とするオスカーを仲間達が促し、アリオスは木陰に横たえられた。アンジェリークが涙を堪えて必死に回復魔法を掛ける。
  傷自体は軽いようだった。オスカーを庇いながらも何とか防御の姿勢を取り、寸でのところで正面からの攻撃を避けたらしい。
「大丈夫だ。心配ねぇ」徐々に意識を取り戻したアリオスの言葉に、皆、一様に胸を撫で下ろす。
 つま先まで凍りつくような真っ青な表情で、アリオスの様子を眺めていたオスカーも、安堵のため息を吐きだしながら身体から力を抜いていった。
 心配そうに寄り添うアンジェリークに、アリオスが「心配すんなよ」と、柔らかな笑み投げ掛ける。

 オスカーの心に鋭い痛みが走った。

 その場にいたたまれなくなったオスカーは、二人に背を向け、ひとり離れた場所へと歩き出した。



 今なら分かる。アンジェリークと寄り添う姿を複雑な想いで眺めていた理由も、リュミエールとの同室に動揺した自分も、アリオスを強く拒絶出来なかったことも、自分を庇って倒れた時に感じた凍りつくような恐怖も、無事を知って泣きたいぐらいに安堵した気持ちも…
 まるでジクソーパズルのピースが揃っていくかのように、脳裏に甦る数々の出来事がオスカーを一つの結論へと導いていく。

 ――もう誤魔化せない。


「オスカー」
 自分の名を呼ぶ声に、オスカーは小さく肩を震わせた。
 息を飲み込み、ゆっくりと声のした方向へと顔を向けと、そこには自分を追って来たであろうアリオスが、憮然とした表情でオスカーを眺めて立っていた。
「さっきはすまなかった。俺としたことが、すっかり油断していたようだ。傷の方は……」
 オスカーは慌てて言葉を紡ぎ出す。
「別に、たいしたことじゃねぇ。それより、礼は言葉ではなく別なモノでしてほしいが……な」
 言って、オスカーの言葉を遮ると、アリオスはゆっくりとオスカーのもとへと歩き出した。

 ジリジリと縮まっていく距離に正比例するようにして高まる緊張感に耐え切れず、オスカーは無意識のうちに後ずさりをして逃げの態勢を作った。
 そんなオスカーの身体を、アリオスは腕を伸ばして素早く引き寄せて、
「そうは待てねぇと言ったはずだぜ?いったいどれだけ待たせる気だ?わざとらしく避けやがって」
 と、キッパリ言い放った。
 

 アリオスの腕の中で、オスカーはこれ以上ないという至近距離でアリオスの視線を合わせた。
 そこに広がるのは、故郷の惑星と同じ澄んだ色のエメラルドグリーン…
 なぜ自分が初対面であったのこの男に、これほど明け透けに心を開いてすんなりと打ち解けていったのかを、オスカーは今初めて理解した。
 この瞳の色に、安らぎと懐かしさを覚えたからだったのだ。

 最後のピースがはめられた。

 そこから引き出された答えは、――俺はこの男を愛している――


「今夜、お前の部屋へ行く」
 と、オスカーは静かに告げた。
 その時、アリオスの表情が一瞬複雑に揺れたのをオスカーは敏感に感じ取った。だが、心を決めたオスカーに、もう迷いはない。
 アリオスを受け入れた先にあるものが、天国なのか地獄なのか、それはオスカーにも分からない。それでも『愛する者の全てが知りたい』と、願う心に偽りはない。

 伺うように伸ばされたアリオスの指先がオスカーの唇を優しくなぞると、まるで引き寄せられるかのように互いの唇がゆっくりと重なった。

 啄ばむような軽いキス。


 ――二人の間に、もうすぐ六度目の夜がやって来る。