☆2008年11月22日〜11月30日

☆初冬のパリ てくてく見て歩き
trois ミーハー☆パリの歴史探訪
<バスティーユ駅からバスティーユ広場へ>
小学生のときに「悲しみの王妃」というツヴァイクの「マリー・アントワネット」という伝記小説を基にした少女向けの一冊を読んだ時に
「フランス革命」という言葉を覚えました。
だから、フランス革命のきっかけになったバスティーユ、世界史の授業で「火縄くすぶるバスチーユ=1789年、フランス革命」という語呂あわせの
あのバスティーユは、ぜひとも行ってみたい場所でした。
「バスティーユは、フランス革命が始まってすぐに襲撃されて壊されたので、何も残ってないよ」と、
私よりずっとフランスの歴史に詳しい弟は言いましたが、それでもやっぱり行ってみたいのが、ミーハーなところ!
パリの街歩きも少し慣れた11月27日、メトロの駅や道順をしっかり頭に入れて、もちろん、ポケットには地図をしっかりと入れて、
ひとりで、てくてくと、出かけました。
メトロ1号線のバスティーユの駅。

バスティーユを襲撃する民衆をモチーフにした壁画が
描かれています。
今は、歴史的な遺跡はほとんどない、といっても、
「フランス革命のはじまり=バスティーユ」は
やはりフランスの観光の目玉なのでしょうか。
そのメトロの駅から外へ出ると
そこは、バスティーユ広場でした。

「陛下、暴動ではございません!革命です!」
とルイ16世が告げられた朝、
それがフランス革命のはじまりでしたが、
そのバスティーユがここだ、と思ったら
妙な感じがします。


真ん中の記念塔は、
フランス革命ではなく、
その後の1830年に起きた7月革命の記念塔です。
記念塔が見える木には、プレゼントの飾り?が吊るされていました。
クリスマスの飾りでしょうか。
<ヴォージュ広場>
そして、バスティーユから西側のマレと呼ばれる地域は、かつて貴族の館が並んでいた地域です。
そんな中にあるのが、Place des Vosges(ヴォージュ広場)。
17世紀、アンリ4世の命令で作り始めて7年、完成したのはルイ13世の時代です。
周りを赤レンガの建物がぐるりと取り囲んだ広場は、フランス革命までは「王の広場」と呼ばれて、
王侯以外の身分でも立ち入りできる場所だったそうです。
今も真中にルイ13世の騎馬像が立っていますが、
フランス革命時、王様憎し、王妃憎し、と半ば強引に死刑にした革命軍が
なぜこの騎馬像はそのまま放置していたのか、歴史の素人には、理解できないところですね。
サンタントワーヌ大通りを北上すると
建物群のうちの「王の館」(たぶん)が見えます
左の写真の正面部分、王の館をくぐったところ
一辺が約100mの正方形の広場、
周りの建物は17世紀のもの。
それらの建物は、
現在、ホテルやレストランとして営業されています。
こんなところに泊まるのも
ちょっといいかもしれませんね^^

(ちなみにホテルは、日本語のサイトも持っています!
興味のある人は「こちら」を参照してください♪)
ちょっとわかりにくいですが・・正面にルイ13世像 まわりを建物に囲まれた静かな広場です。
散策するには、とてもいい場所!
<カルナヴァレ博物館>
ヴォージュ広場を出て、西へ少し行くと、今度は16世紀の貴族の館を博物館にしたところがあります。
Musee Carnavalet カルナヴァレ博物館です。
セヴィニエ夫人という人のお屋敷ともうひとつのお屋敷をあわせて、パリの歴史博物館としているのですが、
古代の発掘品から20世紀の作家の愛用品まで、膨大なコレクションを広大なお屋敷の中に納めています。
そして驚いたことに、ここは入場無料!
もちろん、フランス革命期の資料もたくさん展示されていて、その中にはルイ16世と王妃の遺髪の展示もあります。
でも、革命期の展示の辺りだけ「→フランス革命」という日本語の案内板があったり、
「お手洗い」「出口」と日本語で書かれていたり
やっぱりそれが目当てで訪れる日本人がたくさんいるんだなあ、と思いました。
どうも日本人のフランス革命好きは私だけじゃないようです。ベルばらの影響かな?
カルナヴァレ博物館 入口 中庭
<18世紀>のコーナーの展示
こういうコレクションに目のない私、
時を忘れて没頭して見て回りました。
写真もたくさん撮ったのですが、
解説はもちろんフランス語なので、
解釈は当てずっぽう、
だいたいこう書いてあるのかなぁ・・なんて(^^ゞ


