《Rock'n roll 4》









 「スター街道まっしぐら」のはずが、どうしてこんなことになってしまったのか、珠美は未だによくわからない。
 いつ、どうして、歌い続ける気力を失ってしまったのか。
 いや、心のどこかでは、わかっているのだけれど、自分でも説明をつけることができないのかもしれない。

 まー坊に新しい彼女ができて、あっさりふられてしまったから? 
 ピンキー・ピンクフィッシュは解散だ。そう言われて1ヶ月もたたないうちに、ピンキングフィッシュと申し訳ばかりに名前を変えたバンドが、珠美以外のメンバーはみんな同じままで活動を続けているのを知ったから?
 しかも新しいボーカルが、まー坊の新しい彼女だったから?

 まー坊といっしょにバンドを始めて3年。順風漫歩、何も問題はないと思い込んでいた矢先に、次々とそんなデキゴトに見舞われ、ショックだったのは確か。 だけどそれは、原因じゃなくて、結果だったんだと思う。
 今ならわかる。本当は自分の心の変化が、そうした事態を引き起こしてしまったんだってこと。
 そして多分、まー坊はあの頃すでに、わかってたんじゃないかと思う。

「お前、まだ気にしてる? あのときのこと」
 この間まー坊に会ったとき、唐突にそう聞かれて戸惑った。
 「あのときのこと」は、その後なんとなく友達どうしに戻ったふたりの間では、暗黙のうちに、口にするのはタブーってことになってたから。
「まだ・・・・っていうか、初めから気にしてないよ」
 そう答えるのが精一杯だった。だけど、まー坊は何もかもわかっているかのように笑ってうなずく。
「そうだろうな。ほんとはおまえ、あれ以上続けたくなかったんじゃねーの? バンドも、俺のカノジョも」
 
 そうだったのかもしれない。まー坊に言われて、初めて気づいた。
「だから、俺はあやまんねーよ。ぜったい」
 まー坊は笑って、きっぱりと言った。

 
 疲れてしまった、たぶん、そういうこと。
 ずっとずっと、走り続けてきて、疲れて、擦り切れて、くたくたになってしまった。
 個性も強ければ自己主張も激しい同年代のバンド仲間たちとやっていくこと。
 浮気はするわ大酒はくらうわ、いつまでもなりだけデカイやんちゃ坊主のままで、心の底ではオンナである珠美を絶対に仲間と認めてないようなバンドマンたちと虚しい恋愛を繰り返すこと。
 未来の見えないどんちゃん騒ぎの中で、ただ流れるように日々を過ごして行くこと。
 そうしたことにかつては、生きている手ごたえのようなものを感じていたはずなのに、いつのまにか、何もかも放り出したくなっていた。
 なにがなんでも歌い続けたい、バンドをやりたい。そんな強い思いが、消えてしまったのはいったいいつのことだったのだろう。22歳、歳を取ったというほどのトシでもなかったはずなのだけれど。
 まー坊は、あの頃の珠美を見てて何もかもわかってたんだと思う。だから容赦なく彼女を切り捨てたってわけだ。
 彼は、ぎらぎらしたものをいつまでも失わない、そういうタイプのギタリストだったから。

 今ならわかる。「ロックし続ける」には、とてつもない強さが必要だってこと。その強さは誰もが持ち得るものじゃない。
 それに、それを手にしていることが単純に幸せにつながるわけでもない。
 デビューが決まったことを告げたときの、まー坊の複雑な笑顔が、すべてを物語ってた。


 バンドも恋人もいっぺんに失った(というか手離した)珠美は、むしろ、すっきりした気持でバイトも辞めてしまい、なけなしの貯金を手に、ニュー・ヨークへと飛び立った。
 そして会社の研修で現地に来ていた朋久と知り合い、あっというまに意気投合し、現在に到るというわけだ。

 歌をやめて、音楽を聴くのが楽しくなったと思う。
 そして、朋久と出会って、生きていくことが楽しくなった。
 それを幸せと呼ぶのかどうか。小さな疑問を胸の奥に抱えつつも、今、彼女は穏やかな日々を生きている。


 買い物帰り、スーパーの袋をぶら下げて、商店街を抜けようとした珠美は、小さなCD屋の前でふと、立ち止まった。
 ささやかなショーウィンドウに不釣合いなほど、でかでかと貼られたポスター。
 ローリング・ストーンズの3度目の来日を告げるポスターだった。
 ああ、そういえば今来てるんだな、珠美はぼんやりと思う。彼女の街からそう遠くはない場所のドームにも、数日後には確か、来るはずだった。
 初めて彼らが日本へ来た8年前、どれほど感動し、興奮し、必死になってチケットを取ったか。思い出すとなんだか笑えて来てしまう。バンド仲間と夜行バスに乗って東京へ乗り込み、一睡もしないまま街を歩き回って、全員ナチュラル・ハイなまま、会場へ直行した。2階席から豆粒のような彼らの姿を目にした瞬間、冗談じゃなく、失神するかと思った。
 今の私を創った、カミサマみたいな人たちがあそこにいる!!あのときの全身ががたがたと震えるような感動を、彼女は今も忘れたわけじゃない。
 なのに、どうしてなんだろう。
 2度目に彼らを見た3年前、彼女はそれほどのテンションを保ち続けられずにいた。その頃はもう、朋久といっしょだったから、旅行気分で新幹線に乗り、実際コンサート会場ではノリノリではあったけれど。
 心臓がバクハツするような、苦しいほどの感動は、すでに彼女には無縁なものになってた。
 そして3度目、今度は東京まで行かなくても、日帰りで彼らを見に行くことが可能だというのに、
 どういうわけか、チケットを取ろうとも思わなかった。
 なんだか、あの日々はすごく遠くなってしまったような気がする。

 今の彼女にとって大事なこと。今日の晩ご飯のこと、1ヶ月の家計のこと、朋久の上司に贈るお中元のこと、自分たちの将来設計、家はいつ買うか、双方の両親はどうするか、他にも他にも・・・・。
 考えなければならないことは、次から次へと出てくる。
 そんな細々なことすら、主婦に向いているとはいえない彼女の性格では、どうにかキープしていくのが精一杯だったりするのだ。ただひたすら、穏やかに、平和に、朋久と生きて行く。それだけのことでも、そう簡単なことじゃない。
 だから、これでいいのかなんて、考えてるヒマもない。

 我知らず、長いこと立ち止まっていたらしい。彼女は我に返って歩き出し、CD屋の近くにあるドラッグストアへ入った。
 このところ、少し気になっていることがある。


 翌日、朝起きてすぐトイレに直行した彼女は、予感が的中していたことを知る。
 なけなしの自由な日々を、やはりそれでもロックし続けたいというかすかな希望を、行こうと思えばどこへでも行けるという安心感を、自分は、ひょっとすると永遠に失うことになるのかもしれない。
 彼女の心をよぎったのは、うれしさよりも、そんな思い。
 それでいいじゃないの。何度もそう、自分に言い聞かせる。結婚5年目にもなる28のオンナが、何をこんなことでオタオタしているのか。 
 だけど、それでも情けなく身体が震え出すのを、珠美はどうしても止めることができなかった。


 
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