社会見学らしい子どもたちや高校生もいました。
コレクションだけでなく、
入れ物(建物)自体が、歴史的建造物なんだから
すごいです。
19世紀・お店の看板コーナー(らしい)、社会見学らしい子どもたち
19世紀、カフェ ル・フーケを再現(らしい)
バスティーユ牢獄のミニチュア 王一家が幽閉されていたタンプル宮殿の部屋の再現
王や王妃の遺髪! ・・でも、どれが誰のか、わかりませんでした^^;
<コンシェルジュリとサント・シャペル、裁判所>
前に来たときに見たベルサイユ宮殿も含めて、マリー・アントワネットのことを考えるとき、
欠くことのできないのは、彼女が最後のひとときを過ごしたコンシェルジュリです。
14世紀に建造された建物ですが、最初は牢獄ではなく普通に王室司令部として使われていたのに、
その後「牢獄」として使われ始め、
フランス革命期には、「ギロチンへの待合室」といわれたほど。
パリに着いた翌日11月23日に行きましたが、ぐずつく空と相まって、
処刑された人々のリストや牢獄の再現など、なんとも暗〜い気分の見学地。
マリー・アントワネットの独房も再現されていましたが、
向こうをむいて座っている彼女の姿は人形とわかっていても哀れで、ここばかりは写真を撮れませんでした。
コンシェルジュリ・衛兵の間 その昔は2000人収容の食堂でした 贖罪礼拝堂 
女囚が収容された牢獄の並ぶ廊下、中庭を望む窓
さて、暗〜いコンシェルジュリに入場するとき、チケットが二つの施設のセットのチケットになっていました。
そのもう一つが「サント・シャペル」です。
コンシェルジュリを見た後で、ここへ来ると、本当に心が洗われるような・・・
十字軍が持ち帰ったイエス・キリストの聖遺物を納めるために13世紀に建てられた教会ですが、
2階にあがるとそのステンドグラスの見事なこと!
言葉もなく、立ちすくんでしまいました。
サント・シャペル正面 持ち物チェックされます 1階部分
1階の壁面の装飾。たぶん宗教的な・・わかりませんが^^;
サント・シャペル2階のステンドグラス 1100におよぶ聖書の物語が描かれているそうです。
実物は、もっともっと美しいですよ!
上記のコンシェルジュリとサント・シャペルの間にあるのが、
フランスの最高裁判所です。
といっても最高裁判所として『使われ』はじめたのは、20世紀になってからで
かつて革命期には三部会の召集を決めた場所であり、
中世には王宮として使われていた建物です。

この3つの建物があるパリ・シテ島は、
紀元前にケルト人が住み始めた場所で、いわゆる「パリ発祥の地」。
そして、そのシテ島で、上記の建物とメトロをはさんだ形に位置するのが、
ノートルダム大聖堂。
まさにここはパリ観光の花形です。
というわけで、次は
<ノートルダム大聖堂>
「ノートルダムの」と小説や映画のタイトルに使われているので、パリといえばノートルダム、と言えるほど有名な大聖堂。
1163年の着工から200年がかりで建てられたゴシック建築は、間近で見るとそのもの凄さに圧倒されます。
日本でもお寺の山門などを見ると思いますが、ここでもやっぱり思いました<クレーンもコンピューターもない時代にどうやって作ったんやろね!?
正面入り口上部の彫刻
バラ窓とアーチ型の天井
このノートルダム大聖堂は、これほど立派な建物なのに、
18世紀後半の革命期には宗教より理性や思想を重んじる風潮に顧みられなくなり、ついに1795年に封鎖されてしまいました。
そんな大聖堂でしたが、ナポレオンがここで戴冠式やミサを行い、
ユゴーが「ノートルダム・ド・パリ」を書いたことによって、勢いを取り戻したのでした。

*余談ですが、ノートルダムの名前を冠した聖堂は、実はパリだけでなく、各地にあります。
「ノートルダム」とは「我らが貴婦人」という意味で、カトリックでは聖母マリアの尊称だそうです。
だから聖母マリアを崇拝する各地の教会が「ノートルダム」という同じ名前でも、おかしくはないということですね。
その中で、ランスのノートルダム大聖堂は、シャガールのステンドグラスがあることで有名です。
余談の余談ですが、ランスには、レオナール藤田のシャペル・フジタもあるので、ぜひ一度訪れてみたいところです。



quatre:忘我のひととき☆美術館にて

